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第3話

「どうしようかな…」


 周りを見渡すが、暗くなって不気味にたたずむ木々があるだけだった。とりあえず、むやみに動かない方がいいと思い、目だけで校舎の明かりを探してみる。

 しかし、背の高い木は校舎の光を遮ってしまい、上を見ても光を見つけられなかった。


「あ、スマホあるじゃん!…って、充電切れてる…」


 そういえば部屋を出るときに充電が5%しかなかったのを思い出した。部屋に戻ってから充電すればいいと思ってたので、モバイル充電器などもない。

 本当に困った。暗すぎる。暗いのは得意ではない。お化け屋敷なども何かと理由をつけて入らなかった。


「たしか、銀杏はこっち側に歩いて行ったよな…」


 怖いことには怖いが、ここでずっと座っている方がもっと恐ろしい。勇気を振り絞って行動しなければいけないと思った。

 銀杏が向かったであろう方向に進もうと思い立ち上がった時だ。

 奥の木が少しだけ動いた気がした。急にドッドッと心臓の音が早くなる。


「(気のせいだ)」


 そう思っても心臓の音は早くなる一方だし、変な汗まで出てきた。足が竦んで動かない。俺は自分が思うより怖がりなことに今更気づいた。


 ガサガサと木の向こう側から音がした。それはどんどんと俺の方に近づいている。誰か人が来てくれたのかと思った。

 でも、こんな時間にここに来る人なんているか?

