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第19話「また会えるかもしれへんな」

 小惑星『エレス』での死闘から、およそ十日。

 艦の整備と補給を完了させた『星野号』は、『アーク工房』の護衛艦とともに『アステラ』へと帰還を果たした。


「見えてきたわ、『アステラ』……!」


『星野号』ブリッジにて。

 ベラ・アレクサンドラは身を乗り出し、モニターに映し出される青く丸い『星』を見上げる。

『星』といっても自然にできた天体ではない。いわゆる『スペースコロニー』である。

 直径約三〇〇キロメートル。中心に浮かぶ人工太陽の周囲に直径約一〇キロメートルほどの居住エリアがハニカム構造で展開され、球状を形成している。

 アステロイドベルト観光ツアーに出発した日以来、一時は二度と見られないかもしれないと思った光景が、そこにあった。


「ああ……私たちの故郷ふるさとだね」


 そう言ってブリッジに顔を出したのは、立花であった。

 額や頬にガーゼを当て、服の下の身体も包帯で処置してある彼女に、ベラは思わず駆け寄って訊く。


「立花さん! 部屋を出て良かったの?」

「……本当はダメなんだがね。入港する前に一目、ここを見ておきたかった」


 痛みを庇うように曖昧な笑みを浮かべる立花。

 彼女の言葉に、ベラは『エレス』到着時を思い出した。死刑囚である彼女に自由はない。アステラに着いたとしても『星野号』のなかで留守番を強いられることになるのだろう。


「死んだ妹がいつか見たいと言っていた景色なんだ。あいつはきっと水の星みたいなんだろうねと言っていたが……実際の地球とはまるで違う。本物は青い海に加えて、大気中の雲の白も混じって、大陸の緑や茶色も見えていたそうだからな。それでも……たとえ偽物でも、現在いまの私たち人類が生きる唯一の故郷であることは、変わりない」


 感傷を抱きながら立花は語る。地球と『アステラ』、双方に思いを馳せてベラもしんみりとするなか――男の太い重低音がそこに割って入った。


「立花君。……決して動くなと厳命したはずだが、どういうつもりか説明してもらおうか」


 見ると、ブリッジの入り口から鬼の形相で覗き込んでくるスミスの顔があった。

 青筋をぴくぴくと震わせる軍医兼メカニック兼地質調査員兼操舵手の姿に、流石の立花も血の気を引かせる。


「それはだな……指導役として、ベラに地球とアステラの違いについて説明を……」

「それは結構。だが君が治療中の身である以上、その役割は艦長が果たすべきだと俺は思うのだが、その点はどうお考えかな、艦長??」


 腕組みして凄むスミスの剣幕にベラは「ひっ」と乾いた声を漏らす。

 問い詰められた当の航は、艦長席に腰掛けたまま微動だにしない。顔は前に向いていて、サングラスの下の目でモニターを見つめているものかと思われたが――よく観察すると口元にはよだれの筋が光っていた。


