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第11話「戦わないと俺たちは、前に進めない……!」

 二隻の護衛艦が衝突事故を起こし、艦隊の陣形は崩壊した。

 それを立て直さんと航は舵を取る。


「各艦取り舵いっぱい! 隊列を単横陣に変更する!」 


 必死に叫ぶ彼の指揮に従い、残る二隻が動く。

 だが、激突の衝撃によって大破した二隻はもはや航行不可能な状態にまで陥っていた。

 ――彼らを助けていたらおれたちも共倒れになる。

 逡巡していられる時間などなかった。課せられた任務を遂行した上でベラを守るというセラとの約束を果たすためには、やむを得ない選択だった。


「全速前進! 『蠕動者』を引き連れて基地へと戻る!!」


 胸に走る痛みを堪えて青年は非常な決断を下す。

 動けなくなった二隻に蛆のごとく『蠕動者』が集(たか)っている隙に、『星野号』旗下艦隊は急進していった。

 船首から船尾まで余さず蝕まれ食い破られていく無残な光景を前に、ベラは思わず固く目を閉ざしてしまう。

 が、


「目を背けないで。それがまだ生きている者の義務だ」


 肩にかかった手と、言葉の重み。

 呼吸を震わせ、瞬きした少女は、ぐっと目を見開いて網膜にその惨劇を焼き付ける。


『「蠕動者」があの二隻に食いついてこちらに来ない! どうする艦長!』


 艦隊の体勢を立て直せはしたが、今度は敵との間合いが離れてきている。

 その現状を立花に指摘され、爪を噛んだ航は、最も信頼する二人のパイロットに作戦の成否を託した。


「立花さん、ハルト! 接敵して奴らの注意を引きつけて! 無茶だけはしないでよ!」

『その指示がもう無茶ぶりなんすよ、艦長!』


 即座に飛び出した立花機【ノヴァ・ヴァーゴ】に続き、ハルトの【ノヴァ・トーラス】も後を追う。

 密集して蠢く『蠕動者』たちのヘイトを集めるべく、二機はビームライフルを射出。

 釣られた数体が無音の咆吼を轟かせながら躍り出て、その奥にいた集団も連鎖的に動き出していく。


『つ、釣れたっす……!』

『しくじるなよハルト! 敵に喰われない絶妙な距離を保て!』


 背後から迫る無数の殺気に滝のような汗を流すハルトに、立花が忠告する。 

 口調こそ冷静だが彼女の精神状態もぎりぎりだ。一手間違えれば数の暴力に押し潰されて死ぬ。幾重ものプレッシャーに対し抗うことも逃げ切ることもせず、つかず離れずの間合いを保ち続けるこの綱渡りは果たして、いつまで続くのか。


『星野号の連中だけに任せるな! あいつらの無念を無駄にするんじゃねえ!』

『向こうにも敵は散らばってるぞ! もっと連れてこいや!』


 僚艦の犠牲に報いんと壮年の艦長たちが吼える。

 義に厚い荒くれ者たちは「おう!!」と気合いを入れ、敵の群れへととんぼ返りしていった。


『こっちだミミズ野郎!』『人間サマのお通りだ!』


 挑発の言葉を吐きながらビームライフルを射かけていく【ノヴァ・トーラス】小隊。

 三人一組スリーマンセルの部隊が二つ、完璧に統率の取れた機動で敵群の前を旋回、陽動する。

 互いに背を守りつつ飛び回る彼らは一つの生き物のようだった。その連携にベラは息を呑み、航も素直に賞賛する。


「流石だね。――各艦ノヴァを収容して! 全力で撤退する!!」


 流れは作れた。敵の大軍勢は先頭集団の動きに従ってこちらへ向かってくるだろう。あとはほとんどの敵が『基地』の砲撃射程圏内に入るまで誘導を続け、然るべきタイミングで戦線を離脱するだけだ。

 プランは見えていた。

 だが、運命は彼の握る指揮棒を無慈悲にへし折る。


『――――――――!!!』


 各部隊が帰投しようとした刹那。

 想像を凌駕する勢いで肉薄した『蠕動者』の歯のない大口が、スリーマンセルの一機を丸呑みにする。

 かろうじて逃れたもう二機も、同僚を食らった顎を避けきれずに突き飛ばされる。機体の制動を失った彼らは、そのまま迫り来る他個体の餌食となった。

 断末魔の声が響いて断ち消える。

 動揺がパイロットたちに伝染していく気配がする。

 これでは不味い。これ以上失うわけにはいかない。何を間違えたのだ。帰投させるタイミングの問題か。いや、そうではない。敵集団の流動を促せた時点で【ノヴァ】を引き下げる選択は正しかった。間違っていたのはイレギュラーを想定しなかったこと、その一点に尽きる。


