補給作業の指示を現場の者たち――基地に滞在している『アーク工房』の整備士たちに任せ、航は一旦その場を離れた。
向かうのは基地の一角、フリーの護衛艦用に貸し出された開発室。
ここでは日夜、各艦の依頼を受けて『アーク工房』をはじめとするメカニック集団が兵装の製造に勤しんでいる。
「やぁ、おやっさん。納期には間に合いそうかな?」
「事前に設計図を用意してもらっているとはいえ、たった三日でやれってんのは無茶ってもんだぜ、坊主!」
顔を出した航にやけっぱちな口調で言うのは、ディアン・アーク工房長である。
大仰に肩を竦めてみせる刈り上げの大男に、航は申し訳なさをこれっぽっちも感じさせない軽薄な笑みを浮かべた。
「でも、できるでしょー? それなりのお金は積んでるんだぁ、やってもらわないと」
「嫌な野郎に育っちまったな、お前……。知り合ったときはもうちっと可愛げがあったんだが」
「やだなぁ、おやっさん。おれの主義は知ってるでしょー? 『アーク工房』のみんなを信頼してるんだよ、おれは」
星野航は無駄金を使わない。稼いだ金は今後の稼ぎのための投資に費やす。
今回の支払額も脅しではなく、依頼先が上手くやってくれることを見越してのものだ。
「クサい台詞を平気で吐きやがるな! まぁ真面目な話をすると、『モニカ』から採取したとかいうレアメタルはガンマ線を遮蔽するには十分な耐性を持ってる。お前の言う『新兵器』のパーツとしては申し分ない」
「見立て通りだね。じゃ、あと二日、よろしく頼むよー」
ひらひらと手を振って去っていく航。
いつもいつも無茶を言いやがる――と頭を掻くディアン工房長は、組み立てマシーンを操作する部下たちのケツを叩くべく、声を張り上げるのだった。
*
『エレス基地』滞在二日目となる今日も、ベラはシミュレーション・ルームでの訓練に勤しんでいた。
操縦の基本を概ね習得した彼女は、次の段階――『蠕動者』との戦いに移る。
無我夢中に撃っても当たるとは限らない。生き残るためには、戦い方を身に着けなければならない。
仮想の宇宙に飛び出した彼女は、神経を研ぎ澄ませて周囲に警戒を払う。
(レーダーにはまだ引っかかってない。けど、休眠状態の敵が近くに潜んでいる可能性もゼロじゃないわ)
『蠕動者』の厄介なところはそれだ。
宇宙を泳ぐ『活動状態』のものはレーダーで探知できるが、星や隕石に引っ付いて『休眠状態』となっているものは索敵をすり抜けてしまうのだ。
これまで多くのパイロットが、休眠状態の『蠕動者』に気づかずに刺激してしまい、不意に目覚めた奴らに喰われて死んでいった。
一瞬たりとも気を抜けない。じっとりと額に汗を滲ませ、浅く呼吸を繰り返しながら、ベラは小惑星の合間に視線を走らせる。
――ビーッ! と。
アラートの不快音が突然鳴り、ベラは肩を跳ね上げさせた。
レーダーに反応あり。後方から迫る蠕動者の数、一。
「ッ……!」
「落ち着いて、ライフルを構えるっす! 人間と違って威嚇射撃は大して意味をなさない、無駄撃ちだけは避けるっすよ!」
「は、はい!」
隣でコーチングしてくれるハルトに答える。
昨日の動作訓練で射撃方法も一通り教わってきた。
大丈夫だ。焦らずやれば切り抜けられる。そう覚悟を決めてベラは敵へと振り返った。
『蠕動者』と相対する。虚ろな大口を開き、身体をうねらせながら接近する黒い影を前に、ベラは生唾を呑んだ。
首元に鳥肌が立つ。操縦桿を握る指先が否応なしに強ばってしまう。それでも、彼女は眼前の敵を睨み据えてトリガーを引かんとした。
『――――――ッ!!』
声なき怪物の咆吼に脳天を揺さぶられる。
放たれた殺気。怨嗟の声。たとえ仮初めの存在であっても、恐怖の記憶を呼び起こされた少女にとっては現実と同じことだ。
「いやッ――!?」
フラッシュバックする絶望に引きつった悲鳴を上げる。
瞬間、怪物の顎が【ノヴァ・トーラス】を丸呑みして画面が暗転した。
シミュレーション・マシーンを出たベラは項垂れていた。
失意に打ちひしがれている彼女を見守るハルトは、沈痛な面持ちで唇を引き結ぶ。
小惑星『モニカ』での敗北はベラに対し、深いトラウマを植え付けてしまっていたのだ。
