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第16話「たとえ、おれがいなくなっても――」

 五年前の、あのとき。

 恐怖を訴える本能を理性で律して、星野航は眼前の怪物と相対した。

 前代未聞の超大型級『蠕動者』――後に『アビス』と呼称されるその存在に対し、彼は戦友とともに無謀なる戦いに臨んだ。


『接近戦を仕掛ける! 援護して、セラ!』

『――ああ!』


 冷静に作戦プランを組み立てる。

 こちらの戦力はたったの二機。母艦を失い補給も増援も望めない。持久戦は不可能。エネルギー一つ無駄にできない現状であの巨大な敵を倒すには、敵の急所へと迅速で的確な一撃で決めるのがベスト。

【ノヴァ・リオ】の最大火力である、強烈なガンマ線を纏った剣による一撃必殺。

 それをぶち込むしかない。


『――遅いねッ!』


 急接近してきた航の【ノヴァ・リオ】を払い除けようと、岩山のごとき尾を横薙ぎにする『アビス』。

 周辺の隕石をもろとも粉砕するその圧倒的な膂力も、当たらなければどうということはない。

 加速して上昇、敵の一撃を後にする。


『――――――――ッ!!』


 瞬間、『蠕動者』が大口を開けた。

 母艦を呑み込んだ強烈な引力に機体が吸い寄せられる。

 視界の中で、隕石の破片が土砂降りの雨のように『アビス』のほうへと流れていく。

 頭部までの距離はまだ数キロはある。にもかかわらず、これほどまでの吸引力を持つなんて――。


『航ッ!!』

『来るなッ、セラ!』


 救援に向かおうとしたセラを航は拒んだ。来たところで共倒れになるのは目に見えている。

 操縦桿を一気に倒し、アクセルを踏み切る。だが、背部のメインスラスターや機体各所のバーニアの全推力をもってしてもなお、ブラックホールのごとき引力には逆らえない。

 騎士の鎧を想起させる装甲が剥落していく。握った剣を離すまいと手指に一層の力を込め、航は歯を食いしばった。


 ――賭けに負けたのか、おれは。


 考えてみればそうだ。四〇〇メートル級の『護衛艦』を一息に丸呑みした『蠕動者』に、所詮一機の【ノヴァ】が抗えるわけがない。

 いっそすべての力を抜いて、諦めてしまったら楽になるだろう。戦場で何度も見てきたから分かる。死というものは一瞬だ。

 けれど。 


『航っ――航!!』


 死に物狂いなセラの声に、虚無的な思考から現実へと引き戻される。

 そうだ。おれは一人じゃない。おれにはあいつがいる。あいつだけを残して死ねるか――。


『くッ……!』


 セラの【ノヴァ・トーラス】が敵の土手っ腹にビームライフルを乱射する。が、敵はそれも意に介さずあぎとを開き続け、【リオ】を取り込まんとしていた。

 自力での脱出はもはや不可能。セラからの救助も望めない。ならば、せめて――刺し違えてでもあの敵を討つ意外に方法はない。

 一か八かの特攻だ。

 それでも、セラが生きて帰れる可能性を少しでも残せれば構わない。

 航は金のため、セラは出世して生家を再興させるため。戦う動機こそ違えど、ともに研鑽し合い、時には喧嘩して、絆を紡いできた唯一無二の親友だ。


(たとえ、おれがいなくなっても――)


