「どういう、こと……?」
突然の立花の申し出に、航は声を震わせて言った。
ばつが悪そうに俯く彼女の肩を揺さぶって、青年は重ねて問う。
「どういうことなの、立花さん……!?」
「……れ、なく……」
自らの身体を腕でぎゅっと抱き、立花は口を開く。
か細い声で何かを言う彼女に航が聞き返すと、立花は意を決したように語り始めた。
「え?」
「乗れなく、なったんです。【ノヴァ】に。あの死の恐怖をもう一度味わうことになると思うと、恐ろしくて……」
目を逸らす立花の弱り切った姿に、航は胸が締めつけられる思いだった。
誰よりも強く高潔な戦士であった立花が生涯で初めて体感した、機体の撃沈。
肌を焼く灼熱の恐怖は、その精神をへし折って余りあるほどだったのだろう。
「申し訳ありません、艦長……」
「謝らないでください、立花さん。……あなたの心をケアできなかった、おれが悪い」
ベラやスミス、ノアはかける言葉も見つけられず、ただ立ち尽くすことしかできずにいた。
そんな彼らに立花は涙ぐんだ目で微笑みかける。
「すまない、みんな。……私はもう、『星野号』のクルーとして戦うことはできないが、みんなの武運長久をずっと祈っているよ」
その言葉を胸に刻んで、航たちは深く、頷いてみせた。
彼女との別れは名残惜しい。それでも、いまの自分たちには行かねばならない場所がある。
「『知性体』の『蠕動者』に会いに行く。セラのことも助けてみせるよ」
「――頼みます、艦長。あなたも、セラも、私の大切な教え子です。ともに生きて帰ってきてください」
死刑囚ではなく一人の教官の顔に戻って、立花は言った。
そんな彼女に航は敬礼を返す。五年の時は二人の関係を変えてしまったが、互いへの信頼は何一つ変わっていなかった。
「じゃあ、行くね」
踵を返し、振り返らずに航は艦へ乗り込んでいく。その後にスミスたちクルーが続いた。
最後尾のベラはつい立ち止まり、後ろ髪を引かれる思いで立花を振り向く。
苦笑した立花は少女に歩み寄って、その背中をぱしんと叩いた。
「しゃきっとしろ、ベラ。君はもう、『星野号』のパイロットなんだから」
「立花、さん……」
後を託されたベラの胸がじんと熱くなる。
滲みかけた涙を袖で拭って、ベラは不敵な笑みを作ってみせた。
「――行ってきます」
必ず生きて戻る。パイロットとして成長した姿で、また会いに行く。
そんな思いと覚悟を抱き、ベラ・アレクサンドラは『星野号』へと搭乗していった。
*
『星野号』と『フリーダム』がともに出航した後。
引きずるような足取りでドックを出ようとした立花は、聞き覚えのある声に呼ばれて足を止めた。
パンツのポケットに手を突っ込んだまま、気だるげな所作で振り返る。
「お別れは済みましたか」
「……ああ」
メガネをかけ、黒髪を七三わけにした癖のないスーツ姿。胸元の翼を象った記章は『CFA』――『民間護衛艦連盟』の所属であることを示している。
彼の名は九条といった。
ぶっきらぼうに答えた立花に、彼はぱちぱちと拍手を送る。
「素晴らしい役者ぶりでしたよ」
「黙れ。私は……」
「『私は』、何でしょうか?」
悪趣味な笑みを浮かべる九条に、立花は拳を固く握り締めた。
だが、畳みかけるような男の問いが、彼女の反論を封殺した。
「それで良い。模範囚として過ごしたいのならば、余計な気は起こさないことです」
首に括り付けられた爆弾だけではない。
見えない鎖が幾重にも彼女の全身を絡め取り、縛り上げ、自由を奪い取っていた。
「会長がお呼びです。あなたにも来ていただきますよ」
*
『ジュゼッペ基地』までの航路はおよそ500万キロメートルである。
『ディアナ』から『星野号』の最大戦速で向かっても、二週間以上の時間がかかってしまう計算になる。
だからこそ、『フリーダム』の協力を取り付けられたことは僥倖であった。
「改めて感謝しますよ、ハッブル艦長。なにせ『星野号』はオンボロ艦ですから。貴艦の協力がなければ間に合わないところでした」
