綾瀬所長のインタビューを終え、メンバーそれぞれが宿題テーマの回収と整理を済ませると、昼の時間となった。
「よろしいでしょうか?」
川村課長がドアから顔をのぞかせた。
「昼食は応接食堂にご用意しております。所長の綾瀬がご一緒させていただきたいと」
(こちらの様子を聞き出そうというのかしら?)
ジェニーは裏の動機を疑ったが、岩見に確認した上で会食を受けることにした。
「部屋には鍵を懸けますので、貴重品だけお持ちください」
案内された来客用の食堂は社員食堂の2階にある個室であった。
「監査お疲れ様です。ごゆっくり召し上がりください」
監査チーム3人と綾瀬1人が大テーブルを挟んで向かい合う形で食事は進んだ。
自分の地位を脅かす会計師たちを前にしているにもかかわらず、綾瀬の態度は落ち着いていた。
(よほど隠ぺい工作に自信があるのか。それとも、危機に気づいていない?)
清十郎は綾瀬の態度に強い違和感を覚えていた。
◆◆◆
会食を終え会議室に戻ると、川村がドアの鍵を開けてくれた。部屋に足を踏み入れた瞬間、ジェニーは強烈な違和感を覚えた。
「あの時みたい……」
「どうした、お嬢? あの時って、いつのことだ?」
ジェニーが立ち止まったのを見て、清十郎は何かが起きていることを悟った。
「空き巣よ。うちに入った」
「何だと?」
清十郎はジェニーの脇をすり抜けて部屋に踏み込んだ。一見して荒らされた様子はないが……。
「糞っ! なくなってやがる」
「えっ? 何か盗られたの?」
部屋は整然としており、何事もなかったように見えた。
「端末を盗まれた」
「あっ!」
ジェニーたちの仮想端末と岩見のラップトップPCが会議室から消えていた。
念のために川村に確認したが、誰もこの部屋には近づいていないということだった。
「妨害工作か」
「報告書の〆切に間に合わないわ!」
「だからあんなに落ち着いていやがったのか」
やはり大日本の内部から情報が洩れている。そうとしか考えられなかった。
「あっ! どうしよう。私、端末を開きっぱなしだったわ」
「何? データは無事か?」
「わからない。確認する」
ジェニーはポーチからスマホを取り出した。ジェニーたちのスマホは仮想端末と同様にサーバー上のリソースにアクセスすることができる。
「ああっ、だめだ。IDを乗っ取られてる!」
「ADMIN権限で入り直せ。乗っ取られたIDをロックしねェと、やりたい放題に荒らされるぜ」
ジェニーは管理者用IDでサーバーにログインした。ただちに盗用されている自分のIDをディアクティベート処理する。
「ワクチンソフトを走らせろ。何をされているかわからねぇぞ」
10分後にようやくウィルス・スキャンが止まった。幸い、ウィルスへの感染はなかった。しかし――。
「……ファイルが全滅してる」
「リカバリーできねェのか?」
「ダメ。物理フォーマットされてる。特別なソフトを使っても復活できるかどうか……」
単純な削除ではなく物理フォーマットをされたとなると、容易には復旧できない。
「サーバー・バックアップは?」
「タイミング的に昨日の夜までのデータはリカバリーできる。でも今朝からの分は無理だわ」
ジェニーは肩を落とした。自分が隙を見せたせいで、賊にサボタージュされてしまった。
「落ち込んでる暇はねェ。すぐに作業用のIDを再発行して、昨日までのデータをリカバリーだ」
「う、うん。すぐやる!」
スマホの小さな画面を睨みつけながら、ジェニーは猛烈な勢いで仮想キーボードを操作し始めた。
「岩見さん、あんたの方はどうだ?」
「データはハードディスクに入れていたので、PCを盗まれてはどうしようもありません」
「そうか。じゃあ、調査で集めたファイルをもう一度集め直してくれ、俺宛にメール送信してもらえば良い」
「わかりました。すぐ各所に依頼します」
清十郎は岩見に指示をすると、自分はジェニーが失った「今日付けのファイル」を再入手すべく、立ち回った。
すべての段取りが終わった頃には午後2時になっていた。
「よし。何とかデータは揃ったな。岩見さんの分のデータは俺のサーバーに入ってる。VDI経由でまとめさせてもらうぜ。お嬢、そっちは大丈夫だな?」
「ん、大丈夫。自分の範囲はまとめられる」
「じゃあ、3時まで頑張ろう!」
2人が作業を再開しようとすると、会議室のドアがノックされた。
「失礼します。米子警察署の者です。パソコン盗難の届け出がありました」
綾瀬か木下が手配したらしく、警察官が3人で捜査にやって来た。現場検証だ、状況調査だとつき合わされ、警察署まで出向いて被害届も出さざるを得なかった。
すべてが終わったのは、羽田行きの最終便に間に合わない時刻となっていた。
「ダメ! 明日の朝便じゃ、朝からの報告会に間に合わないわ」
「夜行バスは?」
「東京に着くのは明日の朝よ」
「仕方ねェ。徹夜で車内作業だ!」
意気込む清十郎にジェニーは首を振った。
「無理よ。夜行バスには消灯時間がある。徹夜仕事なんてできないわ」
「何だと? じゃあ、新幹線の最終は?」
「東京行はもう出た後よ。どうしよう?」
万策尽きたかと、清十郎は思った。
「ある! 電車はあるよ!」
「お嬢、新幹線の最終はもう出たって……」
「違う! 夜行よ! サンライズ出雲よ!」
「今時寝台列車なんてあるのかい?」
旅行に興味がない清十郎は知らなかった。東京と出雲市を結ぶサンライズ出雲の存在を。
「今ならギリギリ間に合う! すぐ米子駅に行こう!」
駅の窓口で空席を探してもらうと、奇跡的にキャンセルが出ていた。サンライズツインが1室。
すがりつくように発券してもらい、岩見には夜行バスで帰ってもらうことにした。
「ホームはどっちだ?」
「良いから私の後を走ってきて!」
ジェニーはサンライズ号の発車ホームに走った。
発車メロディが流れる中、清十郎はジェニーの後ろからサンライズに走り込んだ。
「ま、間に……合ったぜ。ハァハァ」
「そうね。乗ってしまえばこっちのもんよ」
切符を片手にジェニーは階下の個室に向かう。
部屋に入るや否や、ジェニーは上着を脱ぎ捨てて作業場所を作り始めた。
「清ちゃん、そっちのスマホをサーバーにつないで。それを観ながら、こっちで報告書を書き上げるから」
ジェニーは2台のスマホを並べて、作業を開始した。
清十郎は荷物を降ろすなり、ベッドの上にひっくり返ってあえいでいた。
「67歳の……爺に……何てこと、させやがる……」
息が整うまでに5分の休憩が必要だった。
◆◆◆
「もしもし。吉竹だ。岩見さんからこっちのことは聞いたかい? そうか。うん、サンライズ出雲とやらに間に合ったぜ。今車内だ」
復活した清十郎は、大日本に支給されたスマホで東京の尾瀬に連絡した。
「うん。PCはやられたが、スマホは無事だ。できた順に報告書を送る。そっちで受け取って、1本にまとめてくれ」
「わかりました。スマホの作業で間に合いますか?」
清十郎は憑りつかれたようにソフトキーを打ちまくるジェニーの姿を横目で見た。
「間に合うさ。何しろ東京まで11時間もあるそうだからな……」
清十郎は凄みのある笑みを頬に浮かべた。
「枯れ木一本残しゃぁしねぇよ、なぁお嬢?」
ジェニーのお腹が「ぐう」と鳴った。