ベラ・アレクサンドラが帰ってきたというのに、
豪奢な外門ががらがらと自動で開く。
石畳の道が玄関まで続いているだだっ広い庭園を、鬱陶しいピンヒールの靴でベラは進んでいった。
丁寧に剪定された植木。色とりどりの生花。静かな水音を奏でる噴水。檻の中で餌を啄む、雄々しい羽根の
(可哀想……ここにいる生き物たちはみんな、アレクサンドラの財力を誇示するトロフィーでしかない。わたしと同じ)
哀れみを覚えると同時に、それを用意させた財団の肉親たちへの憤りが湧き上がってくる。
宇宙には人類のために命懸けで戦っている者たちがいる。『アステラ』には重税に喘ぎ、住む場所にすら困っている貧民たちがいる。
彼らの苦労を他所に、
(以前まではわたしも同じだった。けれど、長い入院生活と宇宙での旅を経て、その歪さが見えてきた)
不運が重ならなければきっと、ベラは何も疑問に思わずに肉親たちと同類で居続けただろう。そう思うと恐ろしい。
「お帰りなさいませ、ベラ様」
「挨拶はいいわ。今日は安息日でしょう、父上はいらっしゃるわよね?」
玄関をくぐり、ステンドグラスから暖かな光が差し込む、荘厳な教会を思わせる広間へと出る。
迎えてくれた執事を適当にいなして、ベラはつかつかとエレベータまで直進していった。
父は日曜日の午前中、この邸の自室で必ず礼拝を行っている。政治家と癒着していながら敬虔な信徒を気取っているのだから、都合のいい男だ。
(そろそろ礼拝の終わる時間……そこを捕まえれば必ず会えるわ)
目論見通り、ベラが扉を開けるとそこに父はいた。
机の上に置いていた聖書をぱたんと閉じたジョン・アレクサンドラは、さすがに驚いた表情で来客を見上げる。
「……ベラ!? 無事だったのか!」
「予定よりだいぶ遅れましたが、ただいま戻りましたわ、父上。積もる話もたくさんございますが、そこは追々。本日は手短に、わたくしよりお伝えしたいことがあるのです」
ジョンはだらしなく太った男であった。常に汗ばんだ顔は、ベラの父というだけあって贅肉を取り除けばそれなりではあったが、いまはその面影も一切ない。
勢いよく立ち上がってベラのもとへ歩み寄った彼は、肉付きの良い腕で娘にハグした。
「よく帰ってきてくれた! すぐに茶を用意させよう」
「では、お言葉に甘えて」
父にとっては感動の再会であっても、ベラは冷ややかだった。
物心ついた頃から父と話すときは他人行儀であった。母だけが家族だと思って生きてきたが、その母も例の大火で死んでしまった。
テーブルを挟んでソファにかけたベラは、使用人が淹れてくれた紅茶を一口嗜んでから、口火を切った。
「単刀直入に申し上げます、父上。わたくしは――『学園』を辞め、民間護衛艦『星野号』のクルーとして契約を結びたいと考えています」
「……はっ?」
まさしく青天の霹靂な娘の発言に、ジョンは目を丸くした。
次いで、その赤ら顔がさらに赤みを増していく。
「何を言っている!? 『学園』を辞めて、みっ、民間護衛艦のクルーになるだと!? アレクサンドラの令嬢が、ふっ、ふ、フリー風情の傘下に入るなど、冗談じゃない!!」
口角泡を飛ばしてジョンは捲し立てる。
ベラは頬に父の唾が付着しても顔色一つ変えず、彼の怒りを受け止めていた。
「民間護衛艦のクルーになるということは、財団への裏切りも同然だ! その意味を本当にわかっているのか、ベラ!? 大体なぜそんなことを……!」
「『蠕動者』の襲撃を受けたところを、彼らに救われたのです」
一呼吸置いて、ベラは静かに語り始めた。
助けられた後、成り行きのまま行動を共にしたこと。『エレス』での戦いに巻き込まれ、そして帰還を果たしたこと。感情を込めることなく、その事実だけを説明した。
「『星野号』とやらがお前の命の恩人であることはわかった。だが! それとこれとは話が別だ! お前がわざわざその艦のクルーになる必要などない! 例の艦には相応の謝礼を出し、それで手切れとすればいい!」