『しかし……我が艦の出力をもってしても、最低でも五日はかかる。モンゴメリー大佐の艦隊が持ちこたえてくれると良いのだが……』
互いの艦のブリッジにて、航とハッブルは通信を繋いでいた。
『星野号』は現在、『フリーダム』の船尾付近に固定され、牽引される形で航行している。
『いまの「ジュゼッペ基地」は「宇宙の孤島」だ。すぐに救援が望めない以上、失った手札は取り返しがつかない』
輪郭に沿うように長く垂れる灰色の前髪をいじりながら、ハッブルは言う。
『ジュゼッペ基地』は『エレス基地』と同様に小惑星を改造して作られた拠点だ。普段は小惑星帯の軌道を周回しているが、内蔵のスラスターによって移動することもできる。
ここ数ヶ月間で『ジュゼッペ基地』は正規軍の哨戒範囲から不自然に離れており、それもセラがこの基地を怪しんだ理由の一つだった。
「あいつはおれの戦友にして、正規軍の誇るエースです。信じましょう」
『ああ。目下の課題は、君たちの【ノヴァ】部隊が再編間もない、という点か。目標に到達するまでに慣らしておきたまえよ』
ハッブルの勧告に航は敬礼で答える。
通信を終えた彼はシートの背もたれに勢いよく倒れ、ぐでっと溶けるように身を預けた。
「はぁ~~疲れた~~。あの兄さん覇気強すぎて、こっちまでやられそうになるんだよね……」
「あはは。ボクも同感やで、艦長」
はんなりとした口調で言うのはかなめである。
艦長席の背を肘掛け代わりにする水色髪の美少年に、航はため息混じりに言った。
「弱冠二十八歳で一〇〇〇メートル級の超大型護衛艦の艦長。年商推定一〇〇〇億円。艦長としても優秀なうえに【ノヴァ】の独自開発もできて、パイロット時代の『蠕動者』討伐数は五〇〇体を超える天才。やば過ぎて同じ人間とは思えないよ……」
グレイ・ハッブル。
その偉大なる名声ゆえに、人は彼を『怪物』と称する。
「せやけど、星野艦長だって負けてないと思うで」
「そうかなあ」
「せやせや。『エレス事変』を終わらせたのは、他の誰でもなく星野艦長やもん。ほんま、かっこよくてびりびりきた!」
「おっ、嬉しいこと言ってくれるねー、かなめくん! 艦長ボーナスあげちゃう!」
「にへへー、おおきにー」
そんな二人のやり取りを、ベラはコンソールと睨めっこしながら聞いていた。
――何が艦長ボーナスだ。あんな分かりきったヨイショに乗せられるなんて、艦長は馬鹿なのか。それにあいつもあいつだ。馴れ馴れしく艦長にため口を利くな。
文句が湧き上がってくるのが止まらない。
ベラはつい立ち上がり、航へと声を上げてしまった。
「ちょっと艦長! ボーナスだなんて、甘やかさないでください!」
ぎょっとした顔で航が釈明する。
「なっ、なんだよベラちゃん! 冗談でしょー?」
「冗談でもです! そいつをいい気にさせるようなこと、言わないでください!」
「はいはい。分かりましたよ」
しょうがないなと言わんばかりに肩を竦める航に、ベラは顔を赤くした。
子供っぽい反発だとは自覚している。
だが、ベラはどうしても「柊かなめ」という異物の存在を許せずにいた。
あの試験の時――結束して『蠕動者』に立ち向かおうとしていたベラたちへ、かなめは自分の欲求のままに攻撃を仕掛けたのだ。彼はエゴのために味方を容赦なく切り捨てる人間だ。そんな奴を一体どうして、仲間として認めなければならないのか――。
カミラはオマケで合格させてもらった分際だからと何も言わないし、スミスやノアも艦長の決定ならばとすんなり受け入れている。不満を大っぴらにしているのはベラだけだった。
悶々とした感情が燻っている。
「――艦長、敵襲だ!」
ビーッ! とアラートが鳴り、すかさずスミスが叫ぶ。
ベラたちクルー一同が身構えるなか、航は各員に第一種戦闘配置を命じつつ、回線を『フリーダム』へ繋いだ。
「こちら『星野号』! 【ノヴァ】はベラちゃんとかなめくんを出す、手出しは無用だ!」