「そろそろ起きる時間だと思うが、艦長?」

「いたいいたいいだいッ!!? 起こすときにアイアンクローをかける文化的慣習なんて聞いたことないよ!?」

「だったら覚えておくといい。スミス家に代々伝わる朝の挨拶だ」

「あー、だから頭にダメージが行ってそんな毛根に――いてててッ、ギブギブ!!」


 スミスから再度強めの制裁を食らい、シートの肘掛けをバンバン叩いて降参する航。

 ぽろっとサングラスが取れた彼は涙目だった。


「アイムソーリー、ヒゲソーリー……許してちょんまげ……」

『おー、なんだなんだ、プロレスごっこか!? 『星野号』も随分と呑気なもんだな!!』


 と、そこに大音声の通信が割り込んでくる。

 といっても音量設定を間違えたわけではない。この男の声が初めから大きいのだ。

 身長二メートルを超える偉丈夫にして『アーク工房』工房長、ディアン・アークである。


「これは工房長、お恥ずかしいところをお見せしましたな」

『元気があるのは良いことだ! あとでノア坊も混ぜてやれ! ……ところで坊主、お前さんの【ノヴァ】のことなんだが!』


 苦々しい表情のスミスに笑い飛ばしてみせ、ディアン工房長は航へ訊ねた。


『俺たちは『アステラ』ではなく『ディアナ』に降りる! お前さんの【サジタリウス】もそこで降ろして、こっちで預かったほうがいいんじゃねえか!?』

「そうだね。そのほうが安全かも」


【ノヴァ・サジタリウス】は航がアーク工房に依頼して作らせた特注品だ。下手に『アステラ』に持ち込んで正規軍の検閲を受けさせたくはない。

 と、そこで立花が挙手して言う。


「では私も同行しようか。私のような日陰者には、宇宙のほうがお似合いだろうし」

「ああ、そうしよう。いいよね、おやっさん?」


 確認を取る航にディアンは『構わん!』と快諾するのだった。



 その十五分後、二隻の護衛艦は宇宙ステーション『ディアナ』へ着港する。

 回転軸を中心とした、直径二キロメートルほどの車輪状の形状。車輪の内部には遠心力による擬似重力が存在し、宇宙港がある中央部は無重力エリアとなっている。

『アステラ』の衛星軌道上を回っている『ディアナ』は、正規軍ではなく民間団体が管理している唯一の宇宙ステーションだ。


「あの、艦長」


 艦を降りてほどなく、ベラは航に声をかけた。


「ん、どしたの?」

「『ディアナ』での滞在はどのくらいになりますか? よければわたし、色々と見学したくて!」


 もしかしたら、最初で最後になるかもしれないから。

 そんな内心をひた隠し、ベラは朗らかに笑って言う。


「そーだねー……別に『アステラ』入りも急いじゃいないし、しばらくここで休もうか」

「ありがとうございます!」

「ノア、案内してやって」

「はっ、はいっ!」


 案内役を任されて、張り切って返事をするノア。

『アーク工房』をはじめ、多くの民間護衛艦の拠点はここ、『ディアナ』にある。勝手知ったる場所というわけだ。

『アーク工房』の面々とも合流し、一同は個性的な艦の居並ぶドック内を進んでいった。

 入場ゲートを通過してエレベーターへ。車輪のスポークにあたるそこを降りていくと、重力エリアへと辿り着く。

 と、そこで、エレベーター前を通りがかった誰かが立ち止まり、声をかけてくる。


「おお、星野艦長! それにディアン工房長も。よくぞご無事で」


 口元に白髪交じりの豊かなひげを蓄え、正規軍の紺色とは異なる深緑の軍服を纏った、屈強な体格の初老の男性。

 厳つい見た目に反して落ち着いた表情のこの人物の名は、ユージーン・プライスといった。

 宇宙ステーション『ディアナ』を管轄する、『民間護衛艦連盟』――通称『CFA』の会長を務める男である。

 二周り以上も年上の彼ににこにこと笑いかけ、手を振ってみせた航は、ぺこりと頭を下げて慇懃な口調で言う。


「ユージーン会長。お元気そうで何よりです。その口ぶりですと……おれたちが何に巻き込まれたのかはご存じで?」

「突拍子もない風の噂でしたがね。まさかと思いながら聞いていましたが……」

「あいにくそのゴシップは真実ですよ。立ち話もなんですし、お時間ございましたら報告がてら一杯どうです?」

「ええ、構いませんよ。ディアン工房長、あなたもいかがですか」


 ご遠慮させていただきます! と変な敬語で固辞するディアン工房長。

 それを苦笑いで済ませたユージーンは腕時計に目をやり、では行こうかと航を誘った。

 時刻は午後七時。思い出したかのようにベラのお腹もぐうっと鳴る。


「何か食べに行きましょうか。ぼく、奢りますよ!」

