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第2話「現実と非現実の狭間で」

 一瞬、源二は自分がどこにいるのか理解できなかった。

 薄暗い室内、真っ先に視界に入ったのは見覚えのない天井。


——どこだここ!?


 見上げた天井に見覚えがないことで、源二は一気に意識を現実に引き戻された。

 がばり、と身体を起こし、周りを見る。

 服やパウチ飲料のごみが散らばる室内、薄暗いのは照明が点いていないからだが、それでも視界が確保できる程度には室内はぼんやりと照らされている。

 その光源が窓からであることに気付き、源二は視線を窓に投げた。


 壁一面がガラス窓になっているのはここが高級マンションの一部屋だからか。

 ブラインドは下げられていたが、その羽根は完全に閉じられておらず、外からの光が部屋に差し込んでいる。


 ゆっくりと立ち上がり、源二は自分が見覚えのないTシャツとスウェットパンツをはかされていることに気が付いた。


——誰かが俺をここに連れてきたのか?


 目が覚めたばかりなのか、記憶が定かではない。確か、仕事の帰りにいつもの蕎麦屋でそばを食べて自分は家に帰ったはずだ、と考え、いや違う、とその記憶を否定する。

 自分は家に帰っていない、何故なら——。


 そうだ、と源二は思い出す。目が覚める直前、自分がどのような状況にいたのかを。


「……そういえば俺、車に撥ねられ——てない?」


 少しずつ、もやがかかっていた源二の記憶がクリアになっていく。

 あの時、源二は横断歩道で信号無視の車に突っ込まれた。しかし、車にぶつかったという衝撃は憶えていない。つまり、撥ねられてはいない——?


 いや待てあの状況で車が止まれるとは思えん、だとしたらやっぱりあれは夢か? と思いつつ源二は自分の鞄を探した。鞄の中にはスマートフォンがある。とりあえず、今は何時なのか確認してあれは夢かどうかを判断しなければ。


 そう思い、周囲を見るものの源二の荷物らしきものは見つからない。

 まさか、スられた? と焦りが源二の顔に浮かぶ。

 あの鞄には仕事の重要な書類も入っていた。それが盗難に遭ったとなればただでは済まない。それこそ懲戒解雇もあり得るだろう。


「……まずいな……」


 呟き、源二はブラインドの下りた窓を見た。

 防音がしっかりしているのだろう、時折ブラインド越しに光が流れていくのは見えるが、外の音はほとんど聞こえない。光が流れるということは、今は夜中なのか。


 静まり返った部屋の床を歩き、窓の前に立つ。

 そっと手を伸ばし、ブラインドの羽を摘まむ。

 軽く羽を曲げ、源二は外を見た。


「——っ!?」


 思わず息を呑む。

 目の前に広がる景色は、見たことのないものだった。

 階層的にはそこまで高層階ではなく、見たところこの部屋はマンションの三階くらいの高さに見える。

 ただ、外は源二が見慣れたものとかけ離れていた。


 ネオンや電光掲示板が至る所に展開された、高層ビルやマンションの立ち並ぶ、都心。そんな印象を、源二は受けた。


 しかし、違和感を覚える。

 電光掲示板と思ったものは、確かに大型のディスプレイのようであるがその向こう側が透けて見える。まるで大型の透明ディスプレイのような看板サイネージが街のそこここに、当たり前のように設置されている。中には「そんな大きなものまで」と思いたくなるような、天にも伸びるような大型のものもある。


 地上は様々な車がひっきりなしに往来を走っている。いや、視線を上げると空中に透明な道路があるかのように空も車が行き来している。

 どう見ても繁華街。地価だけで言えば相当な家賃になるだろうな、などと呑気に考え、次の瞬間、いやそうじゃない、と首を振る。


 知らない。こんな場所は、知らない。

 確かに源二は都心の繁華街に足を踏み入れたことはあまりないが、この場所はあまりにも源二の常識をかけ離れていた。たとえここが銀座であったとしてもこんなに高層ビルが立ち並んだごみごみした場所ではないし、そもそもビルの壁面いっぱいを使うようなサイネージ、いや、空飛ぶ車なんてものを見たことがない。


 どこだ、と源二は改めて自分に問うた。

 一体ここはどこだ、どうやってここに来た? そう、考えても何も分からない。

 ただ一つ分かるのは、ここは自分の知るということだ。どれだけ発展していても、この街の技術力は源二の知る日本とはかけ離れている。


 改めて源二が地上を見る。雨に濡れた交差点が視界に入る。

 歩道の信号が点滅し、赤になる。

 まるで人々が渡るのを阻むように、赤になった側の光り輝く【STOP】の文字や停止記号が浮かび上がり、それを目安に人々が立ち止まる。


「なんだあれは——」


 信号といえば向かいの歩道の上空に見える信号機のライトだろう、と源二が目を疑う。

 あんな信号見たことがない。いや——空飛ぶ車含めてSFアニメやゲームで描写される街でならお馴染みだが、それが現実に存在するはずがない。


 と、いうことはと源二は混乱する頭で考える。


——ここはSFアニメの世界そういう世界なのか?