 あいつならきっと大丈夫だと、信じているから。

 航はスラスターの出力を弱め、引力に身を委ねた。

 途端、機体が加速度的に敵の大口へと誘われる。

 身を翻して真正面から『蠕動者』へと向き合った航は、固く剣を握り締め、持てるすべてのエネルギーをその刃へと注ぎ込んだ。

 心を凍て付かせるような暗黒が視界を埋めていく。奈落のごとき深淵に呑み込まれていく。


『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!』


 刹那。

『蠕動者』の口蓋から脳天めがけ、【ノヴァ・リオ】は燃え盛る剣を突き刺した。

 肉を裂き皮下の膜を破る。抉り穿ったそこへ、刃から放たれる赤い粒子の波動を流し込んでいく。

 ごく短いサイクルで叩き込まれる高周波が瞬間的に圧倒的な熱を生み出し、『蠕動者』の脳までも蒸発させんとした。


 そのときだった。


 航のなかに、何者かの声が響いたのは。


『うううううううううううううううううううううッッ!!!!!』


 男とも女とも取れない低くくぐもった声。

 狂おしいほどの憎悪、憤怒、嫉妬、そして悲哀がい交ぜになった、おぞましくも痛ましい叫び。

 情動の奔流が青年の心を侵食してリフレインする。

 頭が破裂しそうだった。神経の反射に従って喉が絶叫を上げ、身体が激しく痙攣していた。

 意識を手放す間際、彼が感じたのは崩壊した『蠕動者』の残滓ざんしが機体の上に崩れ落ちる感触、そして――。



「『蠕動者』の、声……!?」


 驚愕するベラに、航は汗の滲む額を押さえながら頷いた。


「そうだ。生き物が最期の瞬間に上げる、本能的な断末魔の声なんかじゃない。明確な敵意と憎しみが、そこに宿っていたんだ。それ以来……おれには、『蠕動者』の声が聞こえるようになった。彼らの言葉は分からない、けれど……感情は、分かるんだ」


 浅く息を切らしている青年を見下ろして、ベラはハッと目を見開いた。

 基地のレーザー砲が民間護衛艦ごと『蠕動者』たちを焼き払ったとき、航は両手で頭を押さえて苦しんでいた。あのときは『フリー』の仲間が犠牲になったことを嘆いていたのだと思っていたが、実際はそれだけではなかったのだ。

 失われた幾百もの命の痛哭つうこく

 その感情を一身に受けるつらさは、計り知れない。


「星野、艦長……」


 できることなら肩代わりしてあげたいと、ベラは思った。

 だが、それは誰にもできない。『蠕動者』の感情を受信できる人間なんて、ほかに知らない。

 跪き、線の細い見かけの割にごつごつとした航の手を、そっと握る。

 航はずっと苦しみ続けてきたのだ。きっと、何度も逃げようとも思ったはずだ。生の悪意に曝される恐怖はベラも知っている。だが、ベラにかけられてきたわれなき中傷よりもずっと、航のそれは深刻なものだっただろう。

 けれど、航は今も『星野号』に乗っている。つらい思いに耐えながらも『蠕動者』との戦いに向き合い続けている。


「あなたは強い人です、艦長。だから……わたしも、あなたを信じたいと思える」


 ベラは真っ直ぐに気持ちを伝える。

 それだけ言って彼女は立ち上がると、宇宙服のヘルメットを被って床を蹴飛ばした。

 無重力下の慣性に従って扉へ向かっていくベラに、航が声をかける。


「待って――」

「わたしはわたしにできることをやります。艦長も、自分のすべきことをしてください」


 この人なら必ず、折れたとしても再起できる。

 去り際に親指を上げてみせ、ベラは格納庫へと急いだ。

 ノアはエンジンの修理にかかりきりで、スミスは立花の治療にあたっている。たった一人で円盤型の探査機に乗り込んだベラは、リモート操作でカタパルトデッキを開放、直ちに発進した。


「ベラ・アレクサンドラ――『UFO』、出るわ!」


 自分を鼓舞するように宣言し、アクセルを全開にする。

 のしかかるGに顔を歪めつつ、銀髪の少女は声なき戦場に飛び出していく。



 敵の周囲を飛び回り、剣のごとく伸びるビームライフルの光条をその体躯に刻み込む。

 痛みに悶えるかのように大口を開けてのたうつ『蠕動者』に対し、ハルトはすぐさま距離を取り、追い打ちをかけるように『ハンター』をぶっ放した。

 不随意的な尾の大薙ぎによる衝撃波に煽られる。

 同時に、カタカタッ、とミサイルを射出するガトリング砲が空回りする音を彼は聞いた。

 歯を食いしばるハルトは背後の『星野号』を一瞥し、苦々しいうめき声を漏らす。


「ぐぅッ……!」


 どうにか誘導して敵と『星野号』との距離をある程度は引き剥がしたが、もう限界だ。

 コックピット内には警告音が鳴り響いている。モニターに表示されるエネルギー量は残り一〇パーセントを切った。【ノヴァ】のシステムが宇宙線を動力に変換したとしても、消費量の多さに追いつかない。