 姿は見えない。暗い闇の中から音はどんどんと近づいている。心臓の鼓動が頭に響く。呼吸も浅くなっている。


「(無理だ。動けない…夏樹…!)」


 もう音は近くまで来ている。俺はとっさに目をぎゅっとつぶった。


「いつまでここにいんだよ」


 目を開けると、銀杏がいた。


「あ…銀杏…」

「ついてくる気配ないから引き返してきたんだよ」

「あ、え…そうなんだ。ごめん」

「…早く来い。飯が食えなくなる」

「う、うん」


 銀杏が歩き出す。今度は置いて行かれないように、銀杏の背中を追いかける。

 歩いている間、銀杏は何も話す気配はなかった。この道に慣れているのか、銀杏は迷うことなく進んでいく。


「い、銀杏はよくここに来るの?」

「よくっていうかほとんど。春園の野郎がうるさいから」

「そうなんだ」


 やっぱり、春園会長と何があるのか…


「お前、このこと春園にチクったらうるさねえから」

「言わないよ!?」

「ほんとかよ」


 銀杏は俺のことを疑っているようだた。もうすぐ目の前に校舎が見える。


「本当だよ。俺も面倒な事には巻き込まれたくないし」

「あっそ」


 校舎の方まで出ると、銀杏は何も言わずに食堂の方へ歩いて行った。

 何かお礼をしないとと思い、俺は食堂の隣にある購買に入った。そこで缶コーヒーとポテトチップスを買った。

 銀杏が何が好きかわからなかったので、適当というのは聞こえが悪いが仕方ない。

 食堂に行き、銀杏を探す。見渡すとおぼんを持って、学食の受け取り口にいる銀杏を見つけた。

 俺は銀杏のところまで走っていき、おぼんの上にコーヒーとポテトチップスを乗せた。

 それを見た銀杏が怪訝そうな顔で俺を見た。


「何してんだ。お前」

「お礼。銀杏が戻ってきてくれなかったらあそこで一晩過ごすことになってたから」

「…」

「ありがとう。じゃあおやすみ」

「あ、おい」


 俺は小走りでその場を去った。

 銀杏は目立つので一緒にいるだけで俺にも視線が来る。お腹も空いていたが、今は部屋に戻って寝たい。

 さっきも寝たが、暗闇の恐怖が精神的に来ている。一番、ベッドの上が安心する。早く部屋に帰りたい。


 銀杏が来てくれたおかげで、一人の時よりは恐怖心はなくなっていた。だが、いつまでも心臓の音が鳴りやまない。

 俺は足早に廊下を進む。もう目の前に部屋の扉が見える。ドアノブに手をかけようとした時、後ろから声が聞こえた。


「はじめ!」

「~っ!!??…夏樹?」

「ご、ごめん、そんなに驚くとは思わなかった」


 俺は驚いて、肩が大きく揺れた。夏樹は少し笑いながらも俺に謝っている。


「はじめ?どうしたの?」

「…うぅ、夏樹ぃ」

「えー!なになに!?どうしたの!?」

「俺っ…やっぱり暗いの無理だぁ…」

「え?何?どういうこと?!」


 夏樹の顔を見た瞬間、心臓の音も静かになっている。安堵が急に来た。安心して緊張の糸が切れたのか、涙が溢れてきた。高校生になって泣くなんて恥ずかしいと思う。

 それでも小学生の時から友達である夏樹の前では、そんな事気にする必要ないと思った。

 俺がずっと「グスっグスっ」と泣き止まないのを見て、夏樹が慌てながら俺のカバンから部屋の鍵を取り出し部屋の中に入れる。


