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第17話「――逝け」

 光条が迸り、爆煙が視界を遮る。

 その光景を前に、航は罅割ひびわれんばかりの絶叫を上げていた。


「ハルト――――――――――――!!」


 胸が張り裂けるような痛みが込み上げてくる。涙が滲んで頬へ零れる。

 また、失った。おれのせいで。おれが殺したようなものだ。おれが――。


「ううッ、うううッ、うああああああああっ……!!」


 慟哭する航の眼前で、黒煙が徐々に失せ、『蠕動者』の姿がそこに現れる。

 煙を吸い込む『蠕動者』の咽喉はあらわになっていた。 

 機体の爆発によって下顎が木っ端微塵にされ、赤々とした口腔内がさらされている。

 肉壁一枚を隔てて暴き出された急所。

 ハルトが己の命に換えて切り開いた、最後にして最大の勝機だ。


 そして、そのとき――ベラの搭乗する『UFO』の砲門が火を噴いたのを、航は見た。

 敵を倒せる絶対的なチャンスを前に少女ははやってしまったのだ。

 届かない手を彼女へと伸ばし、航は叫ぶ。

 ダメだ、その砲撃じゃ跳ね返されて終わるだけ――。



『――君を死なせはしない、ベラ!!』



 届いたのは勇壮なる青年の声。

 急所を直撃するも反射されたミサイルが『UFO』へと肉薄する寸前、赤い閃光がその円盤型の機体をさらっていく。

 それと同時に、航は思考よりも本能で操舵輪に飛びついて『星野号』を回避させんとした。

 もう動かないかと思われた艦が、一気に噴かしたサブスラスターの推力によって面舵を取り、飛来してきたミサイルをぎりぎりのところでかわしていく。

 ノア少年の陰ながらの奮戦が艦の危機を救ったのだ。


「せっ、セラ……!」

『今ので右腕が損傷した。これでは――』


 航が『星野号』の舵を取っていた、そのとき。

 現れた【ノヴァ・リオ】に対し『蠕動者』は咄嗟に身体をのたうたせ、払い落とさんとしたのだ。

 急旋回での離脱。が、強烈なGからベラを守ろうと速度をわずかに落とした隙が命取りとなり、【リオ】は右半身に直撃を食らってしまった。


『わたしの、せいで……!』

『いや、君のせいじゃないさ、ベラ。だが……』


 左腕はベラの『UFO』で塞がり、右腕は回路が欠損して機能しない。

 満足に動けない状況にセラが唇を噛む。そんな彼に対しベラは迷わず言った。


『わたしは死んでもいい! あんたがあいつを撃って、セラ!』

『――ダメだ!!』


 そう断言して【リオ】はバランスを崩した身体で転進し、『星野号』へ帰投しようとした。

 が、さらされたその隙に『蠕動者』が飛びつかないわけがない。

 下顎を破壊され、咽喉の露出した大口が【ノヴァ・リオ】の背中へと急迫する。

 ――やめてくれ。

 声にならない叫びが航の喉から漏れ出る。

 ――もうこれ以上、おれから大切な人を奪わないでくれ――。


「ぁ、ああッ、あああああッ……!?」


 抑制の効かない情動が唸りとなってあふれ出していく。

 頭を抱えて半狂乱となる航の脳裏に、人も『蠕動者』も問わず、死んでいった者たちの声がフラッシュバックする。

 死の瞬間の心臓が早鐘を打つような恐怖。認めがたい状況への混乱。その結果を生んだ敵に対する、憎悪。

 その中に、たった一つ――笑みが浮かんでいた。


『なに泣いてんすか、艦長』


 人懐っこくて、純粋で、それ故に一度は折れてしまったけれど、自分たちのもとで再起してくれた、赤茶髪の青年。

 呆れたように笑っているハルトの幻影を前に、航はわなわなと肩を震わせた。


「おれは、艦長失格だ。自分では何もできずに、君たちを死なせた……!」

『それでも、俺にとっては星野航さんこそが艦長っす。立花さんも、スミスさんも、ノアくんも、ベラちゃんも……みんな、艦長が艦長だから、ここまで戦ってこれたんすよ』


 航を信じたからこそ、クルーたちはこの無謀な戦いに命を賭している。

 たった一人の艦長として、星野航がその席に戻ってきてくれることを、願っている。

 ベラだって言っていた。『あなたは強い人だから、わたしもあなたを信じたいと思える』と。


『……じゃあ、「星野号」のみんなによろしくっす』


 ちょっと名残惜しそうな言葉を最後に、ハルトの声は聞こえなくなった。

 断末魔の反響も止んだ沈黙のなか、航は顔を上げる。

 瞳を隠すサングラスのテンプルにそっと手をかけて、彼はそれを外した。


「ごめん。ハルト、みんな。――おれは、つよ」


 床を蹴り、無重力下の慣性に任せて操縦席へと飛び乗る。

 座ると同時に肘掛けの下側に仕込んでおいたボタンを押した、その直後。

 シートが床下へと強制排出され、青年の姿はブリッジから消えた。



「これでは――ッ」


 顔を歪めたセラは機体を宙空で翻し、頭部横のミサイルポッドから弾幕を斉射した。

 真正面には開きっぱなしの『蠕動者』の大顎が迫る。

 気休めにしかなるまい。だが、敵のリソースを少しでも反射に使わせれば隙を生み出せるかもしれない。あとはこの【リオ】がさばききれるかどうか――。


「耐えてくれよ、ベラ!!」


 彼女の肉体は機械でできている。常人ならば血反吐を吐くGであっても、死にはしない。

 財団の『N義体』の性能を信じて、セラはスラスターを最大出力にする。

 コンマ数秒後、ミサイルの乱反射が光条のごとく宙を走った。


「ちぃッ――!」


 跳ね返される弾頭をすべてかわしきることなど不可能だ。

 ならばせめてベラの『UFO』だけでも守り抜かんと、セラは回避運動を取りながら機体を丸める。『新兵器』を固定している背中への被弾は許されない。半壊の右半身で受けるしか――。

