軍医のスミスによる診察を改めて受けた、その後。
医務室を出たベラは欠伸を噛み殺しながら、汗と脂でべたつき始めた髪をぐしゃぐしゃと掻いていた。
振り返れば激動の一日だった。
アステロイドベルトで目覚めてから『蠕動者』の襲撃を受け、宇宙に投げ出され。救出されたその先で、戦いに参加して。
今、生きていられているのは奇跡だと思う。
あの瞬間に『星野号』が来てくれたから、立花があの『蠕動者』を倒してくれたから、ベラは今ここにいるのだ。
「身体は大丈夫だったか? ベラ」
後ろから声を掛けられ、立ち止まる。
見ると、立花がちょうどブリッジから出てくるところだった。
「特に問題はありませんでした。ご心配なく」
「そうか、良かった。【ノヴァ】の技術を流用して作られた義体だから、宇宙空間の使用にも適性を示すのだろうが……。先例のない義体だ。どんな不具合が起こるか分からん。何かあったらすぐに知らせるんだぞ」
「は、はい」
「男のスミスよりも女の私のほうが安心だろうしな。……どうした、髪が痒いのか?」
一度気になるとついつい触ってしまう。
そんなベラの様子を気にかける立花は、「ついて来い」と彼女を自室に案内した。
ブリッジから徒歩十秒。ドアの脇の読み取り機にカードキーをかざして入る。
人感センサーのライトが点くと、ベラはまずその部屋の手狭さに驚かされた。
広さはおよそ三畳ほど。壁際に金属パイプの二段ベッドが置かれ、手前のわずかなスペースにはダンボールに詰め込まれた本が積まれている。ちらっと見えた表紙には『罪と罰』とあった。
「文学を読まれるんですね」
「ただの暇つぶしだ。読みたければいつでも貸してやる」
「ありがとうございます」
ベッドの下段に腰掛け、立花は自分の隣をぽんぽんと叩いて示した。
そばに座ったベラに微笑みかけ、彼女は柔らかい声音で言う。
「敬語はいい。私たちは同じ艦の仲間であり、家族同然だ。私のことはそうだな、お、お姉さんだと思ってくれてもいい」
言いながら恥ずかしくなったのか最後のほうは妙に早口だった。
顔を仄かに赤らめる立花に、ベラは戸惑った。
この人は本気で言っているのか。醜い火傷を負い、誰とも異なる機械の身体を持つ自分を、仲間であり家族だなんて。
『君は未来の家族だ』――そう囁いた優男の声が脳裏に過る。
信じられるのだろうか。けれど、この人は危険を顧みずベラを助けてくれた。生きていてほしいからこそ、厳しいことも言ってくれた。
そんな人が自分のことを仲間として認めてくれている。それが嬉しくもあった。
「は……ええ。立花さん。お姉さんと思えるかは分からないけれど、仲良くなれたら、う、嬉しい……」
ベラも何だか照れくさくなって、最後のほうは消え入るような声になってしまった。
くすっと笑った立花は、枕元からチューブ状の密閉パックに入った何かとタオルを取り出す。
「ドライシャンプーだ。ここではシャワーなんて使えないからな。最初だから私がやってやろう」
「い、いいですっ……いいわよ。それくらい自分で」
「いいから、お姉さんの言うことを聞くんだ。遠慮なんていらん」
立花の圧に押されるベラ。渋々受け入れ、されるがままになる。
絞り出した白いクリーム状の溶液を髪につけ、頭皮をほぐすようにわしゃわしゃと洗ってもらった。
「気持ちいいか?」
「ええ、とっても」
水に濡らさないのは変な感じがしたが――宇宙旅行のシャトルではシャワーが完備されていた――、一日ぶりのシャンプーは心が洗われるような感じだった。
長い髪を洗う間、立花はベラにぽつぽつと話しかけてくれた。
好きな食べ物の話。音楽の話。映画や文学の話。
そういう他愛のない話を誰かとするのは、ベラには久々だった。
「……アステラに帰ったら見てみて。わたし、マジで映画館で泣いちゃったんだから!」
「それは楽しみだ。もうサブスクで配信されてるのか?」
「ええ。案外早かったわ。見たら感想教えて――あ、連絡先交換しとかなきゃね」
