出力された米粒一粒残さず、源二がオムライスを完食し、手を合わせて「ごちそうさま」と呟く。
「……」
その様子を黙って見ていたヨシロウは、源二が一体何者なのか、どこから来たのか、ずっと考えていた。
源二は「銀座にいた」ようなことは言っていた。それならここはトーキョー・ギンザ・シティだから別に違う場所から来たわけではない、と言える。しかし、それでも違和感は覚えてしまうのだ。
スラム街で倒れていた源二はその場に似つかわしくない上下揃ったスーツを着ていた。きょうび、スーツを着る人間と言えばエリート階級のサラリーマンくらいで、ヨシロウは源二もそんなエリートの一人だと思っていた。あわよくば金銭をせしめる、あるいは会社を脅したりして小遣い程度は稼げるかもしれない、と。
しかし、意識を取り戻した源二はフードプリンタも知らない、それどころか
これはおかしい、とヨシロウが思ったのも無理はない話だった。トーキョー・ギンザ・シティのことを知らない、それどころか身近な常識ですら知らない、スーツを着た野生児が存在するものか、と。
そう考えると浮かんでくる可能性はいくつかある。源二が本当にBMSがなくても社会が成立するレベルの田舎から来たという可能性。スーツに関してはコミュニティの人間が金を出し合って服を仕立ててもらった、という解釈もできる。それならトーキョー・ギンザ・シティのことを何も知らなくて当然だし、田舎者故にトラブルに巻き込まれてスラム街で倒れていたとしても不思議はない。とはいえ、BMSを介した電子決済が主流のこの世界でスーツを拵えることが難しすぎる。
次に、本当にエリート社員であったがトラブルに巻き込まれて記憶を失っている可能性を考える。だが、これはすぐにヨシロウは否定した。エリート社員がBMSを導入していないこと自体がありえない。BMSが危険なものだと導入を拒否する人間は勿論いるが、それは大抵陰謀論に染まった貧困層の主張であり、エリートがそれを受け入れるとは到底思えない。技術の利便性を追い求められるものだけが厳しいレースを勝ち抜けることも、ヨシロウは理解している。そう考えると、源二がエリート社員である可能性は自動的に消失する。
「……と、なると……」
丁寧にも皿をシンクに運ぶ源二を見ながらヨシロウが呟く。
こんな科学技術が発展したこの世界で、こんな考えに至るのはオカルトにもほどがある、とは思うものの、この考えが一番しっくりくる。
「ええと……ゲンジ、だったか? お前、まさか……」
あり得ない。いくら何でもこの考えは荒唐無稽すぎる、そう思いながらもヨシロウは「その可能性」を口にする。
「……大昔の幽霊だったりするの、か?」
その瞬間、源二の手から皿が滑り落ちた。
プラスチック製の皿だったため、割れることはなかったがそれでもそれなりに大きな音がキッチンに響く。
「いや、幽霊って、そんなオカルトな」
ってか、俺、死んだのか? ここ、あの世なのか? と考え込む源二に、ヨシロウはこれは違うな、と判断した。
とりあえずはその誤解を解いておくか、と考え、ヨシロウが「あー」と声を上げる。
「ここがあの世だったら俺も死んでるだろうが。お前は生きてるよ。それも
「……そうか、死んでないか……」
ヨシロウに言われ、ほっとしたのか源二が安心したように皿を拾う。
「じゃ、じゃあ……変なことを訊くかもしれないが、あんたはここをトーキョー・ギンザ・シティって言ったよな? 銀座……とは違うのか?」
恐る恐る、源二はそう尋ねてみた。
ヨシロウも自分がどこから来たとか、どういう人間なのか探っている状態なのだ、と気付き、それなら互いに情報を交換して今の自分がどういう存在なのかを見極めた方がいい、という考えに至ったのは我ながら冷静だな、と源二は思ったが、こんな場合にパニックを起こしたところで話はややこしくなるだけだ、ということは今までの人生経験から学んでいたことだった。
あの新型ウィルスの時だってマスメディアに煽られて集団パニックが起きたからマスクやガーゼなどが品薄になったし、それから数年後に起こった令和の米騒動も似たようなものだ。いくら危機を煽るような報道をされてもそれを信じるのではなく複数のルートから同じニュースを確認し、何が正しいのかを見極める能力がこの場合必要である。
それはヨシロウも同じだったのか、ふむ、と呟き、それから頷いた。
「俺が言ってるトーキョー・ギンザ・シティとお前が言っている銀座が同じものかどうか、という話だよな。ちなみに、トーキョー・ギンザ・シティ以外にギンザと名のつく街の名はない」
ヨシロウの説明に、今度は源二がふむ、と頷く。
「俺が言っている銀座は東京都中央区にある銀座。ってことは……」
「東京都中央区……? ちょっと待て調べる」
源二が口にした地名に、ヨシロウは顔色を変えた。
