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第7話「その味の限界」

 B・ドックの入ったビルから出たヨシロウが、すたすたと歩き出す。

 その方向が家の方向とは違ったため、源二は追いかけながらもヨシロウに声をかけた。


「まだ帰らないのか? 用事は終わったんじゃ」

「何言ってんだ、お前のBMS導入はついでだよ。俺は元から買い出しがしたかったの」


 ポケットに手を突っ込み、足早に歩くヨシロウの横に並び、源二がそうか、と呟いた。


「ついでだとしても助かったよ。それにしてもBMSってすごいな、どう歩けばぶつからなくて済むとかナビ出るんだ」


 視界は少々うるさくなったが、それでも道行く人々の移動予測が視覚化され、その回避方向の指示も出ることが新鮮で源二のテンションは少し上がっていた。もう帰ることができないかもしれない、という考えはほとんど消え失せ、これからのこの世界での生活を楽しまなければ、と思っているところもある。

 我ながら適応力が高いなと思いつつ、源二はヨシロウに尋ねていた。


「次はどこに行くんだ?」


 ついで、とは言ったが、ヨシロウがただのついでで源二を連れ出したわけではないのは分かる。ただBMSを入れるだけなら先に帰れと言うはずだし、そうでなく連れ歩いていることを考えれば何かしらの意図はあるのだろう。

 実際のところ、ヨシロウがこのまま連れまわしてくれることが源二にとってありがたいことだった。

 BMSの勝手を知りたかったし、この街に何があるか、どんなものが見られるかは興味がある。


 きっとヨシロウもそれを考えてくれたのだろう、と勝手に解釈し、源二はきょろきょろと周りを見ながらヨシロウについて歩いていた。


「あまりきょろきょろするな、田舎者に思われるぞ」


 ぶっきらぼうにそう言いながら、ヨシロウが一軒の店に足を踏み入れる。

 源二も続けて店に入ると、そこは一軒の食堂だった。

 カウンターの奥にはフードプリンタが備え付けられており、一見しただけでこの店がフードプリンタの食事を提供していることが分かる。


「とりあえず、なんでも体験してみろ、ってことで今度は味覚投影だ。食いたいもん注文していいぞ」


 そう言いながらヨシロウがテーブルにあるボタンをタップすると二人の視界にメニュー表が映し出される。

 源二としては先ほど栄養ペレットニュートリションで食事を済ませたところだったので空腹ではなかったが、ヨシロウが言うなら、と軽めのメニューとしてホットサンドをタップする。


「お前、ほんと好奇心が強いな。好奇心はなんとかって諺があるだろうに……」


 迷わず選ぶとかチャレンジャーすぎるだろ、というヨシロウの発言にいささかの恐怖を覚えつつも、源二はカウンターの奥に視線を投げた。

 店主がフードプリンタを起動し、ホットサンドを出力、配膳用ドローンに乗せる。するとドローンは音もなく源二たちの席に移動する。


「ほらよ」


 ドローンから皿を取り出し、ヨシロウが源二の前に置く。

 源二が注文したホットサンドは、「画質の荒いホットサンドの写真」のようなものだった。それでも焦げ目などはしっかり再現されており、見た目にはおいしそうに見える。しかし、その味がほとんどしないことは昨夜のオムライスで経験済み。


 これをどうやって味覚投影するんだ、と源二がホットサンドを見ていると、視界に小さなウィンドウがポップした。

 見ると、「ハムサンド」や「卵サンド」といった項目が並んでおり、ホットサンドの味を選択できるようだった。


 ほほう、と源二がハムサンドを選択し、ホットサンドを手に取る。


「いただきます」


 そう呟き、一口、ホットサンドを口にする。


「……!」


 ホットサンドを口にした瞬間、源二は驚きの声を上げた。

 味がする。脳が、口に入れた出力物を「ホットサンド」として認識している。

 ホットサンドの焦げ目の風味、ハムの塩味とレタスの青臭さ、そして挟まれたチーズの甘味がすべて混ざり合った味がする。


 久しぶりにまともな食事にありつけたような錯覚を覚え、源二はホットサンドを貪った。

 実際のところは脳が味覚投影によって味覚と嗅覚の制御を奪われ、「これはホットサンド」と認識しているだけである。本物の食材で作られたホットサンドを知っている源二からすればまがい物だとすぐ分かる。何しろ挟まれた食材一つ一つの味ではなく、それらが全て合わさった味をしている。それでも本来ならほとんど味のしないプリントフードが確かな味を持っていた。