 考えて、馬鹿馬鹿しいと思う。異世界なんて存在するはずがない。そんなもの、創作の中だけのものだ。求職中に時間を持て余し、資格の勉強を行う合間の息抜きに読んだ電子書籍でそのような展開は見かけたが、そんなものはただ創作として楽しむだけのもので現実に起こるはずがない。

 起こるはずがない——のに。


 眼下の光景をもう一度凝視する。現実にはあり得ない信号が実在している。


「……」


 思わず、源二は自分の頬をつねった。頬に爪が食い込む感触と、その後にじんわりと広がる痛みはこれが夢ではなく現実だと語りかけている。


「……夢、じゃない……?」


 いや、そんなことがあるはずない。頬が痛いのも痛みを感じる夢なのだ、早く目覚めろと自分に言い聞かせるが、心のどこかでは「これは現実だ」という思いが浮かび上がっていた。

 こんな時、もっと取り乱すべきなのだろうが、源二は何故か醒めていた。どうせ目が覚めてもいつもの社畜としての日常が戻ってくるだけ、それならこのまま目覚めなくてもいいのではないかという思いも出てくる。


「……」


 もう一度、眼下の交差点を見る。信号が切り替わり、歩く人間の方向が変わる。

 それとも、ここは死後の世界だろうか。死後の世界って意外とハイテクなんだな、と考えると妙に説得力が増してくる。

 そんなことを考えていると、源二の背後で扉が開いた。

 誰だ、と源二が身構え、振り返る。


「……あー……。起きたか」


 ポリポリと頭を掻きながら部屋に入ってきたのは一人の男だった。

 ボサボサの黒髪にTシャツ、スウェットパンツ姿の男の言葉ははっきりと源二が認識できる日本語だった。


 言葉が通じる、というだけで源二の緊張は一気に解けた。

 完全に緊張が解けたわけではないが、それでも言葉が通じるだけでハードルは一気に下がる。


「あんたは……」


 男の言葉に、源二が真っ先に口にしたのは「誰だ」という言葉だった。

 まずは相手が誰かを把握しないと対話は難しいだろう、とどこか冷静な自分の思考に驚きつつも、源二は男の出方を窺う。

 源二の問いに、男は「あー……」と面倒そうに呟いた。


「……まぁ、そりゃ、誰かくらいは訊くか……」


 気まずそうな顔で男が唸り、それから改めて口を開く。


「俺はイナバ・ヨシロウ。そういうお前は?」


 訊かれたら訊き返すのが自己紹介の流儀である、と言わんばかりにヨシロウと名乗った男が源二を見る。


「俺は……山野辺源二。あんたが俺をここに?」


 とりあえずは状況の把握が先決である。

 源二がそう尋ねると、ヨシロウはああ、と頷いた。


「買い出し帰りに通ったスラム街で倒れてるお前を見つけてな……。あんなヤバい場所に放置しておくのもアレだから連れて帰ってきた。ああ、服は洗濯してるぞ」


 ヨシロウの言葉に源二がスラム街? と繰り返す。

 日本にもドヤ街と呼ばれる、スラム街とも言える場所があるのは知っていたが、源二はそんな場所に踏み込んだ覚えはない。それとも車に撥ねられてそこまで飛ばされたのか? などと荒唐無稽な考えが脳裏をよぎるがだとしたらここは完全に死後の世界になってしまう。


「ここは……あの世なのか……?」


 何も分からず、源二がそう呟く。

 その言葉を聞いた瞬間、ヨシロウは「はぁ?」と声を上げた。


「何言ってんだ、二日酔いでもそんな寝言は言わねえぞ」

「じゃあここは」


 あの世ではないとすれば一体ここはどこなのか。

 源二のその問いに、ヨシロウは再び頭を掻いて気だるそうに口を開いた。


「あぁ? ここはトーキョー・ギンザ・シティだろうが。この街にいる奴はほとんどがこの街で生まれてこの街で死ぬ、それともお前は別の街から流れ着いた流れ者なのか?」


 何を当たり前のことを、と言わんばかりの顔で、ヨシロウはそう、説明した。

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