アクセルを踏み締めて加速する。
全身にかかったGに歯を食いしばるベラは、開かれたカタパルトデッキを抜けて一気に宇宙空間へと躍り出た。
「っ、い、いきなり飛ばしすぎですよぉ」
「いいじゃないの! 最初なんだから思い切りが肝心なのよ」
操縦席の背もたれに必死になってしがみ付くノアに、ベラは口を尖らせる。
ノアはもう半べそだ。しょうがないわね、と溜め息を吐き、スピードを緩めて降下へと移る。
コクピットの全天モニターに映る無窮の星空。視線を下に向ければ、灰色の岩石の小惑星はすぐそこだ。
自分は今、宇宙に出ている。それを改めて実感する。
『上出来だベラ君。上手く減速して降下フェーズに移れたな。着陸できたらさっそく調査開始だ。まずは――』
「地表の砂や礫、岩石の回収。ですね」
淀みなく答えるベラに、ウィンドウ越しのスミスが親指を上げてみせる。
スラスターを吹かしながら軟着陸。ほとんど砂煙も立てない見事な手腕であった。
「『エクスパンションアーム』展開。操作は……まぁこんなものね」
円盤の側面から細長い腕が四本、伸びる。幾つもの節を持つ腕は自在に曲げることができ、先端の三つのかぎ爪で対象物を掴むことも可能だった。
操縦桿とボタンを器用に操って足元の石ころを拾ってみせるベラに、ノアが目を丸くする。
「あんな小さなものを……すごい」
「感心した? このくらい楽勝よ」
ふふんと胸を張るベラ。摘まみ上げた石を円盤下部の収納スペースに放り入れた彼女は、テンポよく砂や岩の破片も収集していった。
「つっ、次はボー――」
「ボーリング調査ね。見てなさい、このわたしがスマートにやり遂げてあげるわ」
「……ぼくのセリフ取らないでくださいよぉ」
いじけるノア少年を他所に、ベラはさっそく本命の調査に乗り出した。
地面に円筒状の穴を穿ち、土壌サンプルを採取するのがいわゆる「ボーリング調査」である。
『見たところモニカは岩の星だ。固い岩盤を削るのは骨が折れるし、何より揺れる』
「大丈夫です!」
心配も何のその、といった様子でベラは操縦桿を動かした。
四つの『エクスパンションアーム』が脚となって地面に爪を食い込ませ、『UFO』をその場に固定させる。それから、円盤下部より迫り出してきたドリルが加速度的に回転し、地盤の掘削を開始した。
「っ……!」
腹の底を下から突かれるような衝撃に喘ぎそうになる。
声を堪えたベラは顔を赤らめてノアを一瞥したが、少年のほうも彼女を気にするどころではなさそうだった。
ガガガガガッ!! と肋骨に響く轟音が上がる。
それに耐えること一分――ベラはドリルを停止させ、削り出した土をケースに収めていった。
『よくやった、ベラ君。サンプルは場所を変えて幾つか採る。ノア、今度はお前がやってみろ』
「わ、分かったよスミス」
ノアと交代したベラは、背もたれの上から覗き込むように少年のお手並みを拝見した。
何故だか耳をちょっと赤くしていたノアの操縦は、はっきり言ってガタガタだった。
特に『エクスパンションアーム』の操作は壊滅的で、拾った石は何度も取りこぼすし、掘削時の機体固定もかなり手間取った。
「もう、代わりなさいよ。わたしがやる」
「あっ、でも……」
ノアを押しのけて操縦席に座り、流れるような操作で作業を完了させる。
どうしてこんな簡単なことができないのかと、ベラは彼にいらついていた。ノアもそれを感じ取って萎縮してしまい、それ以上はもう何も言わなかった。
少女と少年との間に重苦しい沈黙が横たわる。
そんな二人をスミスは画面越しに苦々しい表情で見守っていた。
(最初からわたし一人で十分だったのよ。この子がいても足手纏いになるだけ)
移動、掘削、収集を繰り返す。丁寧かつ迅速な彼女の仕事には非の打ち所がない。
自分の成果に満足げに笑みを浮かべるベラと、ノアの打ちのめされた顔は、残酷すぎるほどのコントラストを描いていた。
「スミスさん。次の作業を終えたら帰投します」
『ああ、構わないが……最後にもう一度だけ、ノアにやらせてやってくれないか? これでは練習にならん』
「この子には実機はまだ早かったんですよ。シミュレーションからやり直させたほうが、彼の身のためだと思いますが」
言い放ち、ベラはラスト一回も自分で進めていった。
地面へのアームの固定を滞りなく済ませる。ドリルでの穿孔を行おうと彼女は操縦桿を倒そうとして――
「べ、ベラさんっ!」
「何よいきなり――」
「あっ、あれ……!!」
