西暦二一五二年。度重なる戦争の結果、地球は放射能汚染によって死の星となった。
人類は新天地を宇宙に求め、かねてより建造されていた巨大宇宙船三隻を新たな生存拠点とした。
新ユーラシア連邦の『オーロラ』。東アジア共同体の『
だが、人類は生存の危機にあってもなお、一つになることはなかった。
三つの国家群は理念を違え、それぞれ異なる航路を選択したのである。
それからおよそ二〇〇年が経過し、旗艦『アステラ』は他の二隻との連絡を完全に失った。
*
ノイズ混じりの無線通信が鼓膜を掻き鳴らす。
『攻撃目標を発見。……また一段と数が多いね』
「りょーかい。おれが先行する、お前は援護を」
『分かった。頼むよ、
大気を通さない星明かりの向こうに、光を遮る影のようなものが蠢いている。
それこそが同僚にして戦友が指摘した「攻撃目標」だ。
コックピットの全天を覆うモニターに投影された映像に、確かにそれを視認した航はぽつりと呟く。
「行くぞ」
その呼び声に応えるかのように、彼の分身たる機体が音もなく飛び立った。
白を基調とした体躯に青い装甲を纏った、体高十五メートルほどの人型兵器。
腰には剣を佩き、背中には漆黒のマントを靡かせる容貌は、まさしく騎士だ。
人類が宇宙の外敵と対峙するにあたって作られた巨大人型戦闘兵器、【ノヴァ】。
その一機にしてアステラ正規軍のエースたる彼の機体の名は、【
「おれとセラが道を切り開く。他のみんなは目的地への着陸準備を」
『二人だけで良いのか、星野中尉? いくら貴官らでも――』
「構いません、艦長。あくまでも任務は小惑星帯の資源調査。戦闘に割く人員が最低限で済むなら、それがベストでしょう」
艦長、と呼ばれた男性は小さく溜め息を吐き、「分かった」と返答した。
頷いた航は前だけを見据え、
流星の如く光の尾を引いて飛翔する【リオ】に、その双翼たるセラの機体も追随していく。
彼らの視線の先――迫り来る殺気を察知したかのように、これまで息を潜めていた「影」が鎌首をもたげた。
「蠕動者を捕捉! 数二〇、撃滅する」
『了解。討ち漏らしは任せて!』
闇を埋め尽くすは見上げる限りの影。
ゼリー状の肉体は
その体長は個体差もあるが、およそ三十メートルから五十メートルにも及ぶ。
『
『――――――――!!』
声なき叫びを上げるかのように、対峙した
その顎の奥の深淵には、これまで多くの人や宇宙船、【ノヴァ】が呑み込まれてきた。
航たちの家族も、士官学校の同期も、初めて受け持った己の部下たちも、奴らに喰われて死んだ。
「フゥッ…………」
己の内圧を下げるように息を吐く。
一切の殺気もなく佇む彼は、『蠕動者』たちからすれば格好の餌だった。
うねり、のたうつ
纏わり付く彼らは機体の姿を塗り潰し、一つのどす黒い肉塊を形作った。
が、その直後。
爆発が巻き起こった。
飛散する無数の肉片、言葉を持たぬ者たちの断末魔が鳴り響く。
機体の回転に乗せて放たれる二刀。
閃く白刃が赤黒い肉体を切り刻み、臓腑を
「……お見事」
暗黒の宇宙に血の花火を上げる戦友に、セラは心からの賞賛を贈った。
鬱陶しそうに眉をひそめる航は粘液の付着した剣を軽く振りつつ、肩を竦めて言う。
「お前も」
彼の背後――まだ残っていた数体の『蠕動者』が頭頂部を撃ち抜かれ、死滅する。
正確無比な早撃ちの連射。
先の言葉に違わず取りこぼしを丁寧に処理してくれた相棒に、航はお礼代わりのハンドサインを送った。
と、そこで艦長からの通信が入る。
『よくやってくれた、二人とも! これより本艦は小惑星「アビス」の探査任務に入る! 貴官らは周辺の哨戒を継続せよ!』
