(私は一体……ああ、そうか。カイトにボコボコにされちゃったんだ)
霧みたいなもので覆われていて、一切先が見えない世界で私は目覚めた。
明らかに今いる場所は普通の世界と違う。ただ私の心を埋めていたのは目の前の不可思議ではなくて、大切な人から拒絶された悲しみだった。
(カイトはなんで……あんな事を)
気絶する直前の出来事を思い出して、彼に斬られた腹を軽く触る。
あの黄金の目。確かにあれは魔王が宿すと言われる目と同じだった。
(……カイトがあんな風になったのは私のせいなの?)
実際どうなのかはわからない。でも今の私では理由が全く見当つかないのだ。黄金の目を宿したカイトがこれからする事を思うと、不安で押しつぶされそうになる。
また私は家族を失わなければいけないのか? そう思うと胸が痛い。
何も見たくない。手で顔を覆いたくなる。
(私の手が……?)
そこでやっと自分の異常に気づいた。
私の両手が半透明になっていて、手の先にある霧まで見えていた。存在そのものが消えてしまうような、そんな脆さを感じてしまう。
(これだと、もう少しで私が死ぬようね)
この手が目に見えなくなるほど透明になったら、今度こそあの世へ行ってしまうのだろうか。
そんな不謹慎な事を考えていた時だった。
聞き慣れた声が聞こえたのは。
──僕はクレアみたいな、人を守る勇者になりたいな。
「誰?」
背後から幼い男子の声が聞こえた。
まだ可愛げのある、なのに真っ直ぐな声が。
いやこれは知らない人の声じゃない。
むしろ一番って言うほど知っていて。
この懐かしさを感じさせるのは……
「……!」
突然吹いてきた向かい風に目を開けられず、片手で顔を隠す。
声の主を思い出したと同時に来た風が止んで、目の前を遮っている自分の手をどかしたら、懐かしい風景が見えた。
「ここは……私の村?」
見えたのは今は無き自分の故郷。
魔物によって跡形もなく破壊されたはずの、お父さんとお母さんが住んでいた村が、完全な状態でそこに健在していた。
でも私がいるのは村の中じゃない。村全体がよく見える少し離れた丘だ。
そう。よくカイトと話をしていた……思い出の場所。
目の前に幼い白髪の女の子と、宝石を彷彿させる青い瞳を持った男の子がいた。
「なんで僕にどんな勇者になりたいって聞いたの?」
そう言ったのは青い瞳を持つ……幼いカイトだ。
確かこの話をしたのは私の大事な犬が亡くなった直後のはず。私にとって初めて大切なモノを失う辛さを覚えた出来事だった。
「だってカイト。最近村の人から勇者かもって言われてるんだよ。なんか光の力がどうとかで」
カイトの質問を返す真っ白な髪を持つ女の子──幼い頃の私は明らかに落ち込んでいる。ただ怒りを隠しているようにも見えた。無意識だったんだろう、昔の私は怒りを上手く隠せていなかった。
怒っている理由は嫉妬とかそんなものじゃない。
単純に、この時の私には余裕がなかったのだ。
(初めて大切な家族を奪われたんだものね。それでカイトに突っかかって良い訳ないけど)
今でもよく覚えている。無邪気でワンパクな犬が自分の手から離れてしまった時の事を。
そして村の外まで出てしまい、運悪く出会ってしまった魔物に斬り殺される瞬間も。
大型犬になるはずだったが、その時の犬は小さい私でも抱きしめれば、すっぽり入ってしまうほどの大きさだった。血だらけになりながらも、温もりが引いていくあの瞬間を忘れる事はできない。
そう。これは私がしっかり管理できなかったから起きた悲劇だ。つまり犬が死んだ責任は私にある。
そうして魔物が処刑人の代わりになって、罪として、私の首も血濡れた爪で斬られるはずだったが。
そうはならなかった。
『クレアから離れろっ!!』
初めて光の力を発現させたカイトが駆けつけてくれたからだ。その時の私が逆立ちしたって勝てない相手に、カイトは瞬殺したのだ。
同時に彼は正真正銘の私を助けてくれた勇者になった。
(…………全く、それで何が何だか分からなくなって、カイトにあんな意地悪な質問をした訳ね。私って昔から彼の足を引っ張ってばかりで)
私は弱い私を恨んで、憎んだ。
なんでそんなに力があるのだろう、なんで私は大切なものを守れないんだろうと。
そうして自分を責めた結果。
