「…記憶喪失?」
わたしがそう聞くと、
「はい、他に異常はないのですが、記憶だけが障害を起こしてまして…」
医者は頷きながらそう答えた。
「…それで、『彼』の記憶が戻る見込みはあるのでしょうか?」
わたしが更に聞くと、
「正直なところ、こればかりは何とも言えません」
医者は少し困った感じで答えた。
『何かの拍子に記憶が戻ることもありますから、慌てずゆっくり回復を待ちましょう』
診察室を出たわたしは、『彼』の病室に向かいながら医者の言ったことを思い出していた。
「…確かに急いだところで、どうなるものでもないしね…」
そう自分に言い聞かせながら、『彼』の病室に入る。
『彼』は部屋に入ったわたしに気が付くと、ベッドに身を起こしながら
「…失礼ですが、あなたはどなたでしょうか?記憶がないものでどうしても思い出せなくて…」
と、不安そうに聞いてきた。
病室の入り口の名札や身分証で自分の名前は認識しているようだけど、それ以外は本当に何も判らないようだ。
わたしは『彼』をこれ以上不安にさせないよう、
「ふふ…わたしはあなたの『とても大切な人』よ」
笑顔でそう答えると、『彼』は
「…そうなんですね…そんな事まで忘れてしまっていて、本当に済みません」
本当に申し訳なさそうに謝ってきた。
わたしはそれにも笑顔で応え、
「記憶がないんだから、気にしないで。ゆっくり記憶が戻るのを待ちましょう?」
そう言ってあげた。
それからわたしは時間の許す限り、『彼』のお見舞いに通った。
しかし、『彼』の記憶が戻る気配は一向になさそうだった。
十日…半月…一か月…
いたずらに時間だけが過ぎていく。
やっぱり記憶が戻るには、時間がかかるのだろうか…
そんなことを考え始めたある日。
「記憶が戻られたようです」
『彼』が入院している病院から連絡があった。
わたしはすぐに病院に行き、担当の医者と一緒に『彼』の病室へと向かう。
その途中で、
「あ、そうそう、これはどうでもいいことかもしれませんけれども、念の為お話ししておきますね」
医者が口を開いた。
「…何でしょうか?」
わたしが聞くと、
「記憶をなくした人の記憶が戻ると、『記憶をなくしていた間の記憶』をなくしてしまうことがあるようです。ですのでもし普段と反応が違っても、あまり気にしないで下さいね?」
そう医者が言い終わるのと同時に、『彼』の病室に着いた。
わたしが病室に入ると、ベッドに身を起こした『彼』が口を開いた。
「…あんた、だれだ?」