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第5話「新生活を始めるために」

「じゃ、戸籍の偽造とかやるにしても……だ」


 源二の返事を聞かずに、ヨシロウが埃を払うかのように両手を叩く。


「ゲンジ、朝になったら出かけるぞ」

「出かけるって、どこへ」


 困惑したように源二が尋ねる。そもそもヨシロウの世話になるとも言っていないのにヨシロウはもう源二を引き取ることを前提に話を進めている。


「ああ、まずはお前にBMSを入れる。ああ、導入費用は俺が立て替える。どうせ今じゃないところから来たなら金なんて持ってないだろ。生活の基盤ができて収入が安定したらその時に返してくれ」

「……あんた、すごくお人好しだな」


 思わず源二が呟く。同時に、心強さを覚えて口元に笑みが浮かぶ。


「お、笑ったな。少しは安心したか?」


 源二が笑ったことで、ヨシロウも安心したように笑う。

 ヨシロウはヨシロウでこの街の存在ではない源二のことが気がかりになっていたところだった。過去からタイムスリップしてきた線は濃厚だが、それでも同じような歴史を歩んだ別世界の住人という可能性もある。その辺りは追々調べていけば分かるだろうが、いずれにせよトーキョー・ギンザ・シティに迷い込んで来たのは事実である。今、ヨシロウにできることは源二がこの環境に適応し、一人で生きていく術を身に着けること。その第一歩がBMSの導入だと考えていた。


——とりあえず、今はこいつが生活できるようにするのが先決だ。帰る方法とかはそれから考えたほうがいい。


 源二が異邦人ストレンジャーであることはまだ信じ切ることができない。もしかしたら何かしらのショックで記憶が混乱しているだけの可能性もある。とはいえ、BMSを導入していないというただ一点がヨシロウを信じさせるには十分な要素だった。


 視界に映り込む時計を見る。BMSの導入や調整を行ってくれるBMSクリニックB・ドックの開業時間まではまだ数時間ある。というよりも時間を忘れて中小企業のサーバに侵入していたところで源二が目を覚ましたから作業自体中断中である。眠気はまだないのでもう一仕事するか、と考えつつも源二の反応を窺うと、源二は小さく頷いていた。


「助けてくれたのがあんたでよかった。あんたでなければ俺は路頭に迷ってたかもしれない」


 源二の反応に、ヨシロウははは、と軽く笑う。


「なあに、スーツなんて着てるからどっかの巨大複合企業メガコープの社員だと思って拾っただけだ。この手の奴らには恩を着せておくと後々旨い汁が吸えるからな」

「さすがハッカー、人の心がない」


 源二もなんだかんだ言って世話を焼いてくれるヨシロウに心を許し始めたのだろう、軽口をたたくヨシロウに軽口で返し、それから二人で笑う。


「ま、お前はもう少し寝てな。俺はもう一仕事する」

「そうか、だが寝ないと体に悪いぞ」


 俺は寝させるのにあんたは寝ないのかよ、と源二が言うと、ヨシロウは苦笑して頷いた。


「今夜は徹夜のつもりでカフェイン錠飲んじまったんだよ、全然眠くねえ」

「無理するなよ」


 それじゃ、俺は遠慮なく寝させてもらう、と源二はリビングに戻った。

 ソファに横になり、ブランケットに包まると腹が満たされたおかげかすぐに瞼が重くなる。

 あれほどあった不安は嘘のように消え去っていた。

 当面の生活の当てができただけでこんなに安心するものなんだ、と思いつつも、それでもどうしてこんな場所に転移してしまったのかが気になってくる。


 しかし、それを考えるよりも先に睡魔は源二を包み込み、優しく眠りの世界へと誘っていく。

 実はこれは夢で、目を覚ましたら病院だったらいいな、とほんの少し願いつつ、源二の意識は闇に包まれていった。



 夢の中で、源二は両親と共にいた。

 長年の夢だった料理店の開業に、両親を招待して腕を振るう。

 カウンター越しに両親に振舞うのは食べるのにテーブルマナーが必須の気取った料理ではない。唐揚げや肉じゃが、煮物など家庭的なものばかり。

 それでも両親は源二の出す料理をうまいうまいと言って頬張り、「よく頑張ったな」と笑顔で祝福する。


——ああ、こんな現実を見たかったな——。


 これは夢だという認識はあった。現実の自分は開業することもできなかったし、日々を生きるだけで精いっぱいの社畜だったし、それどころか車に轢かれかけてトーキョー・ギンザ・シティという未来都市に迷い込んでしまった。

