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第44話 桜と眼鏡と化学室

 早咲きの桜がひらひらと舞い、赤レンガの校舎に降り注ぐ。ちゃんとアイロンのかけられたシャツは、いつものブレザーを羽織ってもなんだか背筋がシャンとした。


 講堂に集まった同級生、あまり真剣に歌ったことのない校歌。こんなにも馴染みのある教室も、木目を覚えてしまった自分の机も、今日で見納めだ。

 明日以降は学校へ入るのさえ、外部の人間として手続きが必要になる。


 寂しいけれど、ずっと受験というプレッシャーに晒されてきた身としては、スッキリしたという気持ちの方が強い。


「寂しいくせに。遠距離恋愛なんて、不安なんじゃない? ――相手が人気者だと特に」


 余裕で地元の大学に合格した武蔵が、からかう口調で声を掛けてくる。卒業式を終え、最後のホームルームを待って教室で喋っている最中だ。


 僕も無事、本命だった大学へ進学する。よっぽどのことがない限り大丈夫だと分かっていたとはいえ、お互い前期で合格できたのには安堵した。


 前期が駄目だった同級生は後期試験に向けて追い込みの勉強中だったりするから、卒業式でも複雑な心境だろう。

 だがそれも仕方ない。誰も彼もが行きたい進路に簡単に進めるわけではなく、浪人して何年もかけて志望校を目指しつづける人もいるのだ。


 僕の進学先は関西だから、武蔵の言うとおり暁斗とは遠距離恋愛になる。それは付き合う前からもちろん分かっていて、受験中は考えないようにしていただけだ。


「かなり近いほうだろ。電車でも、バスでも行き来できるし。それに……あいつは暑苦しいくらい一途なんだよ」

「えっ……! 飛鳥井くん、彼女いたの!?」


 武蔵の「わー朔の惚気なんて新鮮ー」という棒読みのセリフは、突然割り込んできた辻の大声によってかき消された。ざわざわと別れを惜しむ声でうるさい教室のなか、近くの数人だけが興味をそそられたように振り向く。


 辻も隣の県の専門学校に進むし、このメンバーは今日で離れ離れになる。三年になってから仲良くなったわりには、ふたりとも得難い友人になったと感じていた。


 そう、相手と過ごした期間の長短は関係ない。――信頼関係の深さや仲の良さには。


 ちょうどそのとき、教室のドアのところに背の高い男子生徒の姿が見えた。担任が戻ってくるのはまだらしい。

 僕はちょっと笑って、彼を手で招いて呼び寄せる。


「彼女じゃなくて、彼氏。――僕のDomだよ」

「飛鳥井くんの……Domって……え。……二年の風谷くん!?」


 Domバレしている生徒はこの学校でも何人かいる。しかし一番有名なのは暁斗で、すぐ僕に結びつくのもやっぱり暁斗なのだ。

 もっとも、辻は教室に入ってきた人の方を見て確信したらしい。


 いつの間にか周囲は静かになっている。「えっ」とか「やっぱり」とか「まじ?」とか。まだ状況を理解できてない生徒も多い。

 僕はあらゆるリアクションに耳を傾けてみるが、暁斗は何も聞こえていないみたいに俺の方だけを見て歩いてくる。いつもどおり、まっすぐに。


「朔先輩、卒業おめでとうございます」

「ありがと。会いにくるの早くね? まだホームルーム終わってないし」

「そうでした? んー、なんだろ。先輩が重大な発表をする予感がしたので……」


 暁斗はいまや全員が注目する教室をぐるりと見回してから、だれもが見惚れてしまいそうな愛嬌たっぷりの笑顔で告げた。


「当事者が一緒にいたほうがいいでしょ? ちゃんと、分かってもらわなきゃ……先輩が俺の、大事な恋人だって」

「……お前なぁ」


 受験が終わったら、みんなに言いたいと主張したのは暁斗の方だ。当然、僕はまだ高校生活の残る暁斗のために反対した。

 だって『先輩の周りの人にも牽制しておきたい』というのは、もう卒業する僕にとって全く意味のないことだと思ったのだ。目立たないから、誰かにそういう目で見られたことなんてないのに。


 だが『じゃあ、俺がモテてもいいんですか? 先輩という彼氏がいるってみんな知らないから、告白されたり言い寄られたりしても……』と悲しげに言われてしまうと、もう反対できなかった。