髪の先までついたシャンプーを乾いたタオルで拭き取ってもらう。
それからもう一枚のタオルにチューブの水を染み込ませた立花は、それをベラに渡した。
「あとで交換しようか。……これで顔を拭いてくれ。少しはさっぱりする」
「ありがと、立花さん」
礼を言い、ベラは洗顔代わりの清拭を済ませた。
使い終わったタオルを返そうとした彼女は、ふと立花の首元を見つめる。
チョーカーに取り付けられた黒い箱。異質な存在感を示すそれは、アクセサリーにしては無骨で物々しい。機械か何かだろうか。彼女も自分と、似た立場にあるのかもしれない。
そう気になって、訊いた。
「あの、立花さん。立花さんが首に付けてるのって……?」
「爆弾だ。死刑囚である私を縛り、戒めるものだ」
「えっ?」
あまりにもさらっというものだから、ベラは立花の言ったことがにわかには理解できなかった。
厳しくも優しい彼女にはそぐわない言葉に、脳が混乱する。
だが聞き返しても、立花は同じ答えを返した。
「爆弾だよ。艦長が起爆ボタンを押した瞬間、私の身体は木っ端微塵になる。私は彼に命綱を握られているんだ」
冗談にしてはシリアスな口調だった。
絶句してしまうベラに、立花は深い翳りを帯びた顔で告白する。
「人を殺してしまったんだ。それも大勢。そうしたところで、結局何も変えられやしなかったというのに。『選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ』……そう信じていたあの頃の私は、愚か極まりない人間だったよ」
テロか、とベラは察した。
アステラでは中央区画の富裕層と、宇宙船の外縁部付近まで押しやられた貧民層との間で格差が拡大し、社会問題となっている。政府を糾弾するテロ行為は散発的に勃発し、忘れた頃に人々の記憶に恐怖を刻み込んでいた。
「なんで……」
あなたのような人が、と問いたかった。
同時にその怒りを理解できてしまってもいた。父や財閥の幹部たちが貧民層のことなど、吸い上げる金もないゴミとして見下していることは肌で感じていたから。
「怒りに支配されていた。いい大人だというのに、何も周りが見えていなかったんだ。そんな私に価値を見出したのが艦長だった。莫大な金と、常に爆弾を取り付けておくことを条件に、私は彼の『星野号』に召し抱えられた」
一体、何のために?
浮かんだベラの疑問を見透かしたように、立花は語る。
「彼が私を買収したのは、パイロットとしての腕を買われたからだ。あの頃の星野号は今以上に人員が不足していたからな、たとえ罪人であろうとも、とにかく強い奴がほしかったんだろう。……困惑はしたが、戦って人を助けることが贖罪になるのならと、私はその役割を受け入れた。そうして『星野号』の一員となり、君と巡りあえたというわけだ」
たった一機で護衛艦を丸呑みするほど巨大な『蠕動者』を倒してのけた彼女は、確かに飛び抜けた実力者といえる。
だが、それだけの理由で死刑囚を味方に引き入れるものだろうか。何か他に、意図があってのことなのでは――。
「話しすぎたな。今日は色々あって疲れただろう。二段ベッドの上を使うといい」
「え、ええ。分かったわ」
話題を打ち切るように促され、ベラは質問の言葉を飲み下してハシゴ伝いにベッドに上がる。
横になるとたちまち襲い来る睡魔には抗えず、彼女は眠りに就くのであった。
*
翌午前八時。
ブリッジに集まって食事を摂るクルー一同に、航は次の目的地を告げた。
「全体傾聴ー。今日の任務は小惑星『モニカ』の地質調査だよー。おれが独自入手した情報によると、金属が埋まっている可能性があるっていう隠された原石だ。お金の匂いがプンプンするねっ」
いい笑顔で言った航は、リモコンを操作してブリッジ前面の大モニターに『モニカ』のデータを表示させた。
小惑星『モニカ』。直径一キロメートルにも満たない、比較的小規模の小惑星だ。現在の『星野号』の座標からは十数キロ先に位置している。