 もう、両親に料理を振舞うことはできないのか、と夢の中で笑う両親をどこか醒めた目で見る。


 これから、どうやって生きていけばいいのだろうか。

 ヨシロウが戸籍は偽造してくれるという。その戸籍を利用してどこかの企業で働くことになるのだろう。

 先が見えない不安は大きい。しかし、いつまでも嘆いてはいられない。

 自分は自分なりに精一杯生きるだけだ。


「……父さん、母さん」


 ぽつり、と呟く。


「俺、親不孝者かもしれないけどさ——精いっぱい、こっちで頑張るから」

「ああ、頑張れよ源二」

「あなたならきっとうまくやっていける」


 長らく帰省できずに聞けなかった両親の声。

 記憶の中で暖められたその声に、源二の心も決まっていく。


——生き延びてみせる。


 そう、誓った源二に、


「おい、いつまで寝ている」


 声が投げかけられた。



 頭上から投げかけられる声に、源二が目を開ける。


「ここは——」

「寝ぼけてんじゃねえ、ここはトーキョー・ギンザ・シティ。夢だと思うなら自分の頬をつねってみろ」


 聞き覚えのある声、そうだ、ヨシロウの声だ、と認識すると同時に源二はがば、と身を起こした。


「悪い、寝過ごした」

「いや、よく眠れたならいいよ」


 そう言い、ヨシロウが源二に何かを投げて寄越す。


「流石にスーツで外に出るのは目立つからな。それでも着とけ」


 源二が受け取ったのはジーンズとジャケット。


「俺と体形はそんな変わらん感じだからいけるだろ。それ着たらB・ドックの所に行くぞ」


 ああ、と源二が頷き、気を利かせて背を向けてくれたヨシロウに感謝しながら服を着替える。


「それじゃ、行きますか」


 着替え終わった源二とヨシロウが外に出る。


「今日一日は天気もちそうだな」


 BMSで天気を確認したヨシロウが呟き、「こっちだ」と道案内を始める。

 源二はというと外に出て街の様子を目の当たりにして驚くばかりだった。

 窓から見ていた以上にごみごみとしたトーキョー・ギンザ・シティの街並み。


 巨大な透明ディスプレイだと思ったサイネージは生で見るとSF系の作品でよく見かけるホロサイネージだろうか。他にも立体映像のホログラム広告が宙に浮いていたり、見ていて飽きない。

 横断歩道も間近で見ると文字や記号が空中に投影されており、アニメーションもして人々の注意を引き付けている。


 さらに、街中のホロサイネージから流れるCM音声が響き渡り、かなり騒々しいものだった。

 それでも道行く人々は源二がいた銀座の人々と何ら変わりがないように見える。違いがあるとすれば、全員BMSを導入しているからか歩きスマホのような迷惑行為をする人間はいないし、BMSに何かしらの機能が実装されているのか人々がぶつかることもない。


 きょろきょろと街を見回しながら源二が歩いていると、先導していたヨシロウが一軒の屋台で立ち止まり、何かを受け取った。


「ほら、朝飯」


 ヨシロウが屋台の店主から受け取った何か——銀色のパウチを源二に手渡す。


「プリントフードが無理なら栄養ペレットニュートリションで我慢しろ。こいつも味覚投影して食うもんだがプリントフードよりは味があるから食えるだろ」


 なるほど、朝食を家で摂らなかったのはこういうことか、と源二がパウチを受け取り、封を切る。

 中に入っていたのは源二が元居た場所でもよく見かけたカロリーブロックのような雰囲気を持つ緑色のペレットだった。

 これなら味はするか、と源二がペレットを口に入れる。


 がり、と硬いクッキーのような歯ごたえの後に何とも言えない味が口の中に広がる。

 例えるなら、草。草のような青臭さとほんのりとした苦みに閉口するが、食べられないほどではない。緑色で、草のような青臭さという風味に、源二はクロレラか、と考えた。


 藻の一種で、源二が元いた場所でも健康食品として注目されていたクロレラ。源二はお世話になるほど口にしたことはなかったが、経験がないわけではなかったのですぐに分かった。

 なるほど、だから栄養ニュートリションかと納得しつつ、源二がポリポリとペレットを咀嚼する。


「……お前、味覚投影なしでよく食えるな」


 今回はチョコクッキーにした、などと言いながら同じものを食べるヨシロウ。


「まあ、この味なら経験あるから」


 そんなことを言いながら源二は不思議そうにヨシロウを見た。


「味覚投影するとそんなに変わるのか?」

「そうだな、完全に味覚をBMSに任せるから元の味なんて忘れたよ」


 一度は興味本位で味覚投影オフで食ったことあるんだよ、と言うヨシロウに、源二がなるほど、と呟く。

 このヨシロウという男、ただのお人好しではない。興味本位で動く男だ。

 スラム街で倒れていた源二もただ危ないからではなく、何かあるぞと興味を持って保護したのだ。

 その点ではヨシロウが好奇心の塊でよかった、と思いつつも源二はペレットを平らげ、パウチを丁寧に折りたたんでポケットに入れる。


 そのタイミングで、


「よし、着いたぞ」


 そう言い、ヨシロウは一つのビルの前で立ち止まった。

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