そうなった原因の一端はハルトにもある。そもそも彼が『蠕動者』を討ち漏らしさえしなければ、あのような結果にはならなかった。
「ベラ、ちゃん……」
「……ごめんなさい。わたし……」
こういうとき、航ならば気の利いた言葉の一つでもかけられるのだろう。
接し方に迷ってしまう自分が不甲斐ない。だが、諦めて誰かに対応を押し付けたところで、余計な後悔が一つ増えるのは目に見えていた。
「ベラちゃん! あの、そのッ、俺から言えることは――」
回らない舌で言おうとした、直後。
突然響き渡ったサイレンの不協和音に、ハルトは口を開けたまま固まった。
その後に司令部からのアナウンスが鋭く続く。
『総員、第一種戦闘配置! 繰り返す、総員第一種戦闘配置!』
「非常事態だ――行くっすよ、ベラちゃん!」
少女の手を取って赤茶髪の青年は駆け出していく。
通常、基地周辺の『蠕動者』は出現する都度、パトロール部隊が討伐している。このサイレンが鳴ったということはすなわち、彼らの手に負えないほどの大群が襲来したということになる。
「わっ、わたし――」
「ベラちゃんも『星野号』の一員なんすから! 俺たちと一緒に、戦うっす!」
トラウマに怯える彼女を連れていくのが正しい選択なのか、ハルトには分からない。
けれど彼女を置いていって、戻ってきたときにいなくなってしまったらと考えると、怖かった。
――もう後悔はしたくないから。
蘇る過去の痛みを胸の奥に押しやって、ハルト・リル・マーティンはひた走った。
*
『エレス基地』は騒然としていた。
正規軍の護衛艦がドックから続々と出航していくなか、『星野号』へと戻った航も出撃指示を待っていた。
基地を使用するフリーの護衛艦には、緊急時に正規軍の指揮下で戦うことが義務づけられている。補給などのサービスを受ける対価としての義務だ。
「まさか、ここにいるうちに駆り出されるとは。それほどまでの規模だと言うのか、敵は」
既にパイロットスーツを着込んでいる立花が、神妙な面持ちでモニターを見上げる。
レーダーが捉えた敵の数は優に五十を超えている。撤退中のパトロール部隊と交戦しているようで、その数はぽつぽつと減ってはいるが、減ったそばから新たに出現するいたちごっこだった。
その戦況に航は爪を噛む。
「一気にここまでの数……妙じゃないか? 休眠状態で近づいていたとしても、あれだけの大群だったら目視で捉えられるはずだ。一体どういうカラクリなんだ……?」
「爪を噛むのは良くない癖だぞ、艦長」
「分かってるさ。いいから出撃準備してよ立花さん」
想定の範囲外の事態に航は苛立ちを隠せない。
彼に「了解だ」と略式の敬礼を返し、立花はブリッジを出る。
「艦長、戻ったっす!」
「ハルトか。ベラちゃんもいるね」
入れ替わりで来た二人を確認し、航は頷いた。
これでクルー全員が揃った。出撃前の整備が一通り済んだらスミスとノアもブリッジに上げ、操舵と火器管制の補佐をさせる。
いつもだったら航が一人で担う場面だが、イレギュラーな事態だ。思考のリソースはなるべく余裕を持たせておきたい。
「ハルトも第一種戦闘配置だ、行け。ベラちゃん――戦えるね?」
ベラが沈んでいるのを一目で見抜いて航が訊ねる。
踵を返そうとしたハルトは足を止め、振り返った。
「ベラちゃん――」
「大丈夫です。わたし、戦えます! 戦わせて、ください」
それは虚勢にしか見えなかった。
ハルトがやり取りに割り込もうとするのを手振りで制止して、航は言う。
「おれは君を信じる。君もおれを信じてよ」
「……はい」
後ろ髪を引かれる思いでハルトはブリッジから格納庫へと急ぐ。
心配を払うように頭を振る。そのために注意を削がれ、自分に何かあれば、ベラは一層気に病んでしまうかもしれない。今は全力で自分にできる戦いをするだけ――そうハルトが決意したそのとき、艦内に通信音声が流れた。威厳のある女性の声である。
『基地に滞在中の各民間護衛艦に告ぐ。貴官らには、我々正規軍の前線を支える先遣隊として出撃してもらう。準備が整い次第、発進せよ。貴官らの武運を祈る』
淡々とした口調で命じられる。
拳を艦長席の肘掛けに叩き付け、航は毒を吐いた。
