模擬戦は決着した。
己の勝利を実感できないままシミュレーションマシンの筐体を出たベラは、いきなりのノアからのハグに面食らう。
「すっごい、すっごいですよベラさん! まさかあのエルルカさんに勝っちゃうなんて! 最高にかっこよかったです!!」
「ちょっ、ノアっ、力緩めて……!」
感動のあまり加減なく抱き締めてくるノアの背中を叩き、ギブギブ、と訴える。
慌てた顔で離れる少年。彼がまだ何か言おうとするのを、ベラはジト目で制した。
昔から令嬢として心にもない賛辞を受けてきたせいで、褒められるのは好きではなかった。それに、この戦いはベラの実力だけで勝ったわけではない。
「アメイジング……まさかあたしが負けるとはね。ブリリアントガール、ベラちゃん!」
遅れて箱型のマシンから降りてきたエルルカが、括った後ろ髪を解きながらウインクを飛ばしてきた。
歩み寄って握手を求める彼女に応じ、ベラは首を横に振る。
「手放しに褒められるものじゃありません。結局、最後は二分の一の運で勝っただけですから」
「その賭けに持ち込めただけでグレイト。勝ち筋を引き込んだあんたの機転が生んだ勝利だったわ」
掛け値なしの賞賛にベラははにかんだ。
そんな彼女の肩にぽんと手を置き、エルルカは言う。
「それに、シンプルな五〇パーセントの運でもないんでしょ? 戦闘中、あんたは常に『上へ飛ぶ』ことを意識していた。ラストシーンで煙の中に隠れ続けたのも、あたしがそれを見抜いた上で行動してくるって読んでいたから。違わない?」
「読んだ、というより直感です。自分でも何が何だか……」
戸惑うベラにエルルカはにこっと笑いかけた。
「あんたがパイロットとして覚醒した、ってことよ。直感とはすなわち、無意識下のイメージ。それを反射的にアウトプットするなんて、そこらの凡人たちにはできないことだわ。誇りなさいベラ・アレクサンドラ。あなたには【ノヴァ】パイロットとしての才能がある」
しばらくベラはぽかんとしていた。
そして、時間差で湧き上がってくるのはぞくぞくとした喜びだった。
認められた。『フリーダム』所属の一流パイロットから、才能があると言われた。
『エレス』での戦いでは大した力にはなれなかったけれど、機体さえ手に入れば今度からは『星野号』を守れる。ハルトの、代わりになれる。
「ありがとうございました、エルルカさん!」
「こちらこそ。今度は本物の戦場で会いましょ♡」
そう約束を交わし、エルルカ・シーカーは悠然とこの場を後にする。
残されたベラは胸の高揚をしばし、噛み締めるのであった。
*
『ディアナ』滞在二日目の夕方。
重力エリアの一角、戦死したパイロットたちの慰霊碑に、ハルト・リル・マーティンの名前が刻まれた。
葬儀は仏式で密やかに行われた。
参列した『星野号』および『アーク工房』のクルーたちは朗らかな人となりだった青年の死に涙して、冥福を祈った。
「ハルトさん……っ」
彼は泣くことを望まないだろうと分かっていても、あの人懐っこい笑顔を思い浮かべると、どうしようもなく涙がこぼれた。
嗚咽を漏らすベラに寄り添って、航は優しく背中をさすってくれた。
自分も思いっきり泣きたいだろうに、彼はぎゅっと唇を引き結んで前だけを見据えていた。
「ハルトだけじゃない……ここに名を刻まれたすべての人たちの屍のうえに、おれたちは立っているんだ。そのことを決して忘れちゃいけないよ、ベラちゃん」
式の後、慰霊碑に印された青年の名前を指でなぞりながら、航が言った。
ハルトの名の隣には、『エレス』での戦いで散っていった民間護衛艦と艦長、そして分かる限りでのクルーたちの名前も残されている。
ぼさぼさだった長髪を一つ結びに整え、無精髭も綺麗に剃って別人のようになっている航に、ベラは静かに頷きを返す。
立花やスミス、ノアも同じだった。
自分たちは彼らの死によって生かされた。その意味を忘れてはならない。
*
その翌朝。
無重力エリアの護衛艦ドックにて、立花は『星野号』クルーたちを見送りに出ていた。
「ベラ、気をつけてな」
「立花さん……ゆっくり休んでね」
ちょっと寂しそうに微笑む立花と、ベラは抱擁を交わし合った。
包帯やガーゼで保護している身体は、まだ痛む。スミスの見立てでは、負った火傷の完治には少なくとも一ヶ月は要するようだ。
あの死闘の後である。一ヶ月の休暇も悪くないと思えた。
「あのエルルカに勝ったんだってな。君ならきっと、立派なパイロットになれる。陰ながら応援してるぞ」
「もう、立花さんったら。引退した人みたいな言い方しないでよ。身体が治ったら、また一緒に戦いましょ」
「ああ……そうだな。待ち遠しいよ」
もう一度ぎゅっと抱き合って、お互い名残惜しげに離れる。
それからスミスとノアにもエールを送り、立花は最後に航と向き合った。
「艦長。……ハルトに、これを」
手渡したのは一輪のプリザーブドフラワーであった。
航はそれを受け取り、静かに頷く。
「ありがとう。彼もきっと喜ぶよ」
込み上げてくる熱いものを飲み下し、立花は目元に滲む雫を指先で拭い取る。
そんな震える彼女の背中を、航が抱き留めて優しくさすった。