食事の手を止めて目標の全体図を眺めるベラは、顔には出さなかったが内心、かなり張り切っていた。
地質調査は選択授業でも取っていたし、自分でも本を読んで勉強してきた。作業の手順も機器の使用方法も、それなりの知識がある。これなら十分、力になれるという自信があった。
「艦長! その任務、わたしにも参加させてください。地質調査については学園で学んできましたから、やれると思います」
「おおっ、自信満々っすね! いいっすよベラちゃん!」
「んー、じゃあお願いしようかな。人手は一人でも多い方がいいしねぇ」
立候補したベラに赤茶髪のハルトが拍手する。
ハムエッグ風味のペーストをぺろりと平らげつつ、航は少女の申し出を承諾した。
「ありがとうございます。任せられたからにはやり遂げてみせます」
挑戦的な笑みを浮かべてベラは言う。
この旅の中で一つでも多く成果を挙げて、父に自分が自立した人間であると証明したい。
そんな反骨心がベラにはあった。そのために己が浮き足立ってしまっていることは、このときの彼女にはまだ、自覚がなかった。
二時間後。『蠕動者』との遭遇も特になく、『星野号』は順調に目的地である『モニカ』に到着した。
ブリッジの窓から灰色の小惑星を見下ろし、航は一同に指示を出す。
「ベラちゃんとノアは降下準備を。立花さんとハルトは第二種戦闘配備だ。スミスさんはここでスタンバって、ベラちゃんたちのナビを。オーケー?」
号令を受けて各員が一斉に動き出す。
まさしくミッションだ。緊張から心拍数が否応なしに上がるベラは、先に出たノアに続いてロッカールームへ向かった。
手狭なそこで手早くワンピースを脱ぎ、宇宙服に着替える。
男と同じ場所で、しかも義体を曝すのは抵抗があったが、このときばかりは初任務の高揚が勝っていた。
「あんた、大丈夫なの? 顔、青白いわよ」
「だっ、だって、ぼく、宇宙船の外に出るなんて、初めてで……」
ベラより先に更衣室に入ったはずのノアだったが、宇宙服を手に持ったまま固まってしまっていた。
震えている彼にふんと鼻を鳴らし、ベラは棘のある口調で言う。
「ビビってんの? あんたもクルーなら、覚悟みせなさいよ」
「でっ、でも……」
「はぁ……まあいいわ。くれぐれもわたしの足だけは引っ張らないでよね」
先に着替えを済ませて出ていく。
ちょうど入れ替わりで来た立花とすれ違い、ベラは不敵に笑ってみせた。
「上手くやるわ、立花さん」
「期待している」
短いエール。
それで気を引き締めたベラは、遅れて出てきたノアと共に格納庫へと移動した。
立ったまま待機姿勢になっている【ノヴァ】二機の横に置かれた、一機の小型機。
通称『UFO』。呼び名の通り円盤状になった本体の底部には、飛行機のように降着装置とタイヤがついている。直径は二メートル、全高は一・五メートルと、ノヴァと比較してもかなり小さなサイズだ。本来は一人乗りだが、華奢な学生二人ならば問題なく乗れるだろう。
「わたしが操縦するけど、いい?」
「ど、どうぞ……」
ベラが操縦席に着き、ノアはシートの後ろの隙間にしがみ付く。
ハンドル横にキーを差し込むと機体が息を吹き返したように微振動した。
『乗れたようだな。まずは発進だ。ベラ君、「UFO」の操縦経験は?』
「シミュレーションは何度も。実機には数回、乗ったことがあります」
『上等だ』
二人が乗ったのを確認したブリッジのスミスから通信が入った。
ハンドルを握り、足元のペダルに軽く足を乗せる。深呼吸したベラは前を向き、オペレーターのスミスへ準備完了を知らせた。
「いつでも行けます!」
『了解だ。コンディション・オールグリーン。気密シャッター閉鎖。カタパルトデッキ解放。UFO、出撃せよ!』
宇宙空間への発着口が開かれる。
一気にアクセルを踏んだベラは、前だけを見据えて高らかに告げる。
「ベラ・アレクサンドラ、UFO――発進するわ!」