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第1章1 『運命の神(ひと)との再会』

 ――今年も殺しに来てやがるな、夏さんよォ。


 頭上で燦々と光り輝く太陽を恨めしく思いながら、雨柳水樹はのそのそと散歩に勤しんでいた。

 連日続く酷暑の中、誰が好き好んで外出して散歩をするのだろうか?

 これには語る事も憚られる悲しい物語がある。

 夏休みを迎えた水樹は冷房が効いた自宅でダラダラと過ごしていた。しかし、掃除の邪魔になるという母親による鶴の一声で自宅から叩き出されてしまったのだ。

 こんな炎天下の地獄へ実の息子に味わわせるとはとんだ鬼畜だ――と、水樹は思いながら内心で呪詛を吐く。

 何処かへ涼みに行くにしても最も近いコンビニまでは徒歩で20分ほど。涼んだとしても帰った頃には汗だくは目に見えている。

 自転車を使う事も考えたのだが、汗だくの運命は変わらない。また地味に坂道もある為、寧ろ酷くなる可能性もあり得る。

 さて、どうしたものか――と、水樹は思案する。そして、ふと思い出したのは昨今は随分と足を運んでいない近所の神社だった。


「……久々に行ってみるか」


 水樹の中ではどれだけの暑さであっても涼しかったと記憶していた。とは言え、その記憶は10年ほど前の話だが……。


「そう言えば――」


 口元に手を当てながら、水樹は小さい頃に誰かと重大な約束を結んだような覚えがある事を思い出す。

 しかし、その記憶は断片的であり、随分と薄れてしまっていた。何か強烈な出来事があった気もしたが、それも思い出せない。

 首を傾げつつも、水樹は件の神社の入口である鳥居の前に立つ。

 少し前に建て替えられた鳥居は白く真新しさを感じる。最後にまじまじと見た鳥居は苔がむして茶色っぽい感じの色をしていた覚えがあった。


 ――いつの間にか変わってたんだな。


 水樹はしみじみ思いながら鳥居を潜り抜ける。

 石段一段一段の高さは相変わらず不揃いだった。幼少の頃は飛び跳ねるように飛ばしていた一段も、今では大股で軽く飛ばして行ける。

 周囲を囲むように生い茂る木々。その枝葉から覗く木漏れ日に何処か懐かしさと安心感を憶えながら水樹は上へ上への歩みを進める。


「ふぅ……」


 石段を登り切った水樹は一息吐く。

 こじんまりとした境内。此処は水樹の記憶の中と何も変わらない。

 石畳みの短い参道を進み、賽銭箱の隣に腰を下ろした。そして、水樹は空を見上げる。

 とは言え、空の青は木々の隙間から覗く程度だ。

 吹き抜ける風は心地良く、火照った身体を徐々に冷ましていく。


「久々に来たけど、此処は相変わらずで安心したな」


 記憶通りの心地良さに水樹は「ほぅ」と息を吐く。

 木の葉が擦れる音を聞きながら、目を閉じ、水樹はぼんやりとした時間を過ごす。

 その時だ。


 ちりん――と、透き通るような鈴の音が響き、一陣の風が境内を吹き抜けた。


 空気が、世界が停止した――そんな錯覚に水樹は陥った。

 まるで現実ではないような不思議な雰囲気。しかし、決して嫌な気はしない。


 ちりん、ちりん――と、二度鈴の音が鳴る。


「――また、会えましたね」


 声がした。

 気が付くと参道の真ん中に、現代では時代錯誤な和服に身を包んだ女性が立っていた。

 女性は微笑みながらゆったりとした足取りで水樹へと歩み寄って来る。


「今は17歳でしょうか? あと1年ですね」


 そんな言葉を紡ぐ女性。

 しかし、水樹は目を白黒していた。


 ――え、どちら様⁉


 幼少の頃、水樹は彼女と出会っている。

 だが、この少年の記憶メモリの中から当時の記憶は消え去っていた。額に口づけをされる、という印象的な出来事があった筈なのに忘却している。

 幼少の記憶領域なぞミニマムであり、大したものではなかった。


「その様子だと覚えてませんね? ですが、何1つ問題ありませんよ、水樹。あの時に結んだ契りは色褪せていませんので」


「……あの~? 俺が忘れているみたいで大変申し訳ないんですけど、貴方はどちら様で、俺は貴方とどんな契りを結んだのでしょうか?」


 おっかなびっくりに、じわーっと丁寧に水樹は問う。


「ふふっ。では、改めて自己紹介をしましょうか。わたしは水を司る神、名を静流比売神しずるひめのかみといいます。そして――」


 目の前まで歩み寄って来た女性――静流比売神は腰を下ろしている水樹の顔に触れて告げた。


「――わたしは貴方の、水樹の婚約者ですよ」


 ――婚約者。

 そんな事を言われてもイマイチ実感湧かない水樹は半分口を開けたまま唖然としていた。しかし、その胸の鼓動はどったんばったん大騒ぎであり、婚約者と自称する女性が美人であれば猶更だ。