突然大声を上げたノアにベラは文句を言いかけ、口を閉ざした。
彼女らのいる場所から十数メートル先に、現れた影。
岩礁から顔を出すウツボのように揺らめく、体長四メートルほどの『蠕動者』を前に、ベラは凍り付いた。
「どっどうしよう! はっ早く逃げなきゃ襲われる!!」
「静かにしてよ! 今アームの固定を外すから――」
裏返った声で叫ぶノアを怒鳴りつけ、ベラはガチャガチャと操縦桿とボタンを操作する。
しかし何かがおかしいのか岩盤に引っかかったアームの爪はびくともしない。
なんで、なんで、なんで。
固定しすぎたのか。いや、そんなわけがない。今に限ってこんなミス――。
「待ってなさい。ちゃんとやればこんなもの――」
『何を騒いでいる、落ち着け!』
あの『蠕動者』は口を閉じて、頭部を上空へと向けてじっとしている。
おそらくまだ休眠中でこちらの存在には気づいていないのだ。
下手な動きをすれば気づかれて、喰われかねない距離。
この場合は動かず、僚機の救援を待つのが対応としては正解だったが、スミスの指示ももはや焦る彼女の耳には入っていなかった。
『艦長! ベラ君たちが不味い! 【ノヴァ】をそちらに向かわせてくれ!』
『タイミング悪すぎんでしょ! 行ける、ハルト!?』
『頑張るっすけど、でも――』
艦のほうでも何か非常事態が起こっているようだった。
すぐに助けが来ないかもしれないという事態は、戦い方を知らないノアの恐怖心をさらに駆り立て、彼を半狂乱にさせる。
「早くっ、早く逃げないと殺される! だから来たくなかったんだっ、こんなことになるくらいなら……!!」
『今は待機だベラちゃん! 動かずに助けを――』
「――やった、出来たわ!!」
航が指示を飛ばすと同時に。
ベラは食い込んだアームの爪を剥がすことに成功した。
思いっきり引っ張った反動で機体がぐらつく。
その動作を感知したのだろう――眠れる『蠕動者』は目覚め、その首をベラたちの『UFO』へと向けた。
「っ……!?」
眼のない顔が獲物を捉える。笑みを形作るように漆黒の大口を開いた『蠕動者』を前に、ベラは戦慄した。
脳の反射を感知した機械の膝が震え出す。
それでも彼女は歯が軋むほどの力で食い縛り、その恐怖を押さえつけた。
こんなところで死にたくない――その一心で回避に舵を切る。
『――――!』
だが、悲しいかな。
『UFO』は所詮、宇宙探査用のマシーンに過ぎない。戦闘用に作られた【ノヴァ】とは比較にならないほど、瞬発力は劣っている。
ふわりと円盤が浮き上がった瞬間、岩穴から飛び出す『蠕動者』。
顎が外れたかのように開いた大口が、少年少女の視界に真っ黒く覆い被さる。
虚無に呑まれて終わる。その覚悟すら決められていない二人がぎゅっと目を瞑った、その刹那――
『当たれッッ!!』
男の声に目を見開く。
ベラが目撃したのは、極細の白いビームが『蠕動者』の脳天から上下の顎までを貫く光景であった。
声なき断末魔を上げ、円盤に覆い被さるように倒れ伏す『蠕動者』。
急所を撃ち抜かれたそれは肉体を維持することが出来なくなり、たちまち灰と化して消滅していった。
「……はっ、はぁっ……」
『大丈夫っすか、二人とも!』
訊ねてくるハルトにベラは力なく肯定した。
見上げる空に佇んでいるのは一機の【ノヴァ・トーラス】。
正規軍にも採用されている『アレクサンドラ財団』製の量産機である。体高は十メートルほどで、装甲が厚いマッシブな体型。雄牛をイメージした頭部の二本角と、黒く塗られたボディが特徴的だ。
『OKっす! 二人は今のうちに艦へ戻るっす!』
そう叫んだハルトはビームライフルを構え直し、艦へ迫る『蠕動者』の群れへの迎撃を再開した。
敵の数はざっと見積もっても二十を超えている。先行した立花の【ノヴァ・ヴァーゴ】が群体を分断し、ハルトの狙撃銃と『星野号』のミサイルとで援護射撃を行っているが、撃ったそばから新たな個体が小惑星の陰から出現するいたちごっこだった。
『まさかこんなに出てくるとは。突いちゃいけない藪を突いてしまったみたいだね、おれたち……!』
『これではキリがありません! 二人を収容し次第撤退するべきかと』
『ああ、大賛成だよ。――聞いてたね二人とも!』
プランは決まった。航の声に「はい」と絞り出すように返事をしたベラは、強ばる指で操縦桿を握り込む。
いま周囲に『蠕動者』はいない。砂塵を舞い上げつつ一気に円盤を浮遊させ、ベラは艦を目指して一直線に上昇していった。
(急げ急げ急げっ……!!)