「ううー」

「どうしたんだよ~はじめ~」


 夏樹が俺をなだめながらソファーに座らせようとする。しかし、俺はベッドに行きたかったので夏樹の袖をつかんでベッドのように行く。

 もう着替えるのもめんどくさい。このまま、寝よう。夏樹なら許してくれるだろう。

 ベッドの近くまで来たら、歩くことすらも嫌になった。夏樹の袖を掴んだまま、俺はベッドに倒れ込んだ。

 「うわ!!」と夏樹の声が聞こえたが、そんなことも気にする暇もなく俺は夢の世界に入っていてた。







「いてて…何してんだよ、はじめ~」

「…」

「はじめ?」

「…」

「はあ…」


 はじめに袖を引っ張られ、そのままベッドへ倒れてしまった。はじめを下敷きにしないように、足と腕で自分の体を支える。

 この体制はまずい。はじめの顔は近いし、俺がはじめを押し倒しているように見える。四季が見ていたら発狂して、俺とはじめをすぐに引き離していただろう。

 あいつの…四季のはじめへの執着は異常だ。四季のことだから、この部屋にも何かしら仕掛けていそうだし…


 はじめの顔を覗く。目に涙が少し滲んでいる。何があったのか、どうして泣いているのかはわからない。


「(明日、聞いたら答えてくれるかな…)」


 右手ではじめの頬を撫でる。すごく無防備だ。信頼されているからだろうなぁ。

 はじめにとって俺は、ただの幼馴染で、同級生で…ただの友達だから。


プルルルル、プルルルル、プルルルル…


 突然、ズボンの後ろのポケットに入れていたスマホから着信音が鳴った。


「…四季からか」


 スマホの画面には『四季』と書かれていた。珍しい、四季からの連絡なんて滅多に無かった。あるとすれば、はじめ関連だ。まあ、今回もそうなんだろうけど。


「もしもし?」

『兄さんに手出したら、ただじゃ済まないからな』

「…出してないよ」

『兄さんのスマホに繋がらなかったから、あんたにかけただけだから』

「はいはい」

『兄さんに代わって』

「はじめは寝てるよ。分かってるだろ」

『…』


 四季はいつだってタイミングがいい。俺にとっては悪いけど。はじめと俺が二人きりになると、決まって四季は現れる。

 いろいろと、予想は出来る。そして、星城学園は全寮制だ。生徒は今まで住んでいた家を離れて学園に来る。

 はじめへの執着が異常な四季にとって、数か月でも離れることは耐えられないことだろう。

 隠しカメラか盗聴器か。何かしら仕掛けてもおかしくないと思っていたが…この反応から考えるに本当に仕掛けているんだろう。


「はじめには言わないから安心しろよ。」

『…何が目的?』

「…別にそういうのもないよ」

『嘘つけ』

「嘘じゃないって」


 いくら四季がはじめの弟だからといって、犯罪は犯罪だ。

本当は、やめさせないといけない。でも、俺が言っても四季が言うことを素直に聞くはずない。


「…はじめは俺のこと、ただの友達としか思ってないよ」

『ふん、そうだろうね』


 寝ているはじめの横に腰を掛ける。はじめの顔を見ると、もう涙も止まったようだ。今はすやすやと静かに眠っている。昔から変わらない。