「マザーのババアめ。おれたちを使い捨ての囮にするつもりかよ……!」
「そんな……!?」
言ってから航は後悔した。ただでさえ不安定なメンタルになっているベラを、これ以上揺さぶってどうする。
しかし自分たちに拒否権はない。仮に命令を無視した場合、良くて『エレス基地』の永久出禁、最悪のケースだと敵前逃亡と見做されて処刑だ。
「行くしかないね。まっ、上手くやるさー」
いつもの呑気な口調を演じ、航は必要な各所に通信を繋げた。
まずは開発室のディアン・アーク工房長へ。
「こちら『星野号』。おやっさん、例の新装備だけど納期が早まりそうだ。何とか時間を稼ぐから、頑張って作戦中に完成させてね」
んな無茶な! と叫ぶ工房長との通話を打ち切り、次いで基地管制室へ。
「管制室、『星野号』出します。進路の確保を頼みます」
女司令は粛々と青年の申し出を請けた。
エンジンを起動させた船が揺れる。メカニック組もブリッジへと合流し、各員が配置についたことを確認した航は、開かれた発着口から『星野号』を発進させた。
道を空けてくれている正規軍の200メートル級宇宙艦の脇を抜け、小さなオンボロ艦が一隻、先陣を切って前進していく。
多くの正規軍人たちはそれを冷ややかな目で眺めていた。正規軍の規律と責任から逃れた卑怯者たちが生け贄にされている。
女司令マザーをはじめとする彼らが酷薄な笑みを浮かべるなか、フリーの護衛艦長たちは意を決して『星野号』の後に続いた。
「『星野号』だけに行かせるかよ!」「フリーの意地、見せてやる!」「正規軍人どもを見返してやらぁ!」
気炎を吐く歴戦の艦長たちが、各々の誇りをかけて船を出す。
『星野号』を旗艦として陣形を縦一列に敷き、『蠕動者』の蠢く戦場へ乗り込んでいく。
「各艦前進! 電撃戦を仕掛ける!」
スラスターを噴かして一気に加速する艦隊。
モニターを一瞥して味方の動きを確認した航は、火器管制を務めるベラに言う。
「左舷側に『対蠕動者ミサイル』を十発ばら撒いて。射出せずに『置く』イメージで」
「えっ?」
命令の意図が読めずにベラは間の抜けた声を漏らした。
抽象的な言い方に困惑しつつも、彼女は言われるがままにそれを実行した。射出距離を五十メートル先に設定し、発射する。
『置いた』ミサイルを後にして、艦隊は黒い大群との間合いをどんどん縮めていく。
その距離200メートル。これ以上の接近は不要と判断し、航は鋭く叫ぶ。
「各艦減速! 【ノヴァ】を出撃させ次第回頭して! 目的は敵の殲滅じゃない、あくまでもこの宙域に潜んだ『蠕動者』を一匹でも多くおびき寄せることだ! 戦闘は最低限に留めて!」
『『『了解!!』』』
護衛艦のカタパルトデッキから飛翔する【ノヴァ】。
量産機【ノヴァ・トーラス】をベースに各艦で独自の改造を施したそれらは、暗黒の宇宙をさらにどす黒く塗り潰す大量の『蠕動者』を前にしても臆さず、敵の注意を引かんと彼らの前に躍り出た。
『攻撃はせず、ぎりぎりまで近づくだけでいい……だよな?』
『ああ、そうだ。――来るぞ!』
名も知らぬパイロットたちが言葉を交わし合う。
釣れた敵が大口を開けて飛び出してきたところを飛び退いて躱し、ビームライフルをぶち込む。
上顎から脳天にかけて射貫いた彼らはすぐさま後退、『蠕動者』の一団を引き連れていった。
「各艦撤退! コースを左側に修正し全速で基地へ戻って! 各【ノヴァ】は艦と並走し【蠕動者】の迎撃に努めるんだ!」
蠕動者の一部が引っかかったと見るや否や、航は艦隊を引き下げさせる。
高速回頭して進路を定め、スラスターのブーストをかける彼らは基地へと一直線に進行した。
が、しかし。
『やばいやばいやば――』
恐慌に駆られた男の叫びが途切れる。
背後から迫る三体の『蠕動者』が同時に飛びかかり、その顎の衝突で機体を圧殺した。
『退けっ、退けぇ――!!』
『待てッ早まるな!?』
恐怖が伝播する。
僚機を失った艦が航行速度をさらに速めた結果、前にいた艦と激突し双方が壊滅的ダメージを負ってしまった。
(まずい、これじゃあ――)
己の失敗を痛感した航は顔を歪める。
黒い奔流となって襲来する『蠕動者』を前に、彼は一つの覚悟を決めねばならなかった。