最近の大企業は「電子帳票保存法」に従い、会計帳簿を電子データとして保存している。ジェニーたちは、臨時のIDとパスワードで研究所の財務処理システムを閲覧できるようにしてもらった。
事前に準備してもらった勘定科目コードを参照しながら、ジェニーたちは自分が担当する範囲の勘定データを閲覧して行く。
「研究用固定資産はこの10件、一般の固定資産はこの5件、研究開発費はこの10テーマ、無形固定資産はこの3件について調査します。固定資産は本日現品を実査させてください」
調査開始後わずか30分でジェニーは精査する対象案件をピックアップした。
「わかりました。現場の段取りが必要ですので、現品実査を優先して準備します」
ジェニーの担当となった佐野が立ち上がる。お互いにラップトップPCを開きながらデータをやり取りしているので話が早い。一番若いジェニーに下っ端の佐野がついた格好だが、ジェニーはかえってやり易いと感じていた。
実務に通じているのは当然佐野なのである。
岩見には課長の川村がつき、清十郎には主任の松永がついた。
佐野が席を外して現品実査の準備をする間に、ジェニーは財務システムを検索して固定資産の明細や残高推移のデータをトレースする。次第に周りの声が遠ざかり、画面と自分が直につながれたようなタイトな感覚が訪れる。
検索用PCを操作しながら猛烈なスピードで眼球が動く。時折気になる項目のコードを自分のPCに打ち込んでリストを作成している。
松永主任に作業を依頼した清十郎は、相手が中座した隙にジェニーの様子を横目で見た。
(こりゃ、「ゾーン」に入りかけてるな)
清十郎は壁際に置いた鞄をまさぐり、200ミリの牛乳パックを取り出した。茶色いのパッケージに踊る黒い文字は「おしるこ牛乳」という聞きなれない商品名である。
手を汚さず、片手で簡単に取れる糖分として、移動時には常備しているドリンクであった。
清十郎は慣れた手つきでパックにストローを刺してジェニーの前に置いた。
「ゆっくり飲め。こぼすなよ」
万一むせて噴き出したりしたら、机もPCもべたべたになる。左党の清十郎にとっては「危険物」扱いの代物であった。
頷くだけで礼も言わず、ジェニーはおしるこ牛乳のストローをくわえた。言われた通り、ちびちびとゆっくり飲む。ドロドロした液体がストローを通り抜ける様子は、見ているだけでのどが渇く。
ジェニーの様子に
清十郎は空になったパックをゴミ箱に片づける。
自席に戻った清十郎は鞄の中から、今度は「M&M」のシングルパックを取り出すといわゆる「パーティー開け」のように
「ミルク・チョコレートだ。ちゃんとかんで食え」
同じM&Mでも、ピーナッツやクリスピーは歯に挟まる。喉に絡んでむせる心配もあるので、ゾーンに入ったジェニーには食べさせない。