「いいわよ、そんなの。むしろわたしのほうがお金持ってるんだから、わたしが出すわ」


 申し出たノアに、きっぱりと断る。それでもなお食い下がる彼を見て、立花はベラに耳打ちした。


「いいとこ見せたいんだろう。ここは彼の気持ちを汲んでやったらどうだ、ベラさん?」

「もうっ、からかわないで」


 ちょっと顔を赤くして言うベラ。

 しょうがないわね、と渋々認める彼女に、ノアは「じゃあ行きましょう!」と手を差し伸べる。


「男みせろや、ノア坊!」

「うっ、うっさい親父! ベラさんもあんな大男の言うこと気にしなくていいですからね!」

「はいはい。じゃ、エスコートしてよ、ノア坊?」

「の、ノア坊はやめてくださいっ……」


 耳まで真っ赤にするノアに、ベラはくすくす笑みをこぼした。

 戦いが終わり、こうして笑っていられることが、彼女には何より嬉しかった。



 航とユージーン会長が会食に出かけ、残された一同はそれぞれ自由行動となった。

『ディアナ』の重力エリアは宇宙ステーションでありながら、小さなコロニーのような構造をしている。内部の一本道はさながら地下街の通路のようで、そこにはレストランやバー、コンビニなどの店々が立ち並んでいた。


「ほんとに、『アステラ』の中にいるみたい……」

「すごいでしょう? 初めて来る方はみんな驚かれるんですよ。ここから二百メートルくらいの通り全体が商業エリアになってるんです」


 ベラとノアは二人、落ち着ける店を探して商業エリアを歩いていた。

 そんな二人を周囲の人々は奇異の目で見つめている。年若い男女、しかも片方がアレクサンドラ財団の『火傷姫』ともなれば、当然のことだ。


「そこがぼくのおすすめのお店なんですけど……なんだか混み合ってますね。見てくるのでちょっと待っててください」


 小洒落たバーの前で言われるがままにベラは待つ。

 左頬に掌を当て、肌がざらつくような居心地の悪さを感じながら立ち止まっていると――ふと、彼女は身構えた。


「るるんるーん♪ ふんふーん♪」


 鼻歌を歌い、両腕を広げてくるくると回りながらこちらに近づいてくる、一人の少年。

 透き通る水色の髪、あどけなく笑みをこぼす中性的な顔立ち。大きめの布をすっぽりと被ったようなケープを身に纏い、ゆらゆらと揺れるその姿は、踊り子のような異彩を放っていた。

 身構えたまま、ベラはその少年に見蕩れていた。

 機械の心臓がきしりと軋む。初めての感覚だった。


「きゃっ!?」「あいてっ!?」


 ごっつーん! と正面衝突する。

 尻餅をついたベラはすぐに立ち上がり、仰向けに倒れている彼へ手を差し出した。

 涙で潤んだぱっちりとした瞳が見上げてくる。ずきん、と再び胸が痛んだ。


「おおきに。堪忍なー」


 語頭の下がる奇妙なイントネーションで言い、その少年はベラの手を取る。

 しなやかな身のこなしで起き上がった彼は、ケープに付いた埃を払いながら微笑んだ。


「あ……危ないから、前見て歩いたほうがいいわよ」

「せやねぇ。ボク、夢中になるといつもこうやねん。気ぃつけるわ」


 不思議な言葉遣いだ。方言、というやつだろうか。顔立ちからして日系人だと思われるが……。


「あぁ、このしゃべり方? ボクのご先祖様、日本の京都ってとこに住んでたらしいねん。家族は誰も京都弁なんて知らんかったんやけど、ボク、気になるから勉強したねんな。だからこんなしゃべり方。どや、おもろいやろ?」


 ぺらぺらと自分語りする少年になんだか圧倒されてしまうベラ。

 と、そこで男性の声が少年を呼んだ。


「おい、何してる! 戻って来い!」

「いっけね、バレてもうた」


 いたずらっ子のように舌を出し、軽やかに後ずさる。

 純真な笑みを浮かべ、少年は最後に小さく手を振った。


「にへへ、また会えるかもしれへんな」


 腕時計を睨みながら貧乏揺すりをして待つ白衣姿の男性のもとへ、水色髪の少年は急ぐ。

 その姿をぼうっと見送るベラは、彼の言葉を脳裏で反響させていた。

 ――また会えるかもしれへんな。

 どういう意味だろう。あの白衣の男は彼の関係者? 一体何者なのか。ここにいるということは軍の関係者ではあるまい。まさか、財団の人間……?


「お待たせしました、ベラさん! 二十分くらい待つことになりそうなんですけど、どうしましょう?」

「――えっ? そ、そうね、どうしましょうか」


 ノアの声に、現実に引き戻される。

 ――考えすぎか。

 そう思い直し、ベラはノアへと笑顔を取り繕った。

 気づけば、胸の軋みは止んでいた。 


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