これは紀元前500年ぐらいの中国のお話し。
時は春秋戦国時代、
高校の漢文などの授業で『晏子の御』などで覚えている人がいたら、その人のことである。
晏嬰に関しては、三国志の名軍師、諸葛孔明も敬っていた人物だ。
史記を書いた司馬遷などは、晏子の御者(道中で馬車に乗って馬を操る役目)になりたいと言わしめた人物である。
ここで、
そこで、少しばかり私の想像を膨らませて、適当な妄想で、勝手に動かして見たいと思う。
文献から外れて書いてしまったら、それは私の想像を勝手に膨らませた創作として勘弁して欲しい。
前置きと
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ある日、斉の景公は宰相である晏嬰の家を訪れた。
晏嬰は質素を心がけて、肉料理を2品は出ずに、妾には絹を着せない徹底ぶりだった。
ただし、客人がいる時だけは、人をもてなすために、それなりに豪華な食事が出る。
自分の屋敷に君公が突然に訪れた宰相の晏嬰は、妻や家来を伴ってお出迎えをしたが、景公は晏嬰の妻を見て、晏嬰に問いかけた。
「見るからに、もう年老いた妻であろう。私の娘は若くて、器量も良い。そなたの妻に迎えてはどうか?」
それを聞いて晏嬰は、自分の妻をけなされたことをグッとこらえつつも、君主を見てキッパリと断る。
「お気持ちは有り難いのですが、私に長年、連れ添って慕ってくれる妻ですから手放すなどできません。君公の娘さんなど、私には畏れ多く、不釣り合いでしょう。他の者と結婚させて頂きたく…」
晏嬰が丁重に断ると、景公は少し不満そうな顔をしたが、それ以上、彼に自分の娘をすすめる事はしなかった。
彼は景公にとって…、いや、斉という国にとって、絶対に外すことが出来ない人物だが、曲がった事や間違った事があると、晏嬰は君公であろうが、厳しい口調でよく諌める。
これ以上、宰相の晏嬰に何かを言ったら、また諫言が飛ぶかも知れないと景公は考えたのだ。
一方の晏嬰は、君公の妻を妾であっても娶れば、この先、今の君公が亡くなって、跡継ぎ争いに巻き込まれた時に、自分はもとより一族が殺されて家が滅びてしまう事もあるから、安易には受け入れられない思いもあった。
「ささ、こんなところで話していても身体が冷えるばかりですから、屋敷の中へ…」
晏嬰は景公を屋敷に迎え入れて、上客として部屋に迎え入れると、用を足すと言って少し席を外した。
そして、部屋の外にいた妻を見て晏嬰は声を落として声をかけた。
「君公が、あのように言っておるが、気を落とすではない。そなたは、あの頃と変わらず、いつでも綺麗だし、儂がいない間にシッカリと家を支えているのがよく分かっている。もしも、何かあって儂が死んでも、世継ぎには家訓を守ってくればよい。これからも変わらず寄り添ってくれ…。」
それを聞いた妻の顔がパッと明るくなるのがよく分かる。
「晏嬰様、いつでもお慕い申し上げます。」
「これからも頼りにしておるぞ。それよりも、そろそろ部屋に戻らねばならぬ。…しかし、今日は、家人どもが、いつになく喜んでいるな。」
「ふふっ、それは、家人どもの食事が少しだけ良くなるからでありましょう。君公ですから、上客として、失礼のないように、もてなさなければいけません。」
「そうよの。…やれやれ、贅沢は禁物なのだが、これは致し方があるまい。」
そう言いながら、晏嬰は再び景公がいる部屋に入っていったのだ。
その姿を妻は愛おしさを込めて主人の背中を見送ったのだった。
その後、晏嬰が亡くなった後、政変があって、晏嬰の子である晏圉は、斉の中で最大勢力を持つ田氏との政争に敗れて
文献は残っていないが、晏嬰の妻は、恐らく魯の出身であったのではないか…、とも言われている。
一族の血が保たれたのは、晏嬰が妻を大切にしたお陰かも知れない。