 横殴りの衝撃に吹き飛ばされ、【リオ】は『星野号』ではなく周辺の隕石上へと岩盤を削りながら漂着した。


 ――左腕はまだ動く。ベラをここに置いてすぐ離脱し、『蠕動者』との戦いに戻らねば――。


 しかし、機体の右脚部関節が破損したようでまともに立位を取ることもできない。

 片膝を突いた体勢で止まってしまう【リオ】。

 見上げる宇宙そらを覆い隠すように、焼けただれた大口と胴体だけが残った異形のものがにじり寄った。


「すまない、ベラ……!」


 もはやこれまでか。

 己の死を覚悟したセラは、ベラを庇うように左腕を広げて『蠕動者』を睨み据えた。



 瞬間――閃光が迸った。



「これは――!?」


 驚愕に目を見開いたセラは、見た。

 舞い降りた一機の【ノヴァ】を。

 輝く白い四肢。細身のボディはグレーとエメラルドグリーンのツートンカラー。襤褸ぼろ切れのごとき黒いマントを纏い、長い砲身のスナイパーライフルを構える姿はさながら狩人のようだった。

 初めて見る機体だ。どこから現れた。そう疑問に思うセラは、仰ぐ先の『星野号』の状態に唖然とする。

 船底の一部が扉のように両開きとなって、開放されていたのだ。

 まさかあそこから――その考えを裏付けるように、旧知の声が呼びかけてくる。


『セラ、ごめん、遅くなった。あとはおれに任せて』

「航、なのか……!?」


 降下してきた未知の【ノヴァ】は、そのままセラたちと『蠕動者』との間に割り込んだ。

 向けられた砲口を前に『蠕動者』が怯んだように動きを止める。

 その隙をちゃっかりと利用して、航は無二の戦友へと呼びかけた。


『持ってきてもらった新兵器ちょーだい! こいつで決めてやるっ!』


 その声に普段の調子を取り戻したのだと察したセラは、にやりと笑む。

 背中に接続していた新兵器を左腕で無理やり引き剥がし、投げ渡した。

 回転しながら宙を舞うその武器は、「弓」であった。

 弓幹ゆがらの長さが機体の全高ほどもある巨大なそれを受け取った航は、高らかに宣言する。


『【ノヴァ・サジタリウス】、星野航――パイロット堂々復活だね!』




 五年ぶりのコックピットの感覚は、戦艦の座席とはまるで違う。

 自らと機体とが一体になり、戦場の冷たさを肌でじかに感じる。

 それがあのときのトラウマを呼び起こす気がして、ずっと恐ろしかった。

 だが、いまは不思議と怖くはない。


「『蠕動者』のきみ……きみの声も聞こえるよ。戦うことが怖いんだね……おれもそうだったから、わかるよ」


 声なき叫びが脳内に反響する。

 迷子になった子供が親を求めて泣いているような、心細さに胸が苦しくなるような訴え。

 知性はあっても、幼いのだ。

 だから最初に『星野号』と会敵したときは逃げようとした。それでも襲われたから反撃した。きっと、あのまま見逃せば戦いはそこで終わっていたのだろう。


「きみの……きみたちのことを知りたいと、思うよ。けれど……ごめんね。この世界は、どこまでも残酷なんだ」


 航にとっても、この『蠕動者』にとっても。

 お互いがお互いの仲間を殺しすぎた。人類は『蠕動者』を憎むし、『蠕動者』は人類を喰らう。たとえ航とこの個体が戦いから逃れられたとしても、人類と『蠕動者』というマクロな括りでみれば、再び激突のときがくるだろう。


「せめて一息で……終わらせてあげるから」


【ノヴァ・サジタリウス】がその長弓を構え、固く握り込む。

 その力に呼応するかのように弓幹の両端から光の弦が発生した瞬間、『蠕動者』は己の死を察知して激しく身悶えした。

 下顎のない大口を精一杯開いて、目に映る何もかもを呑み込まんとする「彼」に対し――


「――け」


 右腕を引き絞る動きに対応して光の矢が生成され、放たれる。

 その一矢は白い軌跡を残して突き進み、『蠕動者』の上顎を直撃した。

 圧縮されたガンマ線のエネルギーが急所を守る障壁を消滅させ、刹那のうちに灼熱が脳天まで至る。

 ほどなくして『蠕動者』の赤黒い肉体が灰色へ変わり、消し炭のように崩壊していった。

 雪のごとく舞う灰燼をその身に浴びながら、航はいつまでも、その『蠕動者』がいた宇宙そらを見つめ続けていた。


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