試験は終了した。
シミュレーターの筐体を出たベラがまず向かったのは、壁際で腕組みしてモニタリングしていた航のところだった。
「艦長!! どうして彼の参加を止めなかったんですか! 遅刻してきたうえにわたしたちまで攻撃して、こんなのめちゃくちゃです! 認められません!」
航の襟首を掴んで揺さぶるベラ。
既に脱落した参加者たちが目を剥くなか、航は彼女の頭をぐいと下に押しやって言う。
「ルールはあくまでも『残り二機になるまで生き残ること』だ。味方を攻撃しちゃいけないなんて一言も言ってない」
「でも……!」
「
柊かなめ。
ベラはその名を知らなかったが、他の参加者たちの中には顔色を変える者もいた。
「おおきに、艦長さん。いやぁ、ホンマ助かったわ~」
シミュレーションマシンを降り、ぽりぽりと頭を掻きながらかなめが言った。
はんなり、という形容詞が似合う柔らかい口振り。
艶やかな水色のマッシュヘアに、目のぱっちりとした中性的な顔立ち。
大きめの布を被ったようなケープを纏う姿は、アーティスティックな印象を抱かせる。
いま目の前にいる美少年と、仮想現実で戦ったパイロットが同一人物であるなど、にわかには信じがたい。だが戦闘中に聞いた声は紛れもなく、彼そのものだった。
「ですが、星野艦長。護衛艦のパイロットは連携して『蠕動者』と戦うのが基本です。いくら試験の条件と関係ないとはいえ、味方を攻撃するような人物は適正に欠けるのではないかと思うのですが」
そう意見を述べたのはカミラ・ベイリーである。
戦闘後の疲労を感じさせない背筋の伸びた佇まいの彼女に、航は「ふむ」と顎に指を添えながら頷く。
「君やベラちゃんの考えも理解できる。他の参加者のみんなも同じことを思っただろう。無論、そういう考えはパイロットに求められる資質としてどこであっても通底するものだし、おれもそれは否定しないよ。けど……」
航は一拍の間を置いて、続けた。
「そういう優等生なパイロットは、どこにでもいる。おれが求めているのは凡人ではなく、卓越した才能を持つ非凡な人間なんだ。味方への攻撃というイレギュラーを起こしたとはいえ、柊かなめはその基準を満たした。それだけのことだよ」
淡々と告げた航に、カミラは「そうでしたか」とだけ返した。
拳をわなわなと握り締め、ベラは航を睨みつけた。
彼女の反感を黙殺して、航は次の話に移る。
「では正式に採用となるパイロットを発表しよう。とりあえず君たちも壁際に集合して」
「はいは~い♪」
かなめが他参加者たちの前に遠慮なく立ち、カミラとベラも若干のばつの悪さを感じながらも隣に移動した。
手元のタブレットに視線を落としつつ、航は粛々と発表していく。
「一人目は、先程から話題に挙がっている柊かなめだ。機体の操縦センス、銃撃や剣撃の技量、いずれも申し分ない。勝つために何でもする欲深さも評価点だ。エネルギー切れを厭わない戦い方はちょっと気になったけど、それを補って余りある実力をみせてくれた。文句なしの合格だね」
かなめは頭の後ろで腕を組みながら、妖しく舌を出して不敵に笑った。
次は自分の番だ。一体どのような講評をされるのかと、ベラの表情が強ばる。
「二人目はベラ・アレキサンドラ。彼女は『エレス』での戦いの経験をもとに、烏合の衆であったパイロットたちをまとめ上げて指揮を執った。そのリーダーシップは特筆に値するね。『蠕動者』をかなめくんにぶつけるという戦術も、機転が利いていてよかった。それに何より、かなめくんの猛攻を見切る優れた『眼』を持っている。素晴らしい才能の原石だ。実機での戦闘が未経験でこれとは、ちょっと空恐ろしいね」
最後は苦笑を織り交ぜつつ、航はベラをそう評価した。
彼にこうも褒められるとむずむずするし、恥ずかしくもあったが、それでも嬉しくてたまらなかった。
顔がにやけてはいないだろうか。と気にしていると、航と目が合って微笑まれた。
――これ顔に出ちゃってるな。
思わず頬を赤らめるベラであった。
「そして、これは特例ではあるんだけど……」
予想外のセリフにベラは表情を引き締め直した。にこにこと聞いていたかなめも、すっと目を細める。
軽く咳払いして、それから航は三人目の少女へと視線を向けた。
「カミラ・ベイリー。君は『蠕動者』に喰われ、脱落してしまったが、この試験の中で先の二名に次ぐ活躍をみせてくれた。彼女の冷静さがなければ、君たちは開始直後の段階で呆気なく瓦解し、各個撃破されていただろう。直情型のベラに、自由奔放なかなめくん……そこに冷静なカミラちゃんが加われば、『星野号』パイロットチームはより良いバランスを取れると思う。――どうかな、カミラちゃん?」
ぽかんと口を開けていたカミラは、急に聞かれて驚いたのかびくっと肩を震わせた。