「……ですが」
「ですが、何だ? 助けられて情が移ったとは言わせんぞ。我々にとってフリーの連中は敵だ。如何なる事情があろうとも、そんな奴らに協力するなど断じて許さん!」
こめかみに浮き上がった血管をぴくぴくと震わせ、ジョンはテーブルに拳を叩き付けた。
すっかり頭に血が上っている彼を正攻法で説得することは、不可能とみて間違いないだろう。
何を言っても父にとっては民間護衛艦は侮蔑の対象であり、敵なのだ。
ならばアプローチの仕方を変えればいい。
「確かに、財団にとって民間護衛艦は対立関係にあります。わたくしもそれはわかっております。ですが、だからこそ奴らの懐に入り込まなければならないのです」
用意してきた台本に従い、本心を欺く仮面を被る。
ベラは淀みない口調で『星野号』潜入の理由を語っていった。
「『エレス』での戦いで最後に『蠕動者』を撃破したのは、『アーク工房』が製造した新兵器と、未確認の【ノヴァ】でした。たった一撃で小惑星に擬態できる規模の『蠕動者』を沈めたあの兵器と【ノヴァ】は、紛れもない脅威です。奴らがあのようなものをほかに隠し持っていないとも限らない。奴らの戦力、その情報を引き出すためにも、スパイが必要なのです。そしてその役割は、『エレス』での戦いを経て奴らの信頼を勝ち取った、わたくしこそが適任であると考えております」
ジョン・アレクサンドラは黙考していた。
民間護衛艦が超大型級の『蠕動者』との戦いに貢献したのが事実なら、ベラの言い分は筋道が通っている。彼らとの信頼関係を築くことのできたベラを間諜として使うことも、理にかなっているといえた。
残る問題は、ジョンの中で、アレクサンドラの人間を民間護衛艦入りさせることが認められるかという点だ。
言うべきことは言った。後は父の、決断次第だ。
「……ベラ」
長い沈黙の後、ジョンは開口した。
「はい」
「お前は何者か?」
問われ、ベラは父の目を正視して答えた。
「アレクサンドラの、ベラですわ」
値踏みする商人の眼差しから逃げず、毅然と前を向き続ける。
やがて父は静かに瞑目し、ふぅと息を吐いた。
「……わかった。お前の意志を、尊重しよう」
「ありがとうございます」
「ただし! 危険を感じたらすぐに降りるのが条件だ! お前はアレクサンドラの後継者になる女だ、死んでもらっては困る!」
顔をしかめたいのを懸命に堪えて、ベラは頷きを返した。
だが、初の実証となる『N義体』を使ってまでベラを生かした父のことだ。理由はともあれ、彼女に死んでほしくないという思いの強さは本物だろう。
――ならば、これも利用できる。
「でしたら、父上。わたくしから一つ、提案がございます」
大胆不敵なベラのその提案に、ジョンは驚き、そして高笑いした。
「まさか実の父にそのような要求をするとは! 見直したぞベラ……正真正銘、お前はアレクサンドラの人間だ」
「わたくしはあなたの子ですから」
腐敗し、贅を貪る忌まわしき血だ。しかし、その血脈の恩恵をベラが受けてきたのも事実である。
この血を利用することで、自分が本当に信じたいと思える人たちの助けになるなら。ベラは喜んで、アレクサンドラの名を掲げてみせよう。
「では、父上。以後のことはよろしくお願いいたします」
「ああ……お前も、決して油断しないことだ。敵に呑まれるのではなく、呑み込んでいくのがアレクサンドラの生き様と心得よ」
一つの約束を取り付けたベラは、ジョンの忠告に恭しく一礼した。
『エレス』からの肩の荷が、ようやく下りた。これでベラはしばらくの間、『星野号』のクルーでいられる。
だが、現状が父や財団との致命的な対立を引き延ばしているに過ぎないことは分かっている。
いつか迎えるその時まで、財団から引き出せる限りの力を取り込む――『呑まれるのではなく呑み込む』覚悟を、ベラ・アレクサンドラは背負うのであった。