「――止まらずに進め! 生きたければ『星野号』に付いてこい!!」


 思考時間は現実に換算して三秒にも満たなかった。

 二隻を沈め、残った三隻のうち一隻の【ノヴァ】部隊を壊滅させてしまった航には、艦隊を指揮する資格などなかったのかもしれない。

 だが、責任を負った以上はやり通すのが筋だ。

 まだ任務は終わっていない。たとえ指揮棒が折れてしまっても、己の腕をふるうことはできる。


『ここまで来たら一蓮托生よ!』『星野号に続けぃ!!』


 不甲斐ない指揮官である航を、艦長たちは恨んでいるかもしれない。それでも彼らは死なば諸共という覚悟で付いてきてくれた。それが航にはありがたく、胸の奥が熱くなった。



「取り舵一〇! 進路一五度上向け! ベラちゃん、五〇〇メートル先を過ぎたら下方にミサイルを撃って」

「は、はいっ!」


 スミスが操舵輪を回し、艦隊が進行方向を調整する中、ベラは航にそう命じられる。

 五〇〇メートル先。一体この距離に何があるというのか。

 犠牲の衝撃に頭が働かないまま、ベラはその地点に辿り着くまで固唾を呑んで待つ。

【ノヴァ】を完全に収容して加速する三隻の後に、押し寄せる波涛のごとく『蠕動者』の軍勢が迫った。


「――今!」


 キーボード上に軽く触れさせていた指にぐっと力を込める。

 発射された三発のミサイルは誰もいない宙空に飛翔し、直後――。


『――――――――!!』


 爆発が巻き起こった。

 連鎖する炸裂が『蠕動者』の肉体を消し飛ばし、彼らの最前線を一網打尽にする。

 背後で起こった光景に瞠目するベラは、得意げな笑みを浮かべている航の顔を見てはっとする。

 接敵前、進行ルートの左舷側に「置く」ようにばら撒いておいたミサイル。あれはこのときのための布石だったのだ。


「時間差攻撃は『蠕動者』にも効く。お兄さんからのワンポイントアドバイスさ~」


 この人はやっぱりすごい、とベラは胸中で感嘆した。

 起爆されたミサイルによって敵の行軍は滞った。『基地』の射程までは既に十分な数の『蠕動者』を引きつけることができている。戦線を離脱するなら今だ。

 そう航が判断し、指示を飛ばそうとした瞬間。

『基地』から瞬く光を捉えた立花が鋭く叫んだ。


『――艦長避けろ!!』


 航の指揮を待たずしてスミスが操舵輪をぶん回し、艦を一気に上向けさせる。

 エンジンがオーバーヒートするのも覚悟ですべてのスラスターを燃焼。

『蠕動者』たちの前方から離脱した、その刹那。

 光の奔流がすべてを押し流した。


 小惑星の側面に設えられた砲口から放たれた、極太のレーザー。

 その光が通過した後には何も残らない。

『蠕動者』も護衛艦も無差別に、宇宙の塵となって消えた。


「ッッ……!」


 声にならない痛哭が食いしばった航の歯の隙間から漏れる。

 右手の爪が食い込むほどの力で額を押さえつける彼は、空いた左手の拳を艦長席の肘掛けに叩き付けた。



 目の前で起こった事態にセラ・モンゴメリーは憤慨していた。


「何故撃ったのです、司令!? 彼らはまだ戦線から離脱できていなかった! それなのに、何故!?」


 司令部の照明がぷつりと切れ、少しの間を置いて非常電源に切り替わる。

 レーザー砲は基地の全電力を消費する。だが、百を超える『蠕動者』の大群を除去できたのなら安い代償といえた。

 声を荒げる金髪の青年に、司令席に鎮座する女は冷ややかな笑みを向ける。


「これ以上の接近を許せば我々にも被害が及んでいた。それだけのことだ」


 肩の手前まで垂れる紫色のミディアムヘア。怜悧な顔立ちは切れ長の眼も相まってソリッドな印象を抱かせる。年齢不詳のミステリアスな美貌を持ち、余計な皺一つない軍服を着こなしている。