その拍子に長い前髪がふわりと浮き上がり、意外にも丸っこくて可愛らしい目があらわになる。
航とばっちり目が合って顔を真っ赤にしたカミラは、蚊の鳴くような声で返答した。
「えっ、えっと……はい。不肖ながら私も、そう思います」
「オーケー、決まりだね」
にこっと笑ってカミラの頭をぽんぽんする航。たちまちカミラの頬が沸騰したようにさらに赤みを増し、ベラはがるるるっと狂犬のように艦長を威嚇した。
無精髭を剃って髪も整えている今の航は、お世辞抜きでかなりのイケメンなのだ。カミラが惚れてしまっては困る。
「かなめくん、ベラちゃん、それにカミラちゃん。『星野号』の新パイロットとして、君たち三人と正式に契約を結ばせてもらいたい。あ、ベラちゃんは契約更新ね。三人とも、これからよろしくね~」
いつものお気楽なノリで挨拶する航に、かなめはウインクで応え、ベラとカミラは「はい!」と深々と頭を下げた。
新生『星野号』の始動は、いよいよである。
*
「先の報告書にも記した通り、『エレス事変』で確認された超大型級の『蠕動者』は、通常の個体とは異なり、我々人類と同様に知能を持つ存在だと思われます」
『エレス事変』と呼称されることとなった戦いから、半月。
多くの犠牲者を出した戦いの後処理を終えたセラ・モンゴメリーは、基地司令部にて戦略会議に出席していた。
「奴らの中に知能を持つ個体がいる以上、先の事変と同等の規模の戦いが再び起こる可能性は、否定できません。ゆえに私は、知性ある個体――仮に『知性体』と呼びますが――を先んじて発見し、これを討つ作戦を提案します」
彼が言う前提は、既に将官たちの中では確定事項として受け止められていた。
『蠕動者』に知能を有する個体がいる。それは彼らにとって信じがたい衝撃であったが、実際にこれまでにない規模の戦いが起こってしまった以上、認めざるを得なかった。
その情報は兵たちへの影響を鑑みて、佐官以上の将校のみに伝えられている。
この日の会議に参列しているのは、セラのほかにエレミヤ・マザー司令と壮年の中佐二名のみだった。
「モンゴメリー大佐。作戦の草案を聞かせてもらおうか」
マザー司令に淡々と促され、セラは思わず生唾を呑んだ。
『エレス基地』の赴任となって半年。この女性とは何度も顔を合わせているが、未だに慣れずじまいでいる。
「は。『エレス事変』では休眠状態となり、小惑星に偽装して潜伏していた敵の接近を許してしまいました。この二の舞を演じないためには、敵の早期発見が最優先になります」
語りながらセラはテーブルの全面を占める液晶画面をタップした。
ポップアップした宙域図を指し示して、彼は説明を続ける。
「地図上に表示されている赤い点は、半年以内に『蠕動者』が出現した箇所であります。データを見ると出現地点は五つの特定の地点に集中しており、このいずれか、或いはすべてに『知性体』が潜んでいる可能性があります」
この特定の地点のうち四つは、アステラ正規軍の航行ルートであったり、宇宙基地の近くであった。
しかしたった一箇所、例外が存在する。
鋭く目を細め、マザー司令は呟いた。
「旧『ジュゼッペ基地』……」
三年前、『蠕動者』の大群に襲われて壊滅した基地である。
当時の正規軍は艦隊の半数が壊滅した時点で基地を放棄、撤退した。
以後、二度にわたる奪還作戦が実行されたが失敗に終わっており、現在では『ジュゼッペ基地』周辺は侵入禁止宙域に指定されている。
「我々が立ち入っていないにもかかわらず、レーダーには『蠕動者』の反応が頻回に感知されている。以前から妙だとは思っていたが……やはりここに『知性体』がいるとみるか、大佐?」
「は。いると考えるのが妥当でしょう。仮にいなかったとしても、『蠕動者』が多いエリアは危険です。奴らがいつ、ほかの宙域に流れてきてもおかしくない以上、討伐は必要になるでしょう」
マザー司令とセラの問答を聞き、二人の壮年中佐は顔を見合わせた。
彼らは『ジュゼッペ戦役』の際は少佐として、現場の艦を率いて戦った人物であった。
三年間、蓋をし続けていた忌まわしき記憶。
それと向き合い、重い腰を上げる時が、ようやく来たのだ。
「『第三次ジュゼッペ基地奪還作戦』。――作戦の実行許可を、司令」
セラ・モンゴメリーはそう銘打ち、基地全軍の総司令に打診する。
冷酷なほどに抑揚のない声で、一切の迷いなく、マザー司令は答えた。
「構わん。作戦の総指揮はモンゴメリー大佐に、バーンズ中佐とウッド中佐にもそれぞれ艦隊を一任する。心して拝命せよ」
「は」
佐官たちは司令へと揃って最敬礼を返した。
『知性体』を討伐し、奪われたすべてを取り戻す。
正規軍の誇りと人類の未来を懸けた戦いが、静かに始まろうとしていた。