どうにも記憶に引っかかる地名、しかしそんな地名は今この国には存在しない。存在しないが、その地名は確かにヨシロウの記憶に引っかかった。
空中に指を走らせ、ヨシロウが空中をタップする。少なくとも源二にはヨシロウが何もない空中を操作しているように見える。
ヨシロウの視界にはBMSによって視覚投影されたブラウザが起動しており、検索ウィンドウがヨシロウの質問を待ち構えている。
同じく視界に映り込むホロキーボードに指を走らせ、ヨシロウは源二が口にした地名を入力した。
ほんの一瞬の沈黙の後、検索ウィンドウに結果が表示される。
その中で、スポンサー表示のリンクの下、本来の検索結果最上のリンクをタップするとブラウザにヨシロウが求めた検索結果の詳細が表示される。
「——っ」
ヨシロウが息を呑む。
「お前……」
ブラウザウィンドウから視線を外し、ヨシロウが源二を見る。
まさか、そういうことなのか。
源二が口にした地名、それは——。
「
「は!?」
信じられない、といったヨシロウの言葉に、源二は思わず声を上げた。
「ちょっと待った、考えをまとめさせてくれ」
思考が混乱し、源二はそれをまとめようと考える。
まず、
いや、源二が生活していた頃にも世界的に巨大な企業が4社存在し、それぞれの頭文字を取って
しかも、「メガコープ台頭前の時代から来た」という発言も気になる。
これらの言葉を踏まえて考えると、源二が迷い込んだと思ったこの世界は——日本の未来の姿?
そんなことがあるか、と源二は否定しようとする。
この世界が別の世界であろうと、未来であろうと、源二が自分が当たり前とする世界、時代からかけ離れた場所にいることは事実。しかし異世界転移やタイムスリップなどそんなものが現実に起こったなど信じたくない。
しかし、目を覚ましてから源二の目の前に現れた数々の技術はそれが現実に起こってしまったことを如実に物語っている。
この際、ここが異世界だろうが未来だろうがどうでもいい。どちらにせよ、源二は自分の常識からかけ離れた場所に来てしまったのだ。
「あ……あぁ……」
源二が声を上げ、両手で顔を覆う。
「……どうすればいいんだ……」
何となくだが分かる。元いた場所に戻れないだろうということを。
もし、転移技術が確立しているのならヨシロウはもっと異世界やタイムスリップについての知識があるはずだし、すぐに戻れると励ましてくれただろう。それがなく、ヨシロウ本人も信じられない、といった反応を見せているならそれは望み薄だ。帰ることは望めない。
身寄りも何もない状態で見知らぬ場所に放り出されたという事実に、源二は途方に暮れた。
これ以上ヨシロウに助けてもらうわけにはいかない。ここからは自分一人で生きていかなければいけない。それも、完全にゼロからのスタートで。
途方に暮れる源二を、ヨシロウは困ったような顔で見る。
そして、源二が思ってもいなかった言葉を口にした。
「……なんか困ってるようだし、暫くうちにいるか? どうせ部屋は余ってるし何だったら掃除とかやってくれたら俺が助かる」
「……え」
その申し出に、源二が思わずヨシロウを見る。
確かに、その申し出は源二にとっては願ったり叶ったりだ。暫くヨシロウの世話になって生活の基盤を整え、再出発をすることができる。
しかし、そんなことをしてもヨシロウにメリットはないはずだ。少なくとも源二ならそんな申し出はしないだろう。
それとも、何か考えがあるのだろうか。例えば戸籍も何もない人間だから、臓器を闇ルートで売りさばいても問題ないとか——。
そんな可能性を考えてみたものの、源二は違うな、とすぐに自分の考えを否定した。
何となくだが分かる。ヨシロウはそんなことをする人間ではないと。
確かに元は何かしらの意図があって助けてくれたのだろうが、ここまでお人好しだと凶悪な犯罪に手を染めることはないだろう。
それに、今の自分には何もない、ヨシロウの保護を断っても生き延びることは難しい。
それならたとえ今日明日の命であったとしてもヨシロウの保護を受けた方が苦痛は少ない。
「……いいのか?」
念のため、確認する。
ああ、とヨシロウが即答した。
「とりあえず生活の基盤ができるまではうちに置いてやる。戸籍とかは俺に任せろ」
「当てはあるのか?」
流石に戸籍のない人間に戸籍を用意するとなれば裏社会に足を踏み込むことになるのでは、と源二は考える。裏社会ものの創作物では定番の戸籍ロンダリングを自分がすることになるとは、などと思いつつも、現時点ではそれしかこの世界で生きていく方法はない。それをヨシロウが手伝ってくれるとなれば渡りに船だが、そもそもヨシロウは裏社会に生きる人間だったのか。
ああ、とヨシロウが力強く頷く。
「俺はハッカーだからな。普段からハッキングで小銭を稼いではその日暮らししてる気ままな身分だよ」
そう言い、ヨシロウはにやりと笑った。