目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報
夜空の向こう
古田江
文芸・その他ショートショート
2024年11月16日
公開日
3,497文字
完結
クレーターによって荒れ果てた月の表面を修繕しようと、ウサギは業者を呼んだのだが……。

夜空の向こう

 補修工事の見積もりに来た業者の男が目を見開いた。

「うわ、けっこう荒れてますね」

「そうなんだよ」ウサギがうなずく。「最近、隕石が多くてさ」

 見渡す限りクレーターの窪みだらけだ。でこぼこでごつごつで、干からびた恐竜の皮膚みたいになっている。

「隕石の衝突は差し引いても、この星自体かなり古いでしょ」

「まぁね。誕生したのもかれこれ四十六億年前だし」

「そりゃだめだ」業者が顔をしかめる。「安全面から考えても全面整備をおすすめしますよ」

「でも、でこぼこは残したままの方がいいって説もあるんだよね」

「だめですって。砂とはいえ、つまずいてケガしますから」

「いや、というのもね」ウサギは両前足を大きく振りかざす。「地球から見るとさ、この凹凸がちょうどいい具合に、俺らが餅ついてるように見えるんだって」

「餅?」

「そう。ぺったん、ぺったんって」

「お餅なんて食べますっけ」

 ウサギは鼻で笑った。「ないない。そう見えるって勝手に幻想抱かれてるだけ」

「じゃあ別に関係ないじゃないですか」

 ウサギは悪い笑みを浮かべる。「ただね、肖像権は発生してるのよ。十五夜っていうイベントがあってさ。毎年いい額入ってくんの」

 お餅のパッケージ、各種イラスト素材、LINEスタンプ等、その使用料は衛星全体の収入の七割を占めている。

「だったら地面はきれいに整備した上で、新しくウサギさんの絵を描いちゃうのはどうですか? そうすれば多少荒れてもくっきり残るし」

 業者の提案に、ウサギは「いやいやいや」と首を振る。「それは風情がないでしょ。見ようによっちゃそう見えなくもないっていうギリギリのラインがウケてるんだから」

「でも実際、ウサギさんに見えたことあります?」

「あるわけないじゃん」ウサギは吐き捨てた。「単なるでこぼこ」

「ですよね」

「地球の人って妙にロマンチストなのよ」ウサギは空を指差した。「あの星座見える? あそことあそこをまっすぐつないで、最後ちょっと四十五度に折り返すやつ」

「なんとなくわかります」

「あれにさ、名前つけてんのよ。何だと思う?」

 業者が腕を組む。「先っちょが三角だから……カッターの刃座ですか?」

「全然ちがう」

「じゃあ、ちょっとひねって新幹線の先頭座とか? かなり無理ありますけど」

 ウサギはほくそ笑んだ。「牡羊座、だって」

「は?」業者が眉をひそめる。「どこが羊なんですか?」

「でしょ?」ウサギはたまらず吹きだした。「ほかにも、いくつかの星を三角形っぽく結んでやぎ座とか、棒人間みたいな形をふたご座って呼んだり。もっとひどいのが、星を二つ直線で結んでこいぬ座、だって。無理やりこじつけてロマンに浸ってるんだよ」

「やばいっすね」業者が手を叩いて笑う。「そりゃあ、月のでこぼこもウサギさんに見えるなんて言い出すわけだ」

「勝手に思い込んでくれて肖像権料が入ってくるなんて、こんなおいしい商売ないよね」

 とりわけ夜空を美化する傾向がある彼らの民族性も、うまく利用すれば楽して稼げる手段になるというわけだ。

「でも言われてみれば、うちも心当たりありますわ」業者が言った。「定期で土星の輪っかの清掃請け負ってるんですけどね、溝に星屑がいっぱいたまるじゃないですか。あれを掃くんですよ、ホウキでささっと。それを地球の人たちは流星群とか呼んでありがたがってるみたいで」

 ウサギは首をかしげた。「星屑でしょ? 文字どおりただのごみくずじゃん」

「遠くからだとキラキラ光ってきれいに見えるらしいんですよ」

「やば」

 つくづくおめでたい連中だ。そのうち、黄砂なんかも幸せの黄色い砂とか呼び出して崇めたりするんじゃなかろうか。

「それだけ鈍感なら工事しても大丈夫か。ウサギが消えない程度に、うっすらでこぼこを残す感じでお願いしようかな」

「ありがとうございます」

「でも本当に慎重に頼むよ。あれっ、ウサギがどんどん薄くなっていく、って大騒ぎになったら困るから」

 ウサギが念を押すと、業者が「大丈夫ですよ」と胸を叩いた。「来週あたり、地球と月と太陽がちょうど一直線になって、地球から見ると月がすっぽり隠れる時間帯が来るんです」