呼吸が浅く、心拍数が早くなる。
上だけを見据えて加速する彼女はその時、視界の端に映った影に気を取られた。
弾幕を抜けて艦に迫る数体の『蠕動者』。
炸裂した砲弾や迸ったビームが奴らを仕留めるなか、それらを掻い潜った二体がハルトの【トーラス】に肉薄せんとしていた。
ライフルを乱射して敵の頭部を焼き尽くすハルト。
しかし、残るもう一体が彼に横から食らいつこうとして――。
「ハルトさんっ!!」
ベラは絶叫した。
目の前でまた【ノヴァ】が散っていく。そんな未来はもう、見たくなかった。
衝動的に操作盤を叩く。人の速度を超えた機械の手の入力によって『UFO』前面部から砲身が顔を出し、マズルが一気に火を噴いた。
「いけえええええええええええッ!!」
反動で機体が大揺れする。
猛進する弾丸は『蠕動者』の身体を掠め――宙の彼方に消えていった。
「そんなッ――」
歯噛みしたその直後、『蠕動者』は身体を翻して標的をベラに変えた。
ライフルを向けるハルト機を尾の一振りで薙ぎ払い、眼下の『UFO』へと飛びかかる。
「ひっっ!?」
「もう一発――」
操作盤に触れた瞬間、ベラの脳裏にフラッシュバックするのは先程の一撃を外した光景。
ほんのわずかな恐れが、躊躇いが、彼女の入力を遅らせた。
歯のない大口を開いた怪物が眼前まで急迫する。
間に合わない――本能の警鐘に従ってベラは全力でハンドルを切り、敵の猛襲をかわそうとした。
「ぐっッッ――!」
「うああッ!?」
だが、避けきれない。
機体の側面が『蠕動者』の体躯と接触し、跳ね飛ばされる。
全身を揺さぶる衝撃。機体の損傷を告げるアラートの不快音。苦痛に喘ぐ少年の声。
体勢を立て直さなければ――しかし、ハンドルは空回りするばかりで機体が言うことを聞かない。
慣性に従って動くだけの円盤を、Uターンする『蠕動者』が捕捉する。
(ラスト一発のミサイル、これを撃つしか――)
少女の生への執着を、運命は無慈悲に踏みにじる。
沈黙する砲口を前にベラは顔をくしゃくしゃにして、目を瞑った。
終わりだ。もうやれることは何もない。何も為せず、自分の失敗に年下の子を巻き込んで、死ぬだけ。
なんて惨めなのだろう。なんて愚かなのだろう。自分が余計な行動さえ起こさなければ、生きて艦に戻れたかもしれなかったのに――。
取り返しのつかない絶望に涙を流した、その刹那。
コンマ一秒の悔恨にピリオドを打つように、瞼の裏に白い光が瞬く。
『させるものかッ!!』
袈裟斬り、一閃。
急降下の勢いを乗算させて放たれたビームサーベルの一撃が、『蠕動者』の頭部を両断する。
舞い降りた【ノヴァ・ヴァーゴ】は二人の乗る『UFO』を抱え、すぐさま艦へと帰投していった。
『よくやった立花さん! ハルト、君も戻れ! ずらかるぞ!!』
『りょ、了解っす!』
立花機に続いてハルト機も着艦を果たす。
全機を収容した『星野号』はありったけのミサイルで弾幕を張り、全速力での撤退を開始した。
暗転したコックピットの中で、ベラはただ、震えていた。