 横向きになって寝ているからか、口がほんの少しだけ開いている。シーツとくっついている頬がぷにっと膨らんでいる。


「ははっ」

『何笑ってんの』

「…まだ…友達だからさ、ちゃんと意識してもらわないとだよな」

『…は?』

「じゃ!俺、頑張るから!四季も勉強頑張れよ~」

『はあ!?ちょっ!?ふざけんな!待て!なー』


 四季が話しているのを無視して『終了』のボタンを押す。


 俺は、はじめと向き合う形で横になった。多分、このまま友達のままでいることが一番いい関係なんだと思う。

 友達のまま、ゲームして、話して、遊んで…肩を組んで、はじめの隣を歩くことが出来るだけで幸せだ。

 少しの心苦しさを我慢すれば、すごく楽しくて嬉しいと思う。ちょっと我慢すれば…



「でも…頭では分かってても…はじめの特別になりたいんだ」


 はじめの頬を撫でる。右手に、はじめの体温が伝わる。さっきまで外にいたからか、やや冷たい。

 足元に丸まった掛布団を掴んで、体にかぶせる。さすがに、男二人だと少し狭い。布団の幅もちょっと足りないので、出来るだけはじめの方に寄った。

 はじめは呑気に眠っている。


「おやすみ、はじめ」








「はあーーーーー…」


 昨日は、いろんなことが起こりすぎた。生徒会長に会うわ、銀杏に会うわ、森の中で迷子になるわ。

 迷子は銀杏が助けてくれたし、そのあとも夏樹に会ったから安心はしたけど…高校生にもなって人に迷惑かけすぎているよな。

 これは弟も心配するか…するのか?まあ…がんばろ。


 とりあえず、早く部活動を決めないといけない。仮入部期間は来週いっぱいだけなので、もう決めないと仮入部すら出来ない。

 しかし、今日も俺は校舎をぐるぐると回っているだけで何も決まらない。体育館やグラウンド、特別棟の教室からは様々な部活動をする生徒の声が聞こえる。

 でも、どれもピンとくる部活はなかった。


「どうしようかな…」

「困り事かい?」

「うわああああ!」


 廊下を歩いていると、後ろから左肩を掴まれた。驚きながらも、後ろを振り返ると春園会長がいた。なんだかデジャブを感じる。


「せ、生徒会長」

「すまない、また驚かせてしまったね」

「い、いえ大丈夫です」


 どうしてこの人はいつも後ろから現れるのだろう。部活紹介の時はオーラが出ていて存在感が強かった。だけど、前回も今回も声を掛けられるまで気づけなかった。…忍者の家系とかなのかな。そんなことあるわけがないが。


 春園会長の実家は、日本だけでなく海外でも有名なファッションブランドの会社を経営している。

 この学園には御曹司が山ほどいるが、その中でも春園会長はトップレベルでお金持ち…らしい。全部、春人からの情報だけど。


「それで何に困っているのかな?」

「あー、そんな…生徒会長に話すほどの事じゃないですよ。ははは…」

「遠慮せずに話してくれてかまわないよ」

「え、いや、あの」

「何に困っているんだい?」


 圧が…すごい…生徒会長に両肩を掴まれているのに加え、顔がすぐ近くまで来ている。

 近くで見れば見るほど、綺麗な顔をしている。会長の金髪が太陽の光に照らされて輝いている。よく見れば会長の瞳も金色までとは言わないが黄色と色素が薄めだ。しかも、まつ毛まで黄色だ。