「くっ……こっちもか!」


 ライフルの銃口から迸り続けていた光が、ついに途絶えた。

 死んだ得物を放り捨てたハルトは浅く息を吐き、汗ばんだ手で操縦桿を固く握り掴む。

 自分が最後の防衛線だ。残された力のすべてを燃やして、援軍の到着まで『星野号』を守り切るのが使命なのだ。


「まだまだッ、付き合ってもらうっすよ!!」


 そう宣言し、身一つで巨大な敵へと向かっていく。

 青年の叫びに呼応するかのように、焼けただれた肌を震わせ、『蠕動者』は声なき咆吼を上げた。

 天高く躍り上がると同時、その体躯の腹から下が消し炭のごとく崩れ落ちていく。

 体長の半分以上を占める長大な尾を自切した『蠕動者』は、残る肉体の筋肉を躍動させ、一気に加速――突撃した。



 ノア・アークは目元まで垂れてきた汗を拭い、声を弾ませた。


「やった、これで……!」


 メインスラスターの状態は散々なものだった。ゆえに彼とスミスはその修理を早々に断念し、機能不全となったサブスラスターのメンテナンスに取り掛かった。

 立花を助けるため軍医でもあるスミスが抜け、自分一人でやり抜かねばならない現状。

 外から艦を揺らす衝撃に、ハルトやベラたちの奮戦を感じ取りながら、金髪の少年は黙々と作業を進めていった。

 時間にして十分。だがそれが一瞬に感じられるほどの集中力で、彼はスラスターの整備を完璧に成し遂げてみせた。


「艦長っ、ベラちゃん、やりました……! 航行が無理でも、敵の攻撃を躱すくらいならできるはずです!」


 みんなで生きて帰りたい。それに、あのうるさい親父に泣いてほしくなんかないから。

 たとえ一縷の望みであっても、ノア・アークは『星野号』を未来へと繋ぐ箱船にするべく、戦うのだ。



 身体の半分をなげうって突撃する捨て身の攻撃。

 全身を高速で蠕動させて猛進する敵を前に、ハルトは両腕を広げて飛び出した。

 機体一つでも抗ってみせる。

 何故なら自分は、人を守って戦う【ノヴァ】パイロットだから。

 大切な人を守るためなら――もう何も怖くない、怖くはない。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

『―――――――――――――――――――――――ッ!!』


 青年の咆吼と『蠕動者』の声なき叫びが重なり合う。

 虚無の大口を開いて飛びかかる敵に対し、【ノヴァ・トーラス】は全身を純白に発光させすべてのガンマ粒子を解放した。

 白き粒子が翼のごとく広がっていく。向かってくるものを受け止めんとする眩い輝きを前に、『蠕動者』はその大口を限界まで開き――

 そして。


『ダメっ、ハルトさん――!』


 激突の寸前、少女の声が青年の鼓膜を震わせる。

 悲痛な叫びに意識がそちらへ向く。

 刹那――カタパルトから発進していた『UFO』が最高速度でこちらへ突っ込まんとしてくるのが見えた。

 格納してあるはずの砲門を露出している姿に、ハルトはベラが何をしようとしているのかを理解し――。


「ベラちゃん!!」


 広がる光の翼が、自分と『蠕動者』との間に割り込もうとした『UFO』を拒む。

 暖かさを孕んだ白き粒子に包みこまれ、ベラ機は動きを止めた。

 視界の隅にその光景を捉え、ハルトは微笑む。

 これでいい。これでいいんだ。


「だよな、ユウ――」


 最後に呟いたのは、かつて救うことの叶わなかった後輩の名前だった。

 ハルトがまだ軍に所属していた、一年前。

 初めて部下として預かった後輩を目の前で失ったトラウマから立ち直れず、彼は軍を辞めた。

 だが、戦いを離れても後悔は彼を苛み続けた。この記憶と向き合わなければ、前に進めない――そう考え始めた頃に出会ったのが、航と『星野号』であった。

 傷を抱えていたハルトを航は快く迎え入れてくれた。最初はフラッシュバックした恐怖に失禁してしまうほどだったハルトだったが、立花の荒療治が功を奏し、『星野号』という家族同然の居場所を得たことによって、劇的な復活を遂げた。

 おかげで自分は、ユウに誇れるような立派なパイロットになれた。

 今度はベラを犠牲にせずに済んだ。

 だからもう、悔いはない。あるのはただ、感謝だけだ。


 ――みんな、ありがとうっす。

 ――ベラちゃん、頑張るっすよ。


 虚無の大口が【ノヴァ・トーラス】を呑み込んでいく。

 その瞬間――無数の光条が機体から迸り、爆発が巻き起こった。


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