「じゃあなんでカイトは、あの時私を助けてくれたの? だって友達になってそんなに経ってないじゃん」
経験もなく答えもわからないまま、あんな事を言ってしまった。
(本当に……)
弱い自分が嫌になって、無意識に自分を責めようとしている。助けてもらったカイトに対して、自分もよくわからない質問をした。
けれどそれを受けたカイトは一瞬固まるも、すぐに笑顔で返してくれた。
「だって、僕はクレアに助けられたから」
「……助けたっていつ?」
「初めて出会って、クレアが僕に手を差し伸べてくれた時だよ。その時から僕はいろいろ大切な事を教えてもらった」
その時の彼はいつもと違った。
いつもは静かで優しい。そこは変わらなかったけど、大切なものを教えてもらったと言っている時の彼は、どこか暖かさがあった。
今の私ならこう例える。太陽だ。
「僕は助けられたお陰で、今はすごく楽しく過ごせてるんだなって思えるんだ。なら僕もいろんな人を助けて、そう言う人を増やしたい」
その言葉にはただ純粋な感情だけがあった。
彼は助けられて、光を知った。今まで生きてて初めて感じたそれを彼はいいものだと思った。それを広げていきたいと思った。クレアの家族のような温かい空気を。
だから──
──だからクレアも、困った人を助けて欲しいな。僕を助けてくれたみたいに──
ノイズが走る。
「……今度は悪夢、か」
突然変えられた風景に驚きはありつつも、私はどこか納得していた。きっとこれば弱い自分に対する罰であり、勇者の隣にたった原点でもあるから。
目の前にあったのは火の海に包まれた村だった。
あの日だ。
運命の日。故郷に魔物達が攻め入って、地図から村が消滅した日だった。
そして目の前にいるのはさっきと同じ昔のクレアとカイト。でも二人は泣いていた。
当然だ。この時クレアのお父さんとお母さんが死んだのだから。
この日は私にとって人生の転換期。
だけどそれはカイトも同じ。
ロイ大臣様が来てくれたと言う意味もあるけど、カイトと私の間にはもう一つ大切な意味がある。
決心だ。
「クレア……僕は強くなる。魔物が来ても倒せるくらいに、人を守れるくらいに。二度と、こんなことが起きないように!」
「……私もよ。犬も父さんも母さんも全部、魔物に奪われた! こんな悲しみはもう味わいたくないし、誰かに味わってほしくもない。私も強くなるわ。あんたの隣に立つくらいに!」
カイトの覚悟が決まったんだ。大切なものを失う悲しみを知った彼は、それ以降必死に特訓していくことになる。それは私も同じ。
『……ごめん』
カイトの部屋で腹を殴られて、意識が暗闇に落ちる途中に聞こえた悲しい声を思い出した。
「……ええそうね。色々感情とかグチャグチャだけど、やるべき事は分かったわ」
私は何の為に戦ってきたのか?
村が消えた時の涙は後悔するために流した訳じゃない。
あの悪夢を二度と起こさせないと覚悟するためだ。
「何であの部屋でごめんって言ったのか、その後に何でロイさんを殺したのか……全然分からないけど」
人の血が流された以上、私はカイトの真意を見抜かなければならない。
本心なのか演技なのか、それともあの黄金の目が関わっているのか。
何にしても過去を振り返っている暇なんて私にはないのだ。私の親友を止めなければ。
「──かつての悲劇を繰り返さないために、私はいかないと」
痛みも後悔と絶望も私の心で渦向いている。目を閉じてこの痛みから逃げたい気持ちもある。けれど私は決めたんだ。人を救える存在になるんだと。
それこそかつていたと言われる勇者のように。
私の内から白い光が溢れ出した。
暖かさすら感じる純白な光は、悲しみに包まれていたこの空間を壊していく。ガラスのように砕けていく風景の外から太陽のような光が降りてくる。
まるで誰かに行ってこいと背中を押されているようだ。
気持ちが暖かくなる。
同時に懐かしさも覚えるような……そう、カイトに助けられた時と同じだ。
「カイト、あんたは私から色んなものを貰ったって言ってたわね。確かにそうだけど、半分忘れてることはあるわよ」
──私だってカイトから色んなものを貰った。
覚悟も強さも夢も……たくさん貰った。
だから──
「あんたを絶対救って見せるわ!!」
世界が割れて、自分は光ある方へと浮かんでいった。まるでこの世界からお前のいる場所はないと言われたように。