 とは言え、記憶にない(忘れている)以上は水樹としては非常にバツが悪い。更に彼女が心底嬉しそうな表情を浮かべているので罪悪感も募る。

 一時いちじのフリーズから立ち直り、水樹は声を上げる。


「婚約者って、あの婚約者だよな! え、俺と貴方が婚約者?」


「はい、わたしと水樹は婚約者です。いえ、もう既につがいと言っても過言ではありません! あと貴方だなんて他人行儀は止めてくださいね。わたしのことは静流とお呼びください」


「呼び方は分かったんだけどさ、番は過言だよ! バリでめっちゃ過言だよ? つーか、俺には彼女どころか、既に嫁がいたって事⁉」


「実はひとつ言い辛い事があります」


 静流が少しだけ申し訳なさそうな表情をする。


「お父様はこの婚約に激怒しています」


「はい、終わったァ! って、え? 静流って神様って言ってたよな? え、その神様のお父様がブチギレてるの? いや、それよりもちょっと待って! え、神様――か、神様ァ⁉」


 情報過多により水樹の脳内メモリはパンク寸前であった。

 何がどうして、どうなって今に至るのか。婚約を飛び越えて番宣言、神様が実在している事実もあり何が何やら――水樹の瞳の中心にぐるんぐるんと渦が巻く。

 そんな大混乱の渦中である水樹を他所に、静流は満面の笑みを浮かべて言い放つ。


「たとえ人と神であっても、愛があれば問題ありませんよねッ!」



     ◆◆◆



 ――拝啓、ご先祖様。知らぬ間に彼女を通り越して嫁(予定)ができました。


 母親に家から叩き出された末に、近所の神社で涼むべく足を運んだら自称婚約者の神様から番宣言を受けた水樹の心境は大荒れであった。それはもうワケの分からなさと嬉しさのような何かが犇き雑ざり合って混沌と化している。

 神社の入口だった鳥居を潜って出る際には水樹の右腕に抱き着く静流の姿。

 そして、普段なら人影すらない道中に今日に限って何故かいる近所のおば様たち。擦れ違う度に「あらあらまあまあ」と温かい目を向けられる。

 唯でさえ若者が少ない地域なのだ。水樹の噂はおば様たちによる井戸端会議によって一瞬にして拡散されるだろう。

 やはり田舎ネットワークは恐ろしい。

 家に帰ったら何て言われるのか、いや赤飯でも炊かれるのか――水樹は母親の過剰反応を想像して身震いしてしまう。


「これからはずっと一緒ですからね?」


 ギュッと右腕に抱き着く力を強くする静流。

 残寝ながら水樹は幼少の頃の約束を何一つ覚えていなかった。子どもの頃の記憶とはそういうものだろう。とは言え、再開を喜ぶ静流には悪いと思った水樹は、その事についても正直に話をした。やはり「覚えている」なんて嘘を吐いて彼女をぬか喜びさせるのは忍びないと思ったからだ。

 しかし、静流は嫌な顔一つせずに「大丈夫ですよ」と言った。曰く、「記憶は薄れていくものですから」という事らしい。

 その懐の広さは間違いなく神様だった。


「…………」


 ニコニコしている静流を他所に、言葉数の少ない水樹の心境は自宅へ近づく事に穏やかではなくなっていく。いや、そもそも既に穏やかではなかったのだが……。

 近所の注目を何度か浴びながら、水樹は自宅玄関の前に立っていた。

 叩き出された時は掃除機の音が鳴り響いていたが、今は鳴り止んでいる。


「……何で自分家じぶんちに入るだけなのに緊張しなくちゃいけないんだ?」


「わたしもお義母かあ様と顔を合わせるのに緊張していますよ?」


「そうじゃないんだよなぁ……」


 静流の言わんとしている事も理解できるが、水樹の直面している緊張とは別のもの。

 玄関の前で立ち止まって唸っている水樹に、静流は何やらシュンとした様子になって言う。


「やっぱり嫌でしたか?」


「ッ――――!? いやいや、全く嫌じゃないから! 母さんに何て紹介するべきか考えてたんだよ」


 全力で首を横に振りながら、水樹は「寧ろ嬉しいまである!」と胸を張りつつ言う。実際、嬉しいので嘘ではない。

 散歩してたら婚約者と再会しました――なんて言っても良いものか?

 彼女は神様なんですよ――と言って信じてもらえるだろうか?

 考えれば考えるほどに水樹の頭の中はぐるんぐるんと渦を巻き、再び愉快な事態になっていく。


「お邪魔いたします!」


 そんな水樹の心境はいざ知らず、隣にいた静流はそんな声と共に玄関を開け放った。


「ちょっ!?」


 時既に遅し。

 中から水樹の母親が顔を見せる。


「はいは〜い……って、水樹じゃない。どうしたの……よ?」


 引き攣った表情の水樹の顔を見て一瞬だけムスッとした様子になった母親だったが、隣に立つ静流を見るや目を丸くして口元をワナワナと震わす。

 そして――、


「水樹、その女誰よッ!」


「おい、流石に母親でもその台詞は何か嫌なんだが!?」


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