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第3話「初めての食事は未知との遭遇」

「トーキョー・ギンザ・シティ……?」


 ヨシロウの言葉を、源二が繰り返す。

 あぁ? とヨシロウが怪訝そうな声を上げた。


「なんだ? 二日酔いで記憶すっ飛ばしたか? アルコール分解ナノマシン入れてないのか?」


 そんな言葉をヨシロウが立て続けに発するが、源二は全く理解できない。


 そもそも昨夜は一滴もアルコールを摂取していないから二日酔いであるはずがない。それよりも「アルコール分解ナノマシン」というものは初めて聞いた。いや、人体に注入できるナノマシンなどまだ開発されていないはずだ。あの新型ウィルスのワクチンが出回り始めたころに反ワクチンの過激派が「惑珍にはマイクロチップが混入されていて人体から5G電波が発せられる」などと謳っていたが、それは機械工学に詳しい人物が「今開発されているマイクロチップ、まだでかいぞ。んなもん体内に入れるにはどれだけ太い注射針いると思っているんだ」と反論していたから人体注入のナノマシンなど夢のまた夢のはずだ。


 そんなナノマシンが実用化されているとは、源二には信じることができなかった。

 しかし、先ほど見た街並みを思い出すと、では既に実用化されていて、当たり前のように使われているのだろう。


 源二があまりにも状況を理解できない、といった顔をしているため、ヨシロウは怪訝そうな顔をさらに怪訝そうに歪めた。


「……お前、どこから来た?」


 ヨシロウの質問に、源二は正直に答える。


「……俺が覚えているのは銀座の商店街を抜けたところ……だと思う」

「なんだよ、普通にこの街の住人じゃねえか。だったら洗濯物が乾いたらとっとと帰りやがれ」


 源二が銀座の名前を出したことでヨシロウは安心したのだろう、俺ができるのはここまでだと言わんばかりに突き放す。

 しかし、源二は突き放されるわけにはいかなかった。

 ここがトーキョー・ギンザ・シティと言われてもよく分からない。自分の知る銀座とはあまりにもかけ離れているし銀座であったとしても銀座のどこであるかが分からない。


 とりあえず、ここは銀座のどこにあるのかを訊こうと源二が口を開いた瞬間。

 きゅるるる、という小さな音が室内に響き渡った。


「……ん?」


 ヨシロウが怪訝そうな顔をして源二を見る。


「……腹、減ってるのか?」


 そう言われ、源二は自分が空腹であることに気が付いた。

 車に轢かれる直前はいつもの蕎麦屋で腹を満たした後だったが、今こうやって空腹であることを考えるとかなりの時間気を失っていたのか。


「……あ、ああ……」


 気まずそうに源二が頷く。

 そんな源二に、ヨシロウはやれやれと肩をすくめてみせた。


「しゃーねーな、飯くらいは出してやるよ」


 一応はお前を保護した手前、帰るまでは責任くらいとる、と言いつつヨシロウが部屋を出る。

 思わずヨシロウの後を追い、源二も部屋を出た。

 部屋を出ると薄暗い廊下があり、その先にダイニングキッチンらしき部屋があった。

 テーブルには乱雑にパウチ飲料やエナジーバーの物らしき袋が乱雑に置かれており、ヨシロウの食生活がかなり荒れているだろう、ということが想像できる。


 俺にもエナジーバーを出すのだろうか、と源二がヨシロウの後ろ姿を見守っていると、ヨシロウはキッチンに置かれた機械を操作し始めた。

 あれは見たことがある、3Dプリンタだ、と思うものの、キッチンでいきなり3Dプリンタを動かすという意図が分からない。「飯は出す」と言うのに3Dプリンタを動かすという行為が食事と全く繋がらず、源二が困惑する。


 源二が困惑している間に3Dプリンタは思いの外静かに、素早く動いて立体物を出力していく。と、同時に嗅いだことがあるような匂いがキッチンに漂い始めた。


「……?」


 この匂いはかなり薬品臭いが、確かに食べ物の匂いがした。

 と、いうことは、と源二が3Dプリンタを凝視する。

 その視線に気づいたか、ヨシロウはちら、と振り返って源二を見た。


「なんだ? フードプリンタが珍しいのか?」


 フードプリンタ。その言葉に源二の目の色が変わる。

 実用化していたのか、という驚きとそれで作られた料理を食べられるのか、という期待が源二の胸を満たす。この世界がどのようなものかはまだ全く分からないが、少なくとも自分がいた東京に比べてはるかに科学技術が発達した場所であるということを、フードプリンタを見て実感する。


 フードプリンタは源二が東京にいたころにネットニュースで開発が進んでいるという記事を見たことがある。大豆のタンパク質や各種食用油から作られたフードトナーで作られたステーキ肉が海外の高級レストランで供されるといった話も聞いたことがあり、源二も興味が尽きない分野であった。


 元々作ることも食べることも好きな料理の話である。フードプリンタが普及し、普通の家庭にもあると考えるとそれだけで心が浮ついてしまう。

 何が出てくるだろう、どんな味だろう、と期待に満ちた目で源二が出力される料理を見ていると、ヨシロウは呆れたように源二を見た。


「なんだ、お前フードプリンタも買えないほど貧乏だったのか? いいよいいようちでしっかり食べてくれ。最低限の栄養補給しかできない栄養ペレットニュートリションは安いが俺もあまり好きじゃないんだ」