 夏樹や銀杏も髪や瞳、まつ毛の色は攻略キャラ特有の色をしていた。しかし、会長はその中でも一番印象に残る見た目をしていた。


「おーい、聞こえてるかい?」

「…綺麗ですね」

「…ん?」

「えっ、あ、すいません…つい」


 咄嗟に片手で口を覆う。自分でも無意識に口走ってしまった。綺麗と思ったことは事実だが、男に綺麗はあまり快くないよな…どうしよう、何かいい言い訳を…


「ははは!驚いたな。これは、僕のことを口説いているのかな?」

「え!?ち、違います!」

「おや、違うのか」

「髪の毛が光に当たって綺麗だったので…自分でも無意識に言ってしまったというか」


 会長は腕を組んでクスクスと笑っている。


「すいません…」

「ふふふ、別に平気だよ」


 今すぐにでも、この状況から逃げ出したい。自分の無意識発言が恥ずかしいのもある。

 だけど、このまま会長といると生徒会に誘われるかもしれない。それだけは避けたい。


「あ、俺もう行きますね…」

「部活に悩んでいるなら生徒会はどうだい?」


 言われてしまった…会話の発端をもう忘れてくれたと思っていたのに、覚えていた。というか、何に悩んでいるかも見透かされてた。

 後ろを振り返って歩き出そうとした瞬間、再び右肩を春園会長に掴まれた。仕方がないので、会長の方を向く。

 適当に言い訳を考える。


「俺なんかが生徒会に入っても足手まといですよー」

「僕が・…君にそばにいてほしいと思ったんだ」

「はい?」


 予想もしていない言葉に戸惑ってしまった。そのまま何も言えず、開いた口もふさがらなかった。


「どうだい?ときめいたかい?」

「え?…え?」

「今、君を口説いているんだけど」

「え、あー…。はは、会長は冗談もお上手ですね」


 そういって俺は苦笑をこぼす。俺のことをフォローをしているのか?よくわからないが、とりあえず笑っておこう。

 それでも、会長はなんだか納得いっていないような顔をしている。

「…?」

「冗談ねぇ…」

「春園会長?」

「まあ、いいか。とりあえず、入る部活が決まっていないなら生徒会に仮入部しよう」

「いや、俺は…」

「もう部活が決まってるのかい?」

「そういうわけでは…」

「じゃあ構わないだろう」


 春園会長は一向に引く気配を見せない。

 俺が縦に首を振るまで、俺を逃がす気はないらしい。ここは仕方がないが、会長の言うことに従うしかないだろう。


「わ、かりました」

「今日はもう活動も終わる。明日、生徒会室で待っているよ」

「はい…」


 そういうと春園会長は歩いて行ってしまった。心なしか、後姿が上機嫌なように見える。


 やっと解放された…すると、お腹からグ~と音が鳴った。会長との会話で疲れたのか、いつもよりお腹が空いている。

 俺は夕食を食べるために食堂の方へ足を進めた。


 明日は強制的に生徒会室に行くことが確定してしまった。憂鬱な気持ちもあるが、興味はほんの少しだけあった。

 前世でも生徒会などには縁はなかった。それに、こんな大きな学園の生徒会がどんな感じなのか気になりはする。

 複雑な気持ちを抱えて、俺は今日の食堂のメニューは何があるかを考えていた。


「そばとか無いかな。そばの気分」




「え!?はじめ生徒会入るの!?」

「まだ入るって決めてないけどね」


 教室に春人の声が響き渡る。今は昼休みで教室の中は騒がしい。そんな中、春人の声はよく通った。

 何人かがこちらを向くが、すぐに自分たちの話に戻っていった。


「なんで生徒会!はじめ興味なさそうだったじゃん!」

「昨日、生徒会長に誘われて…断れなくて」


 拒否権なんてなかったが…春人は、なぜか両手で頭を抱えている。


「春人?何してんの?頭痛?」

「なんで生徒会長まで…」

「え?会長になにかあるの?」


 そういってから春人は一人でぶつぶつと何かつぶやいている。


「春人?」

「…あ、ごめん~自分の世界入ってた~」

「はあ?何それ」

「ごめんごめん」


 春人はヘラヘラと笑っている。すると、春人は自分の椅子を俺の隣に移動させた。そして俺の右腕に抱きつくように左腕を絡めてきた。


「なに?どうしたの?」

「あれ、腕組むの嫌じゃない?」

「え?ああ、弟が抱き着く癖あったから。なんか慣れた」

「ふーん…」


 そういうと春人は肩に頭も乗せてきた。四季もよく、腕を組んできては肩に頭を乗せたりとくっつく癖があった。

 学園に入学してからはなかったので懐かしい感覚が出てきた。そのせいなのか、俺も無意識に春人の頭の方に自分の頭を傾けていた。春人の頭と俺の頭が当たる。

 その瞬間、春人は驚いて頭を上げた。春人と俺の頭が思い切りぶつかる音がした。


「いった!!」

「痛ぃ。ごめんびっくりして…」

「いや、俺も癖で。ごめん…」


 ぶつかった部分が少しズキズキする。痛む所を手で撫でていると、春人もその部分を撫でてきた。


「ごめん。痛む?」

「大丈夫、そこまで痛くないよ」

「はじめ、癖でって言ったけど…弟くんも同じことしてたの?」

「あー、そうそう」

「…これは主人公も攻略されてるかもなぁ」

「はあ?攻略って、そんな事してないよ」


 春人は何を言い出すかと思えば…俺が攻略なんて出来るはずがない。そもそもこのゲームの内容も知らなかったわけで、今まで普通に生きてきた。恋愛対象が男ではないし…

 というか、まず恋愛というものをしてこなかった気がする。前世でも今世でも、俺は誰かを好きになったことあるのだろうか。友達がそういう話をしているのは聞いてたし、何か話していた気がするが…