「そうなの? じゃあその重なってる間に済ましちゃえば」

「問題ありません」

 安堵した。十五夜が消滅して貴重な収入源が絶たれたら大きな痛手だ。

「でもそれはそれでまずくない? 月が消えるって」

「それもイベント化してるみたいですよ。月食とか言って」

「月食?」

「月が太陽に食べられちゃった、みたいな」

「ポエマーだねぇ」

 大方、それに合わせて天体グッズやキャンプ用品が売れたりするのだろう。どこまでもおめでたい。

「ねぇ、どうせ来週工事するならさ」すっかり安心したウサギは鼻息荒く訊いた。「クレーター増やしてもいいかな」

「増やす?」

「もっとド派手に荒らすっていうか」

「隕石を落とすってことですか? そんなのコントロールできないでしょ」

 業者が眉をひそめる。ウサギは声をひそめた。「実はさ、今だから言うけど、クレーターのほとんどは俺が作ったやつなんだよね」

「どういうことですか?」

「ちょっとこう……ハンマーで叩いてみたりとか……。ストレス発散でね」

「隕石じゃなかったんですか?」

「だってさ、聞いてよ」ウサギは口をとがらせた。「こないだ、どっかのサイトが飼いたいペットランキングやってたんだけど、三位に入ってたの何だと思う?」

「ベストスリーなんて犬、猫、ウサギさんで盤石でしょ」

「それがなんと、カワウソ」

「カワウソ?」業者の声が裏返った。「カワウソって、あのカワウソですか? 胴長短足の?」

 ウサギは嘆息した。「信じらんないでしょ? 絶対一発屋だよ。今年だけに決まってるけどさ、ショックすぎて一週間くらい眠れなかったもん。おかげでこれよ」

 充血しきった目を見せつける。ただでさえ生まれつき赤いのに、これ以上悪化したらすれ違う自動車をすべて停車させてしまいそうだ。

「ウサギさんって繊細ですもんね」

 業者の何気ない一言にウサギは真顔になった。「ちょっと待って。そのイジリ方いちばん嫌いなんだけど」

「なんすか急に」業者がうろたえる。

「やめてくんないかな、メンヘラ扱い。ウサギさんって寂しいと死んじゃうんですよね、とか本気で思ってない?」

「違うんですか?」

「そんなわけないじゃん」ウサギはまくしたてる。「別にメンタル弱いわけじゃないから。単に聴力が優れてるだけなの。ほら、俺らって耳長いでしょ。だから三キロ先の音まで拾えるわけ。それで悪口がよく聞こえちゃうから他の動物よりストレスを受ける機会が多いってだけなの。ミュートにできるわけでもないしさ」

 ネットの書き込みなら見なければ済む話だが、勝手に聞こえてくるものは防ぎようがない。

「でもウサギさん、めちゃくちゃ人気者じゃないですか。悪口言う奴なんています?」

「山ほどいるよ。お手ができないだの、懐くまで時間がかかるだの。こないだなんて、鳴かないから感情が読みにくいとか言われたし」

「ポーカーフェイスってやつですか」

「しらけ世代じゃないっつうの。体調悪くても隠すからわかりづらくて困るとかさ。それって裏を返せば我慢強いってことでしょ? 男は黙って、の世界でしょ? 昭和だったら長所でしょ?」

 本当に頭にくる。だったら微熱程度で毎度騒ぎ立ててやろうか。そうなったらなったで、今度は医療費がかさむとか文句言ってくるくせに。

「事情も知らず失礼しました」業者が頭を下げてきた。

「わかってくれりゃいいよ。そんなわけで他の動物よりはけ口が必要なわけ。でもさすがに自宅の小屋をぶっ壊すわけにはいかないじゃん。砂だったらさ、穴が空くだけでしょ。音も吸収するし。ストレス発散にはもってこいなのよ」

 月面が砂で覆われていて本当に良かったと思う。コンクリートやアスファルトなら一発で骨が砕けるところだ。

「いろいろ大変なんですね」業者がしみじみつぶやく。「わかりました。どうせ直すし、好きなだけやってください」

「いいの? よっしゃあ」

 嬉々として跳びはねたウサギは、小屋から自分の体よりも大きなハンマーを持ってきた。それを思いきり振りかざすと、一心不乱に地面を叩きはじめた。

「あっ、もしかして」隣で見ていた業者がぽんと手を叩く。「地球の人って、この姿が餅つきに見えたんじゃないですか?」

「え?」

「そうやって深く掘れば掘るほど、クレーターも臼に見えてきますし」

「マジ? じゃあ俺、自力で稼いでたってことじゃん。十五夜サイコー」

 ますます勢いづいたウサギは、奇声をあげながらハンマーを振り続けた。その狂気に満ちた動きとは対照的な、ぺったん、ぺったんというくすんだ音が、深遠な夜の闇にいつまでもこだましていた。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?