「ベラ……!? 何故ここに――」
少女の姿を認めた途端、セラ・モンゴメリー大佐は狼狽した。
無理もない。宇宙旅行に出ていたはずの彼女が、本来軍人と民間の護衛艦クルーしかいないはずの『基地』にいるとなれば、目を疑うのは当然のことだ。
「セラ――」
ベラは先程までの恐怖を忘れ、言葉を詰まらせた。
生きてアステラに帰るために『星野号』のクルーになった。
そう打ち明けたら、セラはベラの身柄を正規軍で預かると言うに違いない。
そちらのほうが安全なのは理屈では分かる。だが、心ない軍人たちの中で息を潜めて過ごすくらいなら、危険と隣り合わせでも『星野号』にいるほうが百倍マシだ。
「ここじゃ話しづらいかな。まさか一人で来たわけじゃないだろう? 君の同行者のもとへ案内してくれないか」
「その前に食券を買わせて。わたし、いまお腹が空いているの」
女性を虜にする物腰柔らかな口振りも、ベラにとっては上辺だけにしか思えない。
ツンとした口調で言い放つ少女に、金髪碧眼の青年は「いいよ」と微笑んで答える。
タッチパネルを押して――彼女にしては珍しく手こずった――人数分の食券を購入したベラは、カウンターの職員にそれを渡してから足早に航たちの待つ席へと向かった。
セラが後ろにいるせいか、軍人たちは彼女に道を譲り、軽蔑の視線を差し向けてくることもなかった。
「……艦長」
立ち止まり、談笑している航に声をかける。
振り向いた航はセラの存在に気づくと一瞬ぽかんと口を開け、それから曖昧な笑みを作った。
「これはモンゴメリー大佐殿。フリーの護衛艦乗りに何のご用で?」
「航……航だろう!? 何故ベラと一緒にいる……!?」
セラはサングラスの青年に詰め寄って、肩を揺さぶる。
彼が航を知っていることにベラは驚いた。正規軍の将校とフリーの護衛艦艦長。本来交わることのない間柄ではあるが、過去に共同戦線でも張っていたのだろうか。
困ったように眉を下げる航はセラの手をそっと払って、空いている向かいの椅子を指し示した。
「まぁ座ってくださいよ。手短に話しましょう」
「あ、ああ……」
他人行儀に言う航に、今度はセラが困惑顔になった。
二人の関係性がいまいち読めない。航の隣に掛けるベラは、彼らの間で視線をさまよわせて様子を窺う。
「『エレス』を目指す道中で、『蠕動者』の襲撃を受けて大破したシャトルを発見しましてね。そこから投げ出されてしまったこの子を、我々が助けたというわけです」
「……そうだったのか。ここまでベラを守ってくれたこと、感謝するよ。アステラまでは僕らが送り届ける。彼女の無事が分かれば会長も安心されるだろう」
ベラの想定と一言一句違わぬ台詞を、セラは爽やかに微笑んで口にした。
吐き気がする。ベラのことなんて出世のための道具としか思ってないくせに。
航が何か言い返すのに先んじて、セラを睨むベラは毅然と主張する。
「それはできないわ、セラ。わたし、アステラに戻るまでの期間付けで、『星野号』のクルーになる契約を結んだから。もしわたしたちより早く帰るのなら、お父様に一言伝えておいて」
「は――? 何を言っているんだ、ベラ! それがどれだけ危険なことか、分かっているのか!?」
愕然と目を見開き、強い語気で問い詰めるセラ。
危険だから。便利な言葉だ。一般的な正当性を持つそのワードで、父もセラもいつもベラを縛り付けようとしていた。
父の実験と分かっていながらシャトルに乗った少し前のベラならば、燻る思いを抱えたまま、何も言えずに従うだけだっただろう。
だが今は違う。ベラは自分で選んで『星野号』の一員になった。一人の自立した人間として、艦長と契約を結んだ。その決定は誰の意思にも反故にされたくない。
「承知の上よ。わたしは、自分にできることをして少しでも命の恩人に報いたい。それに、自分の生き方は自分で選びたいの」
「気持ちは分かる、だが君に死なれては困るんだよ!」
「誰が!?」
「僕も、お父上もだ!」
セラが叫んだ瞬間、ベラは勢いよく席を立ってそのまま駆け出していった。