…どうやら俺は恋人は愚か、好きな人すらいたことはなかったらしい。


「はじめ?話聞いてる?」

「あ、ごめん。考え事してた」

「はあ。もう一回言うからちゃんと聞いてて」

「はい…」

「あんまり攻略キャラと仲良くならないで!」

「…はあ?どういうこと?」

「だっておかしいもん。攻略キャラ達がはじめに興味が出てきてるのなんて」

「興味なんて持たれてないだろ」

「持ってる!現に生徒会長にスカウトされたじゃん」


 それは確かになんでだろうと思ったが…


「それでも、なんで仲良くなったちゃいけないの?」

「それは…」

「別に悪い人達ではないんだろ?仲良くしといた方がいいんじゃ」

「だって…」

「?」

「だって、はじめ…僕の事なんかどうでもよくなっちゃうでしょ」


 春人は少し悲しそうな顔をしていた。横からでも分かった。

 春人にはたくさんの友達がいるし、入学して一週間も経たずにクラスの大半の生徒と仲よくなっていた。

 そんな春人と真反対の俺。前世を覚えているというだけの共通点でつながっている。俺にはそれだけで春人は特別な存在だし、クラスにすぐに馴染んでいく春人を尊敬していた。

 俺が春人のことを忘れることはないし、どうでもよくなることなんてない。むしろ、春人の方が俺の事なんて見なくなると思っていた。…春人も俺と同じ気持ちがあったのかな。


「そんなわけないだろ」

「ほんと?」

「俺にとって春人は特別だよ」

「…はあ?!何言ってるの?!」


 春人は椅子から立ち上がって大きな声を出した。その声も騒がしい教室の中では微々たるものだ。


「前世を覚えてるなんて頭のおかしい事、親にも話した事なかったから。それを話せる春人は特別だよ」

「…あ、あー。そういうねぇ」

「うん」

「僕も…はじめは特別だよ」

「うん、だからどうでもよくなったりなんてしないよ」

「ありがと」


 春人は安心したように笑って再び椅子に座った。そして、タイミングを計ったかのように授業五分前のチャイムが鳴った。

 教室の中の生徒は授業の準備を始め、徐々に静かになっていった。


「はじめ、夕飯は一緒に食べようね」

「うん、いいよ」


 そう言った春人の笑顔が輝いているように感じた。






 放課後、俺は生徒会室へ重い足を運んだ。扉の前に立つだけで胃が痛い。しかし、このまま立っているわけにはいかない。

 勇気を振り絞り生徒会室の扉にノックをした。そして恐る恐る扉を開ける。


「失礼しまーす…」

「ようこそ!生徒会へ!」

「?!」


 扉を開けると目の前に春園先輩が立っていた。相変わらずの整っている顔面と声に目がくらむ。


「よく来てくれたね。中に入り給え」

「…はい」


 中に入ると、そこは本当にゲームのような生徒会室が広がっていた。左には背の高い本棚があり、右には生徒会役員が作業をするための机とソファー。

 窓際には花が飾ってあり、ここだけ違う教室のようだ。そして、一番奥には生徒会長と書かれた札と一人用の大きめの机と椅子があった。


「今、生徒会のメンバーはみんな出ていてね。僕だけで申し訳ないが歓迎するよ」

「ありがとうございます」


 確かに教室の中には俺と生徒会長以外に誰もいなかった。春園会長に促されソファーに座る。

 ソファーに座ると、紅茶が机の上に置かれた。


「紅茶は飲めるかい?」

「はい、ありがとうございます」

「ロンネフェルトのアイリッシュモルトだ。口に合うといいのだが」

「いただきます」


 正直、紅茶は飲んだことがほとんどない。苦手だったらどうしようかと思ったが、意外と飲めた。


「美味しいです」

「それならよかった」


 それから春園会長が生徒会についての説明をしてくれた。話の内容をまとめると、生徒会は主に雑務が多い。

 体育祭や学園祭、部活や委員会の集会の準備など。結構、聞いた限りは楽そうだった。それに役員の数も他の部活に比べて少ないが、多いようで人手不足のようなものもなさそうだった。