 エレミヤ・マザー。『エレス基地』を預かる司令官にして、アステラ正規軍の中将である。


「しかし……!」

「『エレス基地』を失えば人類の外宇宙探索は二十年遅れを取ることになる。時間とは無限ではないのだ。人も、アステラもな」


 だとしてもセラには納得がいかなかった。

 そもそも、司令部は『星野号』ら民間護衛艦にレーザー砲の発射予告すら出していなかったのだ。それで仕方のない犠牲だと済まされることが、許されていいはずがない。

 拳を握り締めて俯くセラに、マザー司令は淡々と問う。


「それとも何か? 貴様は人類の未来よりも自らの個人的な感情を優先するというのか? 貴様は何のために軍人になったのだ?」


 組んでいた脚を解いて立ち上がったマザーは、己とさほど背丈の変わらない青年将校の肩に手を置いて耳打ちする。


「出世したいのだろう、セラ? アステラ正規軍は忠誠を誓う者に、正しい褒美を与える」


 セラが強ばっていた指の力を抜いたのを認めて、マザーは酷薄な笑みを浮かべた。

 が、その時。


「――しっ、司令!!」

「何だ?」

「ぜっ、『蠕動者』が……!!」


 部下の狼狽えた声にマザーは形の良い眉を顰め、大モニターを睨み上げた。

 消失したはずの『蠕動者』を示す赤い点。それがものすごい速度で復活してきている。

 セラは己の膝が折れ、視界がぐにゃりと歪むのを感じた。

 戦況は振り出しに戻された。こちらは切り札のレーザー砲を撃たされ、民間の護衛艦に多数の死者を出したにもかかわらず、敵の数はほぼ変わっていない。

 彼らの犠牲は無駄だったとでもいうのか――。

 声なき敵の嘲笑を幻聴する。

 涙を溜めるセラの横で、マザー司令は冷静に状況を確認していた。


「レーザー砲チャージ完了までの時間は?」

「は、発電システムをフル稼働させても、最速で三十分後かと……」

「三十分か。……持たせられるか、セラ?」


 問われ、セラは顔を上げた。

 目を瞬かせて滴を払った彼は、起立し敬礼する。


「持たせてみせます」

「よく言った。貴様も【ノヴァ・リオ】で出撃しろ」


 鉄仮面のような表情で命じるマザーに、セラは頷いて踵を返した。

 人類の未来のために。そして、散っていった者たちの無念に報いるために。



 両手で額を押さえて呻く航の様子は、普通ではなかった。

 叫びたいのを堪えるようにくぐもった声を漏らす彼の姿は、嗚咽しているようにも見えた。

 ベラは彼に声をかけることも、触れることさえもできなかった。

 自分のせいで誰かが傷つく痛みは、ベラも知っている。だが、誰かを死なせてしまった経験はない。

 言葉に窮する彼女は、ふと鳴り響いたアラートの不協和音に振り仰いだ。

 モニターに無数に表示される『蠕動者』の反応。乾いた呼吸音を喉から漏らすベラの斜め後ろで、航は深い哀しみを湛えた声で嘆く。


「どうして……どうして、そんなふうに命を弄べるんだ……!?」


 サングラスの下から涙が流れ落ちる。

 皆が失意のどん底であった。護衛艦四隻、クルー延べ五十人以上。それだけの犠牲を払ってもなお、戦いはまだ終わらないという無力感。


「艦長、指示をくれ!」

「かっ、艦長……!」


 スミスとノアが航に指揮を求める。

 青年は項垂れたまま口を開かない。誰もが正しい言葉を見つけられず、重苦しい沈黙がのしかかった。

 だが、それを一人の男が打ち破った。

 ――ハルトである。


『艦長っ! 戦うっす、戦わないと俺たちは、前に進めない……!!』


 強い意志の裏には、もう逃げまいという後悔の念が滲んでいる。

 今にも泣き出しそうなくしゃくしゃの顔で発破をかけてくれているハルトと、画面越しに目が合ったベラははっとした。

 戦わないと前に進めない。恐れから目を背けてしまっては、トラウマを乗り越えることもできない。再びトリガーを引くには自ら戦いの場に身を投じなければならないのだ。

 脳波を読み取って小刻みに震える機械の左腕を、そっと握る。

 あんな冴えないハルトだって勇気を振り絞って言ってくれたのだ。ベラだって――。


「艦長、やりましょう。至らないかもしれないけれど、わたしも砲手としてあなたの指揮に全力で応えるわ。だから、お願い――」


 目に闘志の光を灯してベラが訴える。

 その真っ直ぐな瞳を受け止めた航はサングラスを外し、ふっと笑みを浮かべた。


「かわいい女の子にケツを叩かれちゃあ、やらないわけにはいかないね」

『ねぇねぇ艦長、俺は?』

「君の言葉も五パーセントくらいは励みになった」

『そんだけっすか!? ひどいっすよ!』


 死んだ魚のような目が生気を取り戻す。

 立ち上がった航をクルーたちは振り返って見つめ、頷いてみせた。

『星野号』は発進する。――彼ら自身の、思いの力で。



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