田中一郎と二郎は双子だった。
ただの双子ではない。限りなくそっくりな双子だった。
二人はあまりにも似すぎていたため、友人や教師は早々と二人を判別することを諦め、声をかけた後の相手の反応を伺うことでそれが一郎か二郎かを判別した。ただそれも多くが間違っていた。
二人の区別がつかないのは実の両親も同じだった。ただ両親にはプライドがあり、さすがにわが子の判別がつかないとは言えないため、一郎と二郎のことを「一郎二郎」とまとめて呼ぶことでこの問題を解決した。片方しかいないときは少しバツが悪いが、「あなたどっちだっけ?」と言うよりはまだマシだと思っていた。
そして当の一郎と二郎は、そのような状況を苦痛に思うどころか、逆に楽しんでいた。通っている中学ではクラスが違ったが、お互いの情報を細部まで共有し、よく互いが互いに成り代わり、いつかバレるかもしれないというスリルを楽しんだりもした。
そんな生活がしばらく続いたとき、双子の片方が言った。
「あれ、俺って結局、一郎と二郎のどっちだっけ?」
それを聞いたもう片方は「お前なに言ってるんだ」と爆笑した後に、「俺はあれだ、たぶん、あれ、ん、どっち?」と言った。
こうして互いにどっちがどっちか分からない限りなくそっくりな双子が誕生した。
※
「これより第十二回一郎二郎判別会議を始めたいと思います」
自宅のマンションの部屋で、一郎(として今日過ごした方)が言った。
「なんでお前が仕切るんだよ」
「だって今日は俺が一郎として過ごしたんだから」
「だからってお前が一郎とは限らないだろ」
「そんなこと言ったらお前だって自分がどっちか分かったのかよ」
「分かるはずないだろ、顔も体も全部同じなんだから。悔しかったら整形しろ。お前が二重にすれば二重が二郎って皆覚えやすいだろ」
「だからなんで俺が二郎前提なんだって」
二人はこのやり取りも十ニ回目であることを思い出し、同時にため息を吐いた。
とりあえず二人は一郎と二郎を一日交替で演じることとしていたが、それもいつまでも続けられなかった。
「そろそろはっきりさせようじゃないか」二郎(として今日過ごした方)が言い、一郎(として今日過ごした方)が頷いた。
「香織ちゃんと付き合える一郎と、カンニングがバレた二郎、どっちがどっちか白黒つけよう」
つい先週のことだった。
二年一組に通う一郎は、クラスのマドンナである小野香織に告白され、二人は付き合うことになった。
ちょうど同じ日、二年二組に通う二郎は、数学のテストで前の生徒の答案が見えそうだったのでつい魔が差して首を伸ばしたところを教師に見つかり、反省文三十枚を書かねばいけないことになっていた。
幸せの絶頂にいる一郎と不幸のどん底にいる二郎。
二人のやり取りは自分が本当は誰なのかより、どちらが一郎の座を奪うかという形で泥沼化していた。
ちなみに告白を受けた方がどちらでカンニングした方がどちらかも、すでにお互いよく分からなくなっていた。
「一旦どちらが一郎になるべきかという考えは捨てて、本当にどちらがどちらか判別するための方法を考えようじゃないか」
「賛成だ」
「そうだな、例えばDNA鑑定をするとかはどうだろう」
「そもそも俺たちのDNAがどこにも記録されてないだろ。部屋に落ちてる爪や髪の毛もどっちのか分からないし」
「へその緒が使える」
「へその緒?」
「へその緒なら名前が書かれたケースに入れられてるだろうから、そのDNAと俺たちのDNAを比較すればどちらが一郎か二郎か分かるはずだ」
「天才か」
自分を一郎と信じている二人は部屋を飛び出すと、母親のいるキッチンに向かった。
「母さん、俺たちのへその緒ってどこにあるの?」
「どうしたの急に? 書斎の引き出しの中にあると思うけど」
「了解」
書斎の引き出しを開けると、ピンク色のプラスチックケースが一つしか入っていなかった。
開けるとへその緒が二つ入っており、一緒に母の字で『どっちかがどっちかの』と書かれた付箋が入っていた。
部屋に戻った二人は頭を抱えた。
「母さん、当時から二人の区別ついてないじゃん」
「双子でもベッドが違うはずだから区別する必要ないはずだろ」
「二人を抱いてたら戻す場所がどっちのベッドか分からなくなったんじゃない?」
「それありそう」