 特にやりたい部活もなかったので、入ってもいいかもしれない。


「どうだい?生徒会は」

「…正直、いいと思います」

「それは良かった」

「…」


 この会長の思惑通りのような感じで少し悔しいが仕方ない。


「生徒会、入ります」

「そういってくれると思ったよ」


 春園会長は笑って会長机の方へ歩いて行った。引き出しから一枚の紙を取り出して、俺の目の前に置いた。

 そこには「入部届」と書かれていた。そして、その下に氏名と書いてある。


「ここに名前を書いて担任に渡せば、君は生徒会の人間になれる」

「…ありがとうございます」

「今、名前を書いてくれ。ボールペンが無いなら貸すよ」

「いやあるので大丈夫です」


 紙を受け取り、名前を書いた。そして、カバンの中のファイルにしまった。

 春園会長は俺の目の前のソファーに向き合うように座り、足を組んで、紅茶を一口飲む。


 同じ高校生のはずなのに…もっと言えば、俺の方が精神年齢的には年上のはずなのに、同じ紅茶を飲んで、同じ空間にいるはずが世界が俺と会長で二分化させているようだった。

 窓から光が差し込んで、会長の顔を照らす。ティーカップを机に置いて、黄金色の目で俺のことをまっすぐ見る。

 なんだか捕食されるウサギになった気分だ。


「本当は銀杏優を生徒会に誘う予定だったんだけどね」

「え?」

「君に興味が湧いたんだ。だから入ってくれて嬉しいよ」

「そ、そうなんですか」


 だから銀杏のことを探していたのか。でも、なんで俺に興味が湧いたんだろうか。春園会長とは二回しか話したがないのに、どうして俺なんかに…


「これで僕が渡せるたった一枚の生徒会への入部届の紙はなくなってしまった」

「…はい?」

「ん?」

「え、どういうことですか?会長が渡せる生徒会の入部届って…」

「ああ、生徒会には生徒会役員が持っている入部届をもらわないと入ることが出来ないんだよ。知らなかったかい?」

「…知らない、です」

「ちなみ生徒会役員が持っている入部届は一枚だけ。生徒会長が持てるのも一枚だけだ」

「…」

「ただし会長・副会長・書記・会計以外の役員の持っている入部届は推薦と同じだ。面接をして不適当だと感じたら落とされる。その役員も生徒会からは外される」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「しかし役職のある役員の入部届はストレートで生徒会に入ることが出来る。誰もが欲しがるお墨付きだよ」


 そんな事…春人も言っていなかった。それじゃあ…


「君は、生徒会長のお墨付きをもらったわけだ。嬉しいだろう?」

「は、はは…」


 俺は会長の言葉に苦笑いをするしかなかった。生徒会長のお墨付入部届なんて、俺がもらっていいものではないことはすぐに理解できた。

 しかし、入部を取り消そうにも、ボールペンで名前を書いていしまった。もう取り消しができない。


「よろしくね。佐倉一君」

「会長の…ご期待にそえられるよう、がんばります…」

「さっそく明日から仕事を教えよう。放課後、また」





 どうして俺が生徒会長のお墨付き入部届を持っているのか、未だに理解できない。

 生徒会長とは二回しか話した事がない。しかも、ほんの一言二言…断るにも生徒会の仕事は俺にとって魅力的だった。

 役員数もそこそこいるから仕事も均等に分割されていて、忙しいのは行事があるときだけ。だけど、忙しいのは生徒会長や副会長などの役職持ちのみ。

 俺はまだ一年生だし、役職持ちになることはないだろうから、さほど大変ではないだろう。出来れば楽に平穏に過ごしたい。そんな俺にとってちょうどいいと思ってしまった。

 しかし、生徒会に推薦制という制度があるとは思わなかった。

 春人もそんな話しなかったし、部活紹介でもそんな話…してたのかもしれない…春園会長にばかり目がいっていたから聞き逃したのかもしれない。


 後悔しても入部届を書いてしまったからにはやるしかない。

できるだけ目を付けられないように。平穏な学園生活を送りたい。


 そんな事を思いながら部屋に戻り、勉強机に向かっていた。今日の復習と明日の予習。習ったことがあるものでも定期的に復習しないと忘れてしまう。

 俺は頭がいいわけではないが、していて損はないだろう。


コンコン


 ドアをノックする音が聞こえる。時計は21時を指していた。

こんな時間に誰なのかとドアを開ける。


「よっ!」

「夏樹!」


 ドアを開けるとそこには夏樹がいた。手には数学の教科書とノートがあり、何を言うのか想像が出来た。


「数学の課題で分からないとこあって教えてくんね?」

「だと思った。いいよ」

「サンキュー!助かる!」


 夏樹は数学が苦手で小学生の時から課題を手伝っていた。

夏樹を部屋に入れ、数学を教えるついでに生徒会に入ることを伝えた。


「えー!すげーじゃん!会長の推薦書とか」

「うん。でも本当に俺がもらってもよかったのかな。生徒会長の推薦書とか欲しがる人たくさんいると思うのに…」

「確かにA組の人達は結構生徒会に入りたがっているって聞いたわ」

「うう…本当に俺なんかが大丈夫なのかな」


 考えると胃がキリキリとしてきた。生徒会長の推薦書をもらったからと言って次の生徒会長になるわけではない。生徒会長は立候補制なのでそこは安心した。

 俺が立候補することなんて空から槍が降ってくるほどあり得ない。

 春園会長は一年生から生徒会長に立候補し、二年の先輩を出し抜き当選したらしい。圧倒的カリスマのオーラを放つ春園会長。本当になんで俺が推薦書をもらっているのか。


「じゃあ今からでもサッカー部に…」

「それはない」


 夏樹はあからさまに落ち込んでいる。その姿が犬に見えて仕方ない。犬種を言うならゴールデンレトリバーだろう。耳は垂れて、しっぽも地面に垂れ下がっている。かわいそうに見えるが運動部だけは行かない方が身のためだろう。