 モテたくないというのも男子高校生らしからぬ悩みだけれど、暁斗ならもありなん。それに僕も暁斗の周囲に牽制できるものならしておきたいと、つい考えてしまった。


 相手が僕の時点で効果は弱いと分かっていても、ほんのわずかでも虫除けになるならいい。

 卒業して離れるならなおさらだ。結局、こういう不安はずっと抱えて生きていくものなのかもしれない。


「え。ちょっとまって飛鳥井くん! ふたりは付き合ってるってこと!? てかなんで石田くんは平然としてるの!? まさか知ってたとかじゃないよね〜〜〜っ!?」


 理解して、辻はさらに混乱に陥っているみたいだ。対応は武蔵に任せる。

 だって、暁斗が僕の目の前にいるし。


 暁斗は座ったままの僕の頭にぽん、と手を乗せさわさわと撫でる。 「はわ……」と後ろの席の女子が息を呑む。


 プレイじゃなくても暁斗は僕の頭を撫でがちだ。ちょうどいい位置に頭がある、らしい。

 人前での接触を禁止している僕は、三秒だけ我慢してから「もう、やめろ」と口にする。我慢したのは、暁斗の望みのためだ。


「ちょっと表に出ろ」

「えー。先輩怖いんですけど」


 にやにやしながら言われても、説得力ないんだよなぁ。

 廊下に出て、まだ教師が来ていないことを確認する。他にも先輩の卒業を祝いに来ている後輩たちがちらほらいたから、僕たちは誰もいない化学室の方へ歩いた。


 外は明るいものの遮光のカーテンが半分ほど引かれ、室内は薄暗い。顔は見えるから電気もつけずに、僕は机に半分腰掛けた。


「暁斗……やりすぎじゃないか?」

「俺の顔みて嬉しそうに『僕のDom』って、言ってましたよね?」

「うぐ、いや……なんか。ちょうど来たから流れ的に…………」


 確かに調子に乗った自覚はあったから、ちょっと頬が熱くなる。心の奥底で「このイケメンは僕の彼氏なんだぞ」と自慢したい気持ちは、以前から確かにあったのだ。

 いろいろと矛盾している。横に並んでもつり合わないし噂になるような行動は控えるべきだと思っているのに。


「俺も嬉しかったです。先輩のDomって言ってもらえて。しかも今日……かわいいし」

「はぁ?」

「前髪上げてるの、休みの日だけだと思ってた」


 小さく口を尖らせる暁斗に、(こいつの目はどうなってるんだ?)と感じるも口にはしなかった。付き合ってからの暁斗はことあるごとに僕のことを『かわいい』と言う。まぁ別に、嫌ではないんだけど……

 僕も暁斗のことをかわいいと思ったことがあるから同罪だ。いまもちょっと拗ねてるのがかわいい。


 正面に立ったままの暁斗を見上げ、首を傾げた。


「卒業式だし、最後だからいいかなって」

「……まぁ、制服でこの姿を最後に見れたのはぶっちゃけ幸運でしたけど。――この丸いおでこは俺のものですからね?」

「っ!」


 屈んで、ちゅ、と唇が額に落とされる。小さな独占欲がことのほか嬉しくて、胸が光で満たされていくのを感じた。


 突発的にプレイしたことは何度か会ったけど、恋人同士になってから、学校でこんな風に過ごせるのは最初で最後といえる。


「あきと、」

「ん? ――っ!!?」


 机からぴょんと立ち上がって、暁斗の首のうしろに腕をまわす。顔を引き寄せて、自分は少し顔を斜めにする。


 不意打ちで唇を奪った。


 一瞬固まっていた暁斗も、僕がやめようとしないからすぐに合わせてくる。プレイを挟まない口づけは頭の中が鮮明で、それでいて蕩けるように甘い。


 ブレザーの腰を掴まれ、ぐっと引き寄せられる。制服越しに抱きしめ合えば、特別感と背徳感があいまってゾクゾクと興奮した。


 キスに夢中になっていると、三年の教室が並ぶ方向から大きな拍手が聞こえてきた。


「担任、戻ってきたんじゃないですか?」

「っぽいな」


 高校生活最後のホームルームだ。もちろん参加しようと思っていた。――さっきまでは。

 僕は濡れた唇のまま、熱に潤んだ眼差しを暁斗に向ける。


「な、もうちょっと……続き、しようぜ」

「……先輩って……、真面目そうに見えて不真面目ですよね」

「そういうお前は不真面目そうに見えて真面目だよな」


 抱き合ったままくすくす笑う。


 ほんとうに、第一印象は今とかけ離れた印象だった。お互いにそう思っていると思う。性格も、境遇も、正反対に近いだろう。

 でもダイナミクスが対になるDomとSubだったからこそ、こうしてかけがえのない存在になることができた。早熟な第二性なんて厄介だとしか思っていなかったけれど。


 これからの未来に、不安がないとはいえない。まだ付き合ってたった数ヶ月で、今後はこんな風に簡単には会えなくなる。

 ただ……どれだけすれ違ったとしても、努力してこの関係を続けていきたいと思う。簡単には崩れない土台をふたりで作りあげてきた自信もある。


 きっと、大丈夫。


「あの……セーフワードが『真面目』っての、もうやめません?」

「それは僕も思ってた。つい言ってもおかしくないもんな」

「誰だよ決めたの……あ。俺か」


 笑い声が重なって、すぐ化学室は静かになった。眼鏡が机に置かれるカタンという音がする。


 校舎には春の陽射しがあたたかく降り注いでいる。蕾だった桜がまたひとつ、ポンと花開いた。

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