そもそも最初から取り違えられている可能性まで発覚し、二人の気分はさらに暗くなった。
「分かった。この際どちらが本物の一郎か二郎かという話もやめて、ひとまず明日のことを考えよう」
「そうだな、へその緒でわいわい騒いでいるような場合じゃないんだった」
二人の一郎がそう言うのは、今日、学校で香織から言われた一言が原因だった。
「明日の土曜さ、二人で遊園地行かない?」
一郎たちは照れたようにそう言った香織の表情を思い出してにやにやした。
そのとき、片方の一郎の脳裏に閃くものがあった。
「おい、香織ちゃんは一郎に惚れて、一郎に対して告白したんだよな」
「そうだ」
「じゃあ、香織ちゃんが一緒にいて胸がときめく方が本物の一郎とは考えられないか」
「!?」
「例えばデート中に俺たちが交互に入れ替わったとして、香織ちゃんの気持ちが盛り上がってちゅーをしたとしたら」
「そっちが本物の一郎ってことか!」
興奮した二人は早速、明日の遊園地のプランについて話し合った。
明日になれば、どちらが一郎かはっきりするだけでなく、初ちゅーまでできるかもしれなかった。
話し合いを終えた二人は枕を抱いてベッドの上でごろごろとする全く同じ動きをしながら、運命の朝を迎えたのだった。
※
「おはよ」
そう言って一郎(最初にデートする方)に向かって手を挙げた香織はチェックのスカートと大きめのサイズのシャツに身を包み、どこからどう見ても可愛かった。
隠れてその光景を見ていた一郎(最初に待機する方)は、なぜあそこに自分がいないのかとハンカチを噛んだ。
二人の一郎は話し合った結果、デートの最中に一時間ごとに交代し、どこかのタイミングで香織とちゅーできた方が本物の一郎ということになった。そして今後、二度と入れ替わりはしないことにした。
一郎(後攻)は、香織と一郎(先攻)が電車に乗ったのを確認すると、隣の車両に乗り込んだ。電車で最寄りの遊園地であるスペースワールドに直結するスペースワールド駅に向かうのだ。
一郎(先攻)は緊張した面持ちで香織となにか話をしていた。思えば付き合い始めて香織とちゃんと会話するのは初めてだった。
スペースワールドに入ると二人はジェットコースターの列に並び、乗り終えるとちょうど一時間が経過していたので、二人は打ち合わせどおりトイレで入れ替わることにした。
「どうだ、うまくやれてるか」
一郎(後攻)が言うと、真っ青な顔をした一郎(先攻)が答えた。
「無理だ……」
戻るのが遅いと怪しまれるため、詳しく話を聞く間もなく、一郎(後攻)は香織のもとへ向かった。
そして、一瞬にして一郎(先攻)の気持ちを理解した。
香織は可憐でいい香りがした。それだけで、女子と並んで歩いているという事実を突きつけられ、一郎は頭が真っ白になった。二人の一郎は双子である前に、一人の中学二年生男子だった。
「次どこいうか?」
香織のそんな質問にも、一郎は「え、そ、そうだね。どうしようか」としか答えられなかった。
アトラクションの待ち時間が永遠と思われるほど長かった。ちゅーどころか手を繋ぐことすら、いや、普通に会話することすらこんなにも難しいとは思いもしなかった。
無限のような気まずい時間を二人の一郎によって半分ずつ消化した後、別れ際に香織は言った。
「私たち、別れよっか。一郎くん、全然楽しそうじゃないし、話も盛り上がらないし」
もはや一郎か二郎かというよりも、自分が何者かすら分からなくなっていた一郎は「はい」とだけ答えるので精いっぱいだった。
先に帰ってしまった香織の背中を、一郎は自販機の横から現れたもう一人の一郎とともに見送った。
香織の姿が見えなくなったころ、どちらかの一郎が言った。
「なんか、俺、もしかしたら二郎かもしれないわ」
それを聞いた一郎は答えた。
「そっか、じゃあ俺が一郎だったのかもな」
二人は久々に、一郎と二郎になった。それはお互いにとって、そこまで重要なことではないように思えた。
「ところで兄ちゃん、相談があるんだけど……」
「分かってるよ、反省文は二人で十五枚ずつ書こう」
「さすが兄ちゃん、頼りになる」
「お前、昨日まで俺が一郎だってはしゃいでただろ」
「いやワンチャンほんとに入れ替わってるからね」
一郎と二郎は涙を浮かべながら笑い、駅へと並んで歩いた。
その寂しげな背中も意外と軽い足取りも、やはり瓜二つだった。