ベラが父・ジョンとの交渉を終えた、翌日。
航たちは『コロンビア特別区』を出立し、『ネオシンジュク』ブロックへと移動した。
一日に百万人もの利用客が行き来する巨大宇宙港を中心として栄える、経済や観光の要衝である。
『アステラ』の副都心として栄華を極めるこのブロックであるが、光あるところには常に影も付き纏う。
宇宙港やオフィス街、歓楽街のある中央区画から一歩外れると、そこに広がっているのはスラム街だ。それがブロックの外縁側、果ての果てまで続いている。
夜になれば狭い中央だけが燦然と輝き、その外側は沈黙しているという歪な構造。まさに一部の者だけが富を独占し、それ以外の者は貧しさに喘ぐ、現在の『アステラ』経済の縮図といえた。
「さっ、今日から忙しくなるよ~」
そんな航の宣言通り、それからの日々は慌ただしかった。
ベラは航とともに大赤字な『星野号』の資金繰りに奔走せねばならなかったし、スミスやノアも艦の設備の改修で一日中、宇宙港の護衛艦ドックに籠もりきりになることもざらであった。
「艦長、今の資金じゃあさすがにこの装備は積めません! もうちょっと安いものでもいいんじゃないですか!?」
「安物買いの銭失いってことわざ知ってる? クオリティを落として損害が出たら、それこそ取り返しのつかないことになる!」
「ですがっ、これ以上の借金は……!」
こんな言い争いも日常茶飯事である。
借金上等、出資金の出処も不明瞭。財閥令嬢としての教育を受けてきたベラからすれば、『星野号』の帳簿は見ているだけで頭が痛くなるものだった。
「『モニカ』地質調査での報酬が一〇〇〇万、『エレス』での地質調査が一五〇〇万……これだけじゃ支出予定額の十分の一にもならないわ! どうやって赤字をカバーすれば……」
「どれもこれも『アレクサンドラ』が【ノヴァ】のエンジン設計をブラックボックスにして、製造を独占してるせいだよ! ねぇベラちゃん、何とかならないのー?」
財団は民間護衛艦に対する【ノヴァ】エンジンの価格を吊り上げ、彼らの活動を抑制しようとしている。
かつては経済の活性化を狙って民間護衛艦の活動が政府主導で推進され、『フリー』のクルーも相当数いたが、財団の締め付けを受けた現在はかなり数を減らしているのだ。
「それ自体は、わたしにはどうにもできません。けど……」
「けど?」
「……いえ、何でもありません」
ぽかんとした顔になる航に、ベラは適当に笑って誤魔化した。
父との密約。それについて話すのは、ベラが正式に『星野号』の新パイロットとして認められた後でいいだろう。
そのパイロット募集についても、航の主導で進行中だ。
既に何名かの応募があり、想定よりも候補者が多くなりそうだということだ。
航としては、候補者の中からパイロットを選定する「加入テスト」を行うつもりらしい。
もちろん試験の対象者にはベラも入っている。既にクルーである彼女であっても、実力が不足していれば容赦なく不適格となる。
だが、そのテストがどのような形式になるにせよ、ベラとしては落とすつもりなど微塵もない。
「さあ、あと一時間頑張りましょう!」
仕事でも戦闘でも、誰よりも『星野号』に貢献できるパイロットになってみせる。
そう意気込むベラは俄然張り切り、ぐでーっとだらけ始めている航の尻を叩くのであった。
*
『ネオシンジュク』のオフィス街の一角にて。
この日、ビルの一室を借りて行われるのは『星野号』正式パイロットを決定する「加入テスト」だ。
フローリングの広々とした部屋に置かれた、一〇基ものシミュレーションマシン。
仮想空間での模擬戦が、今回の試験だ。
壁際には既に到着していた参加者たちが並んでいる。スーツ姿の若者やラフなジャケットを着た壮年の男、中にはベラと同い年くらいに見える少女までいた。
「……どうも」
その黒髪の少女と目が合い、声をかけられたベラは軽く会釈を返した。
長めの前髪で目元がほとんど隠れた気弱そうな見た目だが、ゆったりと壁にもたれかかる佇まいに緊張はみられない。
ここに来ている以上、彼女も相応に自信があるのだ。同年代の女の子であっても気は抜けない。
(大丈夫……大丈夫よ。わたしはあのエルルカに勝ったんだもの。絶対いけるわ)
そう自分を鼓舞し、ベラは深呼吸を繰り返した。
膝を抱えて開始時間を待つこと十五分。
会場のドアががたんと開き、フライトジャケットを肩にかけた航が颯爽と現れる。
「やあやあ、未来の英雄諸君! 心の準備はできているかい? これから我が『星野号』のパイロット選抜試験を始めるよ!」
彼らしい芝居がかった登場にベラは思わず、くすっと笑みを浮かべる。
が、横から鋭い視線を感じてすぐに表情を引き締め直した。
「さっそくだけどルールを説明しよう。諸君らにはシミュレーションマシンに搭乗してもらい、仮想の宇宙にて『蠕動者』の大群と戦闘してもらう。最終的に生き残った二名を新パイロットとして選出する。制限時間は無制限、こちらから作戦の指示も出さない。各々が自由に考えて戦う、サバイバル・ゲームだ。オーケー?」
参加者一同の前に立ち、航は大仰な手振りで試験の概要を説明する。
ベラを含め、パイロットたちに異論はなかった。
銀の腕がぴくりと震える。不安や恐れの表れか。否――これは武者震いだ。
戦いを前に心が沸き立つ。実力者たちと切磋琢磨できる絶好のチャンスが嬉しい。
「参加者は当初十人を予定していたけど……ラッキーだったね、一人は遅刻してるみたいだ。九人での生き残りを賭けたデスゲーム……さあ、始めようか!」
よし、とライバルが減って喜んでいる者もいたが、ベラにはそんなことはどうでもよかった。相手が何人でも関係ない。純粋に実力をぶつけ合って勝負する、それだけだ。
航の合図で参加者たちは一斉にシミュレーションマシンへと乗り込んでいく。
かくして試験は幕を開けるのだった。