「あ」
意外にもその先輩の姿は翌日見かけた。
選択科目で少数派の科目に対して使われる空き教室。俺たち理系の生徒なら、日本史とか地学の授業でそこは使われる。
俺が次の授業のためにその教室へ向かうと、先輩がだるそうに授業を聞いているのを見つけたのだ。
机に肘をついて、前髪の隙間から教師を見ている……と思ったら大きな欠伸。手で隠した隙間から、赤い舌がチラと見えた。
悪いのは口だけかと思ったら、授業態度も悪い。真面目そうな見た目とは正反対の性格らしい。
というかもう休み時間なんですが、と思っていると、この前も先輩の隣りにいたスマート優等生風の男が「先生、もうそろそろ」と控えめに声をかける。
自分の授業に熱中していた教師は「あっ、ご、ごめんねぇ!」となんとも気の抜ける謝罪をして唐突に授業を終わらせた。聞いていた十人ほどの生徒は慣れたように挨拶をして、教科書とノートを片付け部屋を出ていく。
俺は廊下の窓からじっとその様子を眺めていたものの、その姿に気付いた女の先輩がチラチラこちらを見てくる。ついには話しかけようとこちらに足を向けたのを感じて、わずらわしい視線を振り払うように入口へと向かった。
もうほとんどの生徒が部屋を出たからいいだろう。あーあ、去年の文化祭で迂闊にミスターコンなんて出るんじゃなかったな……
確かにいま彼女はいないし、要らないのかと言われれば欲しいけど……向こうからガツガツくる積極的な女は苦手だ。
もともと目立つ容姿をしているのに、コンテストがきっかけで余計注目を浴びてしまった。結果、苦手なタイプに囲まれるようになって、ちょっと恋愛にも辟易している。
ドアを抜けると、教師は次の授業のために慌てて黒板を消している。この授業はヤスとも別だし、俺も暇だったから気まぐれに手伝おうとした――のだが。
「先生、手伝いますよ」
「あっ、
真面目そうに見えて不真面目な先輩が教師に声を掛けた。やっぱ真面目なのか……? どっちなんだ。つか、そろそろ次の授業に間に合わないだろ。
飛鳥井先輩――偶然名字を知ってしまった――が黒板の上の方を背伸びして消しているところで、後ろから言葉を発した。
「俺がやりますよ、次の授業ここなんで……先輩」
「ああ、ありが……」
振り向いて、固まる。口元に乗っていた愛想の笑みさえすぐに消えてしまった。
舌打ちこそ聞こえなかったけど、先輩は黒板消しをバフッと置き教師に話しかける。チョークの粉がちょっと舞った上、俺の存在は無視だ。
「先生、あとはこの……二年がやってくれるみたいなんで、行きましょう」
「助かるよ! えーっと、君は……あっ、ミスター君だね!?」
ミスター君て。おおかた、ミスターコンで優勝したから顔だけ知ってたって感じか。まぁ、あるあるなんだが。
「あーっと、
「風谷くん! いやー、近くで見てもモデル級のイケメンだねぇ。背も高いし、脚も……なんでこんなに長いの?」
「さぁ……」
のんびり屋すぎる教師の話に付き合っているあいだに、先輩はしれっと姿を消してしまっていた。俺たちの授業のためにやってきた日本史の担当教師が、地学ののんびり教師をつまみ出していく。
――え、なんなん。ガチスルーって、まじむかつくんですけど。愛想笑いさえ見せる価値ないってか?
会っても気まずいとか思っていたことは自分でも忘れていた。別に好きで取っている授業でもないし仲のいい友人もいないから、気を紛らわす方法が見つからない。
毎回ラリホーでも使われてるんじゃないかと思うほど眠くなる日本史の授業を聞いても、イライラして一向に眠気はやってこないのだった。
それから何度も飛鳥井先輩の姿は見かけた。
移動教室での廊下とか、窓から見える運動場でだるそうに体育してる姿とか、たまに行く学内の食堂で眼鏡を曇らせてうどんをすすってる姿とか。
別にマンモス校でもないから、これまでもすれ違ってはいたんだろう。でも気づけば俺はあの気に食わない先輩を探していて、なにか――知らない一面を見つけようと躍起になっている。
俺がジッと見ているから、たまに目は合う。その瞬間氷のように冷たい目で睨まれ、すぐに逸らされて、決してまたこちらを見ることはない。徹底されている。
わざとじゃないにせよ、相手にとって不快なことをしてしまった。だから嫌われても仕方がないとは感じる……のだけれど、初めて校内で見つけたSubにここまで冷たくされると地味に傷つく。
俺の両親はともにDomで、それぞれSubのパートナーがいる。そしてそのSub同士も夫婦というちょっと変わった関係だ。俺もたまに挨拶するが、彼らはとても好意的で優しい。
まぁ、この見た目のおかげか好意を見せて寄ってくる人の方が多く、逆の態度に慣れていないというのもある。みんながみんなじゃないけどな。
「あの眼鏡の先輩ってさぁ、学年一位らしいよ」
「眼鏡のって、どれ?」
眼鏡と聞いた瞬間あの顔が浮かんだが、何気ないふりをして確認する。ヤスこと
「アスカイ、って人。めちゃくちゃ頭いいんだって。部活の先輩が話してた」
「へー……」
無意識に低い声が出て、チリ、と胸の奥が火花を立てた。
自分で言うのもなんだが、俺は部活にも入らずけっこう真面目に勉強している。
しかしどんなに頑張っても成績上位に食い込めない。中学までならクラスで一番とかにもなれたのに、いい高校に来たとたんこれだ。せいぜい中の上。
それなのに、あの真面目そうで不真面目な男が一位なのか……と面白くない気分になった。
「あーゆー人って東大とか行くんかな?」
「さぁ?」