教え子との別れは軍の教官時代から幾度も経験してきた。その度に仕方のないことだと割り切ってきた。それでも褒めてやったときの愛おしい笑顔を思い浮かべると、どうしようもなく涙が溢れてくる。
「……私は甘いですか、艦長」
「それがあなたの美徳だよ、立花さん。おれはそんなあなただからこそ、惹かれたんだ」
耳元で囁かれる。その言葉が胸に染み渡り、嗚咽に乾いた彼女の心をそっと満たしていった。
「では、また」
「うん、また一ヶ月後にねー。立花さんの新しい機体も、ハルトの代わりになる優秀なパイロットも必ず用意しておくよー。だから安心して、休暇を満喫してねー」
「満喫、というわけにもいきませんが。ゆっくり羽を休めておきますよ」
のんびりと言う航に、立花は微笑みを返した。
クルーたちが艦へ乗り込み、出港準備へと入る。
年季を感じさせる荒いエンジン音を響かせて、『星野号』は動き出した。
一抹の寂しさを抱きながら、立花は手を振って彼らを見送った。
しばらくして、ふと――一人そこに佇んでいた彼女へ、声をかける者がいた。
「『星野号』パイロットの立花さん、ですね?」
怪訝な面持ちで振り返る。
そこに立っていたのはスーツ姿に眼鏡をかけた冴えない男性であった。
「『CFA』の
『民間護衛艦連盟』の使者。
九条と名乗った男に向き直った彼女は、己を戒める首輪に触れながら、彼が何を持ちかけてくるのかを察して眉間に皺を寄せた。
*
青い人工星へと降りていく。
中心の人口太陽の周囲にあるハニカム型の居住ブロックの一つ、『コロンビア特別区』は、かつての『自由国家連合』の首都機能を遷移させた『アステラ』の心臓だ。
そのブロックの天頂に位置する宇宙港へ、『星野号』は入港した。
厳重な監査を行うこと二時間。
ようやく監査官との睨めっこから解放された航は、うーんと背伸びして言う。
「あー、疲れたーっ! もう二度とこんなブロック来るもんか!」
「こ、声が大きいです艦長。……コロンビアの監査って、ほかのブロックと比べてそんなに厳しいんですか……?」
ベラにとっては煩雑な手続きも当たり前すぎて、疑問にすら思ったことはなかった。
肩を竦めて航は答える。
「そりゃあもう。おれが拠点にしてる『ネオシンジュク』ブロックは手形一枚で通してくれるもん」
「手形一枚で……!? それはそれで緩すぎるような……」
「ま、おれの場合は特例でね。『ネオシンジュク』の区長様には以前か――」
「おっと失礼、手が滑った!」
ぺらぺらと語り出す航の口元をスミスが強引に手で塞ぐ。
背後のゲートに立つ監査官を尻目に冷や汗をかくスミスの様子に、ベラはこれ以上の追及を避けた。
『CFA』会長のユージーン・プレイス氏に対してもそうだったが、航は色々と顔が広いらしい。底の知れない男だ。敵に回したらさぞ厄介なことだろう。
まあ、今もこの先も味方なので、頼もしいことこの上ないが。
「この後はどうする、艦長?」
「とりあえずホテルで休んで、以降のことは追々、って感じかなー。おれとスミスさんだけじゃ多分ぎりぎりになっちゃうから、ノアやベラちゃんにも手伝ってもらいたいんだけど、いいかな?」
キャリーバッグを引いてオートスロープを歩きながら、航が訊いてくる。
隣に立つノアと顔を見合わせ、ベラは頷いた。
「もちろんよ。財団の令嬢として経営に必要な知識は一通り叩き込まれてきたわ。資金繰りは任せて!」
「お、頼もしいね~。じゃ、ベラちゃんは経理担当だね。でも、その前に――」
くるりと振り返り、キャリーバッグに腰掛けた航はベラをまっすぐ見つめる。
サングラス越しに感じる真剣な視線に、ベラはごくりと生唾を飲んだ。
「君のお父さんと話をつけないとね。なんたっておれたちは、そのためにわざわざ『コロンビア』まで来たんだから」
この先もベラが『星野号』クルーとして戦っていくのなら、避けては通れない問題。
父は間違いなく反対するだろう。父のみならず財団の関係者は皆、賛成などしないはずだ。それでも、ベラは諦めたくはなかった。
「ええ。明日にでもアレクサンドラ邸へ赴こうと思います」
「鉄は熱いうちに打て、ってやつだねー。でも大丈夫? やっぱおれも一緒に行ったほうが……」
父と対面する際は一人で行かせてほしい。
『エレス』を出発した後、ベラは予め航にそう頼んでいた。
「覚悟はできています。わたしはお守りが必要な子供ではありませんよ」
勝ち気に笑って宣言する。
頷いた航は頭を撫でようと伸ばしかけた手を引っ込め、無精髭の生えた顎をさすりながら言った。
「そうだったね。君の武運を祈る……っていうと、大袈裟かな?」
「いいえ。それだけで十分、心強いです」
父は強硬な態度で反対するだろう。だが、だからこそ通じる秘策をベラは用意してきている。
彼女が学んできたのは何も学問だけではない。大人たちの世界で上手く世渡りするための政治力も、それなりに鍛えてきたつもりなのだ。
*
そして迎えた、翌日。
新調した純白のワンピースを身にまとい、同色のパラソルを優雅に差して、ベラはアレクサンドラ邸の門前に立っていた。
インターホンを押し、硬質な声で名乗る。
「ベラ・アレクサンドラです。ただいま戻りました」