だってさ、と航は不承不承といった面持ちで言った。
「こんだけ仕事してやったっていうのに、おれたちにはまだ休憩すら許されないらしい」
『それだけ力量を買われているってことさ。光栄じゃないか』
「お前はそうでも、おれは違うの。はぁ~~ねみぃー、だりぃー」
『まったく……油断だけはするなよ。死んだら元も子もない』
気怠さを隠そうともしない航にセラは溜め息を吐き、釘を刺した。
その言葉に半目を開き、表情を引き締め直した航は、「はいはい」と意識を切り替える。
(このまま何事もなく終わってくれよ……)
小惑星『アビス』。数ヶ月前に発見された、月にも匹敵する規模の巨大小惑星である。
宇宙空間に完全に溶け込むほど黒い星であることが、その名前の由来だ。
その地表は光の反射で僅かに表面の暗赤色が捉えられるのみで、艦のレーダーに反応がなければ間違いなく見落としていただろう。
(この大きさの星だ。きっと未知のレアメタルがざくざく採れて、地下には水なんかも溜まってるかもなあ。どーにかしてこっそり持ち帰れないかなあ……)
なんて、下らない金儲けを考えていた、その時。
小惑星の大地にブラックホールのような穴が、ぽっかりと開いた。
「――は?」
突然の現象に呆気に取られたのも束の間。
地表を突き破って伸び上がった影が、着陸準備を進めていた護衛艦へと肉薄する。
海上へ躍り出た鯨が、その大口で獲物を丸呑みするかの如く。
その巨大な影の先端、開かれた虚無の大穴に、艦が取り込まれていった。
「――――」
セラも、航も、絶句するほかなかった。
何が起きたのか理解できない彼らの前で、さらなる絶望を突きつけるようにその小惑星は変貌を遂げた。
岩盤だと思われたのは、そのモノの赤黒い肌であり。天体だと思われたのは、そのモノの丸まった身体そのものであった。
眠れる蛇がとぐろを解き、天高く鎌首を持ち上げる。
遙かな高みからこちらを見下ろしてくる大口だけが開く目のない顔を、航たちは知っている。
『蠕動者』。
人類の仇敵。宇宙の殺意。人も機械も無差別に喰らう、恐怖の象徴。
鼓動が激しく肋骨を打つ。脂汗がじんわりと額に浮かび、顔は血の気を失っていく。
無言の声が見えない矢のように身体中に突き刺さってくる、圧倒的なプレッシャー。
逃げたい。帰りたい。ふかふかのベッドにごろんと寝て、飽きるまで食って寝てゲームするだけの自堕落な生活を送りたい。
本能が逃避を強制する。だが残された理性は、航を確かに律していた。
ここですべてを諦めて逃げたとしても、夢見た自堕落な暮らしは手に入らない。
あの超大型の『蠕動者』は何もかもを喰らい、航の――いや、人類の帰る場所を奪い去るだろう。
ならば、選択肢は一つだ。
戦う。
小惑星に擬態できる規模の敵に対し、自分たちは何億分の一しかないちっぽけな存在に過ぎない。
それでも、どうせなら最後には人生をベットする特大の賭けをしたい。
勝てば今後一生遊んで暮らせるだけの栄誉を掴める賭けだ。
「いくぞ、セラ。おれは、おれ自身と、お前に全部を賭ける」
唯一無二の戦友はその宣言に頷き、不敵な笑みを返した。
宇宙漂流時代(S.D)252年。
小惑星調査任務の最中、アステラ正規軍中尉の星野航とセラ・モンゴメリーは、未確認の超大型級『蠕動者』――通称『アビス』――に遭遇。
母艦を失った彼らは二機のみでこれとの戦闘に臨んだ。
その戦いで何があったのか、彼らは未だ表沙汰にしていない。
ただ結果として、『アビス』が討たれたという事実が厳然と存在するのみである。