 ヨシロウがそんなことを言っているうちに出力が終わり、皿の上に一つの料理が出来上がる。


「ほらよ」


 フードプリンタから料理を取り出し、ヨシロウはそれをテーブルに置いた。

 ヨシロウに促されて源二がテーブルに着き、皿の中の料理を見る。

 オレンジが掛かった赤い粒状の物の上に黄色い、半固形状の物体が乗っている。さらにその上に赤いペースト状のものが乗った料理。全体的には精度の荒い3Dプリンタで出力されたような無機質的な印象を受けるが、それは確かに食べ物の形をしていた。


「オムライス!」


 思わず源二が声を上げた。

 ああ、とヨシロウが小さく頷く。


「ちょうどトナーを切らしかけていて炭水化物とタンパク質、調整剤しか残ってなかったんだよ。あとは安売りで買った調味ペースト・赤が余ってたからオムライスにした」


 とりあえず食えよ、とヨシロウが源二にスプーンを手渡す。

 スプーンを受け取り、源二はまず両手を合わせた。


「いただきます」

「やけに行儀がいいな。行儀がいい奴は俺は好きだぜ」


 そんな軽口を聞きながら、源二がオムライスを掬い、口に運ぶ。


「……」


 一口、口に入れた瞬間、源二の心が「無」になった。


「? どうした?」


 源二の反応に、ヨシロウが不思議そうに源二を見る。


「……プリントフードって……味気ないんだな……」


 ぽつり、と源二が呟いた。

 呟いてから、それでも残すのは勿体ないと次々にオムライスを口に運ぶ。


「味気ない、って……」


 源二が何を言っているか理解できない、と不思議そうな顔をしたヨシロウだが、すぐに何かに気付いたような顔をする。


「え、プリントフードって見た目だけのものだろ。味覚投影はどうした?」

「味覚投影?」


 ヨシロウの言葉に、源二も不思議そうな顔をする。

 源二の知るプリントフードは食感も味も本物に似せた代用食、というものだった。高級レストランで供されるくらいだからそれくらい再現されていないとクレームが来る。


 しかし、今源二が食べているオムライスは味らしい味がしなかった。一応は炭水化物らしき味とタンパク質らしき味はする。しかし、それだけでオムライスの味は全くしない。

 つまり、ヨシロウの言う通りこの世界のプリントフードは味が付けられておらず、味覚投影というものを使って味を付ける、ということなのだろう、と源二は解釈した。とはいえ、その味覚投影が何かは分からないし、分からないものは当然試すことができない。


 首をかしげる源二に、ヨシロウはうへえ、と表情を変える。


「お前、味覚投影の仕方知らないのかよ。BMSで味覚アプリ起動してレシピ選択すりゃ行けるだろ」

「……BMS?」


 聞きなれない言葉に、源二はさらに首をかしげる。

 え、とヨシロウが声を上げた。


「え、ちょ、おま……」


 信じられない、といった面持ちでヨシロウは空中に指を走らせた。

 まるでそこにタッチパネル式のウィンドウがあるかのように指を動かし、それからマジか、と低く呟く。


「お前、BMS入れてないのか!?」

「だからBMSって何なんだよ」


 あまりにも知らない単語が頻発して、源二の頭は混乱している。

 どうやらこの世界は本当に自分の知らない技術で満ちているようだ、と実感し、少しだけ途方に暮れる。


Brainブレイン Mappingマッピング Systemシステム、略してBMS。ぶっちゃけ、電脳のことなんだが?」

「電脳……」


 源二が繰り返す。

 電脳は聞いたことがある。サイバーパンク系のSF作品でよく見かける、「人間の脳をコンピュータのように利用する技術」のことだ。

 そこまで考え、源二はえっと声を上げた。


「……俺、一体どこに来たんだ……?」


 トーキョー・ギンザ・シティと言われる科学技術が発達した都市、フードプリンタ、そして電脳。

 あまりにも自分の知る現実とかけ離れているが、確かにここに存在する現実。


 ここで、漸く源二は今の自分の立場を理解した。

 未知の世界に訪れた異邦人ストレンジャー

 運よく、お人好しのヨシロウに助けられたが、ここからどうしていいか分からない。

 帰れるのだろうか、という思いが一瞬源二の胸を過るが、その思いはすぐに否定される。


 そもそも帰り方が分からない。帰ることができるかどうかも分からない。

 もしかしたら、一生ここで生きなければいけないかもしれない、不安。


 その源二の不安はヨシロウも気づいたのだろう、どうする、とヨシロウも自問していた。

 これはどうやらとんでもないことに巻き込まれたらしい。

 その思いは、源二もヨシロウも同じだった。


「……とりあえず、食えるか?」


 味しないなら無理に食わなくても、と言うヨシロウに、源二は首を振り、残りのオムライスを口に運ぶ。味はしないが、食べなければ生きていけない。

 少なくとも今この瞬間を生きるために。


 源二は自分が置かれた立場を受け入れようとするかのように、味のしないオムライスを口に運び続けた。

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