「……」


 夢中で出力されたホットサンドを食べる源二を、ヨシロウが無言で見守る。


「……すごいな」


 ホットサンドを完食した源二がぽつりと呟いた。


「確かに、本物の食材で作ったホットサンドに比べたら味気ないし、深みがないというか、均一すぎる感じがするんだが、確かにホットサンドを食べたという感覚はあるんだ」


 普段はこうやって食事をしているのか? と言う源二に、ヨシロウはああ、と頷く。


「ま、これでお前もまともな飯が食えるようになったな。じゃ、次行くぞ」


 ここでの用事はこれで終わり、とヨシロウが席を立ち、さっさと食堂を出て、そのすぐそばの別の店に入る。

 源二も慌てて後を追いかけ、ヨシロウが入った店を見る。そこは商店街でよく見る肉屋のような専門店の風体をなす場所だった。


 ただ、陳列されているのは肉ではなく、たくさんの遮光ボトル。ウォーターサーバーのボトルほど大きいものから2リットルのペットボトルほどの大きさのものがあるが、そのどれもが遮光容器で中に何が入っているかはよく分からない。


「なんだ、これ」


 ぐるり、と店に並んだボトルを眺めて、源二が小声でヨシロウに尋ねる。


「何って、フードトナーだが?」


 お前、本当にフードプリンタ知らないんだなとぼやきつつもヨシロウが店主に「いつもの」と注文を始める。

 店主が慣れた手つきでフードトナーの入ったボトルをまとめている様子を尻目に、源二が物珍しそうに店内を眺めている。

 ——と、その視界に小さなボトルが並べられた棚が映り込んだ。


 フードトナーにしては小さい。小さいが、種類はそれなりにあるのか、食品スーパーのスパイスコーナーのように整然と並べられている。


「……何だこれ」


 思わず源二が手を伸ばし、小さなボトルを手に取る。視界に「グルタミン酸 C5H9NO4」というラベルが表示される。


「……グルタミン酸……」


 源二が呟くと、その声を聞きつけたヨシロウが源二の手の中のボトルに視線を投げた。


「どうした? あぁ、調味用添加物か」


 ヨシロウもラベルを確認したのだろう、親切にも説明してくれる。


「一応は味覚投影を使わずとも食べられる味にするために使われる添加物なんだが、そんなことしなくても味覚投影で十分食えるからな。これを買う奴なんて滅多にいねえよ」

「……」


 ヨシロウの説明に、源二がふむふむ、と別のボトルを手に取る。


「こっちはクエン酸……スクロース……ふむ……」


 ぱっと見た感じではただの化学薬品のボトルだが、それらの「味」に源二は心当たりがあった。

 同時に、源二の脳内を何かが閃く。


 プリントフードは基本的に味覚投影で味をつける。しかし、これらの調味用添加物のように出力物に直接味をつけることも可能。

 味覚投影による料理の味がどんなものかは理解した。確かに味はするが、本物の料理とはかけ離れている。だが、もし、この調味用添加物が使いこなせれば……?


「……ヨシロウ、」


 ほとんど無意識の言葉だった。

 呼ばれたヨシロウがなんだ、と源二を見る。


「いつか俺が働けるようになったらBMSの費用と一緒に返すから、これも買ってもらっていいか?」

「は? 調味用添加物を!? んなもん、使ったところで味覚投影の方がずっとうまいぞ!?」


 いくら何でも興味の範囲広すぎだろう、とヨシロウが声を上げる。

 しかし、源二はこの調味用添加物が自分にとっての可能性だと確かに感じ取っていた。

 これを使えばきっともっとおいしいプリントフードを作ることができる、その確信は源二が繊細な舌と鼻を持ち、一度は料理人を目指したからこそ沸き起こるものだった。


 料理が好きで、料理人を目指したものの環境に恵まれず諦めたからこそ、ここで可能性を見出しておいて諦めることはできない。

 頼む、と源二はヨシロウに頭を下げた。


「おいおいやめろよ、俺はお前に頭を下げられるようなことはしてない。とりあえず、これを買えばいいんだな? どれを買えばいいんだ?」


 仕方ないなあとばかりに調味用添加物の棚を見るヨシロウに、源二はそれなら、と棚を指さした。


「この棚にある調味用添加物、全種類」

「……ぜんしゅるい……。って、はぁ!?」


 素っ頓狂なヨシロウの声が、店内に響き渡った。

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