『ほう。新パイロットの実力、見せてもらおうか』
はっ? とベラの口から掠れた声がこぼれた。
あのかなめと二人一組で戦えだって? 冗談じゃない。それをすんなり了承するハッブル艦長もどうかしている。
「か、艦長!?」
「出撃だベラちゃん。『ジュゼッペ基地』到着までに二人のコンビネーションを完成させてもらう。ハルトも立花さんもいない今、主力となるのは君たちなんだよ」
冷静かつ力強い口調で、航はベラを諭すように命じた。
唇を噛み、ベラはブリッジを飛び出していく。
自分のわがままで艦を危険に晒すことだけはできない。
どんなに相方が嫌な奴であっても、その分別だけは間違ってはいけない。
「ぼさっとしてないで出るわよ!」
「おっと。よろしゅう、ベラちゃん」
ぼうっとしていたかなめに発破をかけると、場違いな柔らかい笑顔が返ってきた。
肩透かしを食らったベラは頭を振り、邪魔な思考を脳内から追い払う。
(新機体の初陣よ。失敗するわけにはいかないわ――)
*
オペレーターを務めるカミラ・ベイリーの声がパイロットの元に届く。
『【ノヴァ・キャンサー】発進スタンバイ。アームウェポンは『シザース』を選択。ハッチ開放、射出システム、オールグリーン。カタパルト推力正常、進路クリア。【キャンサー】、発進どうぞ!』
淀みない口調で指示を出してくれる彼女に、かなめはウインクで答えた。
「おおきに。【ノヴァ・キャンサー】、柊かなめ、出撃するで!」
高らかに名乗り、操縦桿を一気に前へ倒す。
カタパルトの推力に乗った機体は弾丸のように飛び出し、宇宙空間へと突入していった。
鮮やかな赤い装甲を纏った人型のシルエット。軽量化のために装甲や内部機構を削った、細身のボディ。そして何より特筆すべきが、前腕部より先に装着された巨大な
柊かなめの専用機、【ノヴァ・キャンサー】に試験的に搭載された、『アームウェポン換装システム』。状況に応じて使い分けられる三つの武器、その一つがこの『ギガスシザー』だ。
「あはっ……わくわくする♪」
少年の優しげな瞳が一転して捕食者のそれに変わる。
舌舐めずりした彼はモニターに表示された敵を数えつつ、ベラの名を呼んだ。
「一緒に楽しもうや、ベラちゃん!」
カミラのオペレーションに従い、ベラは【ノヴァ】を発進させた。
実機での実戦は初めてだ。機体のロールアウトがぎりぎりになった関係で試運転はほぼできていないが、シミュレーションは何度もやっている。
データは脳内にすべて詰め込んでいる。大丈夫だ。きっと乗りこなせる。
「ベラ・アレクサンドラ、【ノヴァ・アクエリアス】、行きます!」
【ノヴァ・アクエリアス】。
水瓶座の名前を冠するこの機体は、ベラが「星野号のスパイをする」という条件のもと、父・ジョンと取引して財団に作らせたものだ。
薄い青色と白のツートンカラー。【トーラス】をそのまま踏襲した骨太なボディ。
その機体のコンセプトは「パイロットの絶対生存」。
両肩に装備した一対の湾曲した盾は、側面部から展開することで機体全体を覆い隠すことができる。さらに頭部と脚部の収納ギミックも併用することで、水瓶のごとき容貌の防御形態となることができるのだ。
だが、それだけではない。
「あんたになんか頼らない――わたしの【アクエリアス】の力、『フリーダム』のエルルカさんに見せる!」
加速によってかかるGもものともせず、ベラは一気に戦場へと躍り出た。
『フリーダム』前方、一五〇〇メートル先に出現した『蠕動者』。その数、二〇。
試し打ちにはちょうどいい。速攻で決める!
「ぶちかますわ、『ガニメデハドロン』!!」
両腕を前へ突き出し、肩の大楯を連結させる。
ドッキングと同時に盾の表面より二対の砲門がせり上がり、粒子砲のチャージを開始した。
時間にしてわずか五秒。
エネルギーの充填を終えた砲門から赤い稲妻を纏った黒い閃光が放たれ、『蠕動者』たちを無慈悲に消し飛ばした。