 毎日筋肉痛になることが目に見えている。


「まだ一年生だし、そんなに忙しくないと思うから暇なとき部活、見に行くよ」

「まじ!?分かった、スタメンに入れるように頑張るよ!」


 夏樹の顔はすぐに笑顔になった。もちろん尻尾も天井を向いて左右に揺れているのが目に見える。

 全部俺の想像でしかないが他の人が見ても耳としっぽは見えるはずだ。それくらい夏樹は犬に似ている。


「再来週に練習試合があるんだ。俺、最初の方だけ出してもらえることになったんだ」

「え、すごいじゃん」

「最初の方だけだけど、学園のグラウンドでやるから見に来てくれよ。はじめが見ててくれたら俺、頑張れる気がする」

「何それ(笑)俺が見てなくても頑張れよ」

「いつも以上に頑張れるってことだよ(笑)」

「はいはい、見に行くに決まってるだろ」


 俺がそういうと夏樹は「やった」と喜んでいた。それから俺も数学の予習を終わらせ、夏樹の課題も無事終わった。


「じゃ、おやすみ夏樹」

「おやすみ、はじめ」


 俺が部屋の扉を閉めようとした時、夏樹は扉が閉まる寸前で手を隙間に入れた。

 夏樹の行動によって扉は完全に閉まらず、再び開いた。


「なっ!何してるんだよ!手!大丈夫か?!」

「あはは、ごめんごめん」

「ごめんじゃなくて…」

「大丈夫大丈夫!」


 夏樹の挟まれた手を掴んで怪我をしていないか見る。血も出ていないし大丈夫だろうけど、本当に何をやっているのか。


「なんでこんな事したんだよ」

「いや…」

「…?」

「はじめと…」

「俺?」

「…いや、はじめの頭にほこりがついているのが見えて」


 そういうと夏樹は俺の髪の毛をササっといじった。ほこりを取るために?夏樹の行動が理解できなかった。


「ごめんな!おやすみ!」

「う、ううん。ありがと、おやすみ」


 何か別のことを言いたそうな感じがするのに、夏樹はそれを言ってはくれなかった。

 夏樹と入れ替わりで春人が部屋に訪ねてきた。


「はじめ~助けてーつーかーれーたー」


 春人は部屋に入るや否や抱きついてきた。夕食を食堂で食べた後、春人は演劇部の集まり兼練習があると言って別れた。

 今の時間は22時過ぎ、春人と別れたのは19時だ。春人からはシャンプーの匂いがしたのでシャワーは浴びてきたのだろう。

 それを考えてもか結構な時間練習をしていたことは想像できる。抱きついてきた春人をソファーに移動させる。


「お疲れさま、ずっと練習してたの?」

「部員のほとんどは中学で演劇やってた人達ばっかりだから、未経験者の僕は練習重ねないと追いつけない…」

「大変だなあ」

「まあ未経験者は僕だけじゃないし、焦らなくていいっていうのは分かってるんだけど」

「うん」

「それでも圧倒的な実力差に落ち込む」

「春人は努力家だね、尊敬するよ」


 春人は「はじめ~」と膝に頭を擦り付けている。あれだな…春人はめちゃくちゃ甘えたがりな猫だ。ツンデレというわけではないが、つり目なところとか懐き方が猫のようだった。


「あ、春人。俺、生徒会に入ることにした」

「ん~、そうなんだぁ。…え?」

「明日、入部届を先生に渡しに行こうと思って」

「…」


 春人は膝の上にあった自分の頭を上げて、俺の顔を見た。


「うわ~ん!!はじめが取られちゃううー!」

「俺は誰のものでもないんだけど…」


 なんだか面倒くさそうなことが起きそうな予感がしてならない…


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