絶句して狼狽えるセラを見つめる航の瞳は、サングラスに隠れている。
番号札の呼び順を告げてくるアナウンスが空虚に響く。痛ましい沈黙のあと、立ち上がったノアが「探してきます」とベラを追いかけていった。
「女の子ってのは繊細なんだ。それを分かってあげないと」
「……僕は君ほど口が達者じゃない。知ってるだろ」
「知ってるさ。知っているからこそ……」
もどかしいんだ、と航は口の中で言葉を転がす。
続けようとした台詞を打ち切って、彼はかつての戦友に言った。
「ベラちゃんのことはおれが責任を持って守る。任せてよ」
「……信じていいんだな?」
「いいよ。おれの腕は、まだ鈍っちゃいないさ」
グラスを外して目線を合わせる。猜疑心に揺れる緑の目を正視していると、セラの側も考えを固めたらしく、「分かった」と頷いた。
立ち去っていくセラの背中を見届け、航は溜め息を吐いた。
セラの言い分も分かる。彼がベラを大切に思っているのも事実だろう。それを上手く伝えてやればベラもひねくれずに済んだのかもしれないのにと、航は思う。
「難しいね、人間関係ってさ……」
「そうっすね……」
ハルトが相槌を打つ。
と、そこで彼はふと思い出して言った。
「そういえば、食事……」
「……あ」
*
水音が規則的に流れていく。
シャンプーを馴染ませた指を銀色の髪の毛に絡ませながら、ベラは忌々しげに呪詛を吐く。
「何で……何で、あんなのが婚約者なのよ……!」
いつだってベラよりも「お父上」の顔色を窺っている。入院生活を送っていた頃は常にベラを励まし、甘い言葉を囁いてくれもしたけれど、キスの一つだってしてくれなかった。
彼が自分を恋人として愛してくれているとは思えない。あくまでも政略的な関係。アレクサンドラ家とモンゴメリー家、双方の思惑のために操作されるマリオネットに過ぎない。
自分が見えない糸で操られる感覚が不快だった。以前は感覚が鈍麻していて気づかなかった。だが宇宙に出て、すべてのしがらみから解放されたことで、ベラは目覚めてしまった。
「……どうせ生きるのなら、自分のために生きたい。それって間違ってるの……?」
泡と一緒に涙も洗い落とす。
シャワーを止めて鏡を指で擦ったその時、こんこんとドアをノックする音が聞こえた。
濡れた身体を拭かないまま、がらっと折れ戸を開いて浴室を出る。
「誰?」
「うわわっ!? ふっ、服着てくださいよぉ!」
大慌てで後ずさりしながら両手で顔を覆っていたのは、ノア少年だった。
ベラは全身を露にしていた。光沢を持つ銀色の肌。胸元や腰から尻にかけての大まかなシルエットは丸みを帯びて女性的だが、やはり機械であり節々が角張っている。
ただのマシーンであり性的な魅力などないはずだ。それでも、ノアは耳まで真っ赤になって部屋の隅に縮こまっていた。
それが何だかおかしくて、ベラは少し前の涙も忘れてくすくす笑った。
防水加工の施された身体をタオルで拭いて、ブラジャーとパンツ――機能としては必要ないがあったほうがしっくりくる――を着用し、部屋に置いてあったバスローブを羽織る。
「いいわよ、ノア。ごめんなさいね、びっくりさせちゃって」
「いっ、いえ。僕こそ見ちゃってすみません」
ベラはソファに掛け、小机の上のペットボトルの水を飲む。
『星野号』クルーに割り当てられた宿泊室は二人一組の相部屋が三室。航とハルト、スミスとノア、余った一部屋がベラだ。立花がいれば寂しくなかったのにと思うが、そこは仕方がない。
シングルベッドが二つにバスルームとトイレ、冷蔵庫や電子レンジも完備されていて、さながらちょっとしたホテルのようだ。
「……家のことって、難しいですよね」
少しスペースを空けて座り、ノアがぽつりと切り出す。
「僕も同じようなものです。父が工房長だから、跡を継げってメカニックにさせられて。他にできることも、やりたいこともないからやってますけど……たまに、本当にこれでいいのかなって、思うこともあるんですよね」
膝の上で握った拳に視線を落として少年は話す。
髪の水気をタオルで拭き取りながら、ベラは言った。
「すごいのね。わたしなんか、宇宙に出るまでそんなこと考えもしなかった。ううん……『星野号』と出会っていなかったら、何も変わらなかったかもしれない」
「そう、ですかね」
「そうよ。……わたしみたいな盲目だった女でも変われたもの。あんただってきっと、自分のやりたいことを見つけられるわ」
無意識の逃避でベラは話題をノアのことに逸らした。
それを察したのか、ノアはベラ自身の事情については踏み込まなかった。
少年はしばらくそこにいてくれた。それが今のベラにはありがたかった。誰かが繋ぎ止めてくれなければ自分の思考がつらい方向に引き寄せられてしまうと、分かっていたから。
*
翌朝。
食堂に集まって朝食を済ませた後、『星野号』クルーたちは各々の仕事を開始した。
航は『星野号』補給作業の監督。ノアとスミスは【ノヴァ】や各兵装の整備。そしてベラはハルトとともに、基地内の一室にて【ノヴァ】操縦のシミュレーションを行うことになった。
「付き合わせてしまってすみません」
「いいっすよ。俺も艦長に『人への教え方を実践で学んでね~』って言われてるっすから。お互い勉強、ってことっすね」
この大部屋にはコックピットを模した箱型の筐体が幾つも並んでいる。
その中の一つに二人で入り、ベラは操縦席に、指導役のハルトは席の後ろに陣取った。
機体にエンジンをかける要領で電源ボタンを押し、起動。暗かったコックピット内がモニターの光で薄明るくなる。
「まずは基本の操作からっす。『UFO』を操縦できたベラちゃんなら楽勝かもしれないっすけど」
全天モニターに表示される暗黒の宇宙。コンピュータによる補正がかかって実際よりも明度の上がっている遠景に、星々が瞬いている。
自分は【ノヴァ】に乗ってその中にいるのだ。
操縦桿を握り締め、足下のレバーを踏み込んで発進する。
勢いよく飛び出す。掛かったGを再現する筐体の揺れに若干驚きつつ、ベラは試しに機体の四肢を動かしてみた。
「……ッ」
腕を持ち上げて、下ろす。その腕で腰のライフルを抜いて、構える。
たったそれだけの動作が、のろのろともたついてしまう。脳波を読み取って感覚的に動かせる己の義体とは違うのだ。自分の思考を機体に反映させる前に、人の手による操作というワンクッションを挟む必要がある。
「最初はこんなもんっすよ。ベラちゃんの場合、感覚を慣らすのに時間をかけたほうが良さそうっすね」
操縦方法は以前から知識として頭に叩き込んである。
ハルトの言うとおり、問題はそこだ。
「……そうですね。やってみます」
焦りはしない。一歩ずつ、着実に。あの失敗を経てベラは冷静さを身に着けていた。
何十分、いや何時間もベラはシミュレーションの筐体にこもり続けた。
とんでもない集中力だった。ハルトがそろそろ休憩しないかと呼びかけても、彼女は一人ででもやると言って譲らなかった。
「大丈夫。わたしは……飛べる!」
メインスラスターを一気に噴かせて加速。サブのバーニアの出力を調整して姿勢制御、方向転換を行い眼前のデブリの間隙を縫う。
小惑星帯の間を駆け抜けたベラは、視界の下方に映る岩石の星を見下ろして浅く息を吐いた。
「はぁ、はぁっ……どうですか? 飛行はばっちりじゃないかしら!」
「ほんと、すごいっすよ! 流石ベラちゃ――」
賞賛を贈ろうとしたハルトが口を閉ざす。
数秒遅れてベラも気がついた。小惑星の奥に蠢く黒い影。距離は近い。逃げるか戦うべきか、判断の難しい間合いだ。
試されている、とベラは思った。
【ノヴァ】のパイロットに求められるものは何なのか。格好良く蠕動者を討つことも大事だろう。だが、それ以上に大切なことがあるとベラは学んだ。あの張り手の痛みは、まだ頬に生々しく残っている。
「――撤退するわ!」
驕らず冷静に、生き残るために最善の選択をする。
実機に乗ったことすらない新米ながらも、ベラは既にそれができるようになっていた。
それは、彼女が立花に並ぶほどのパイロットになる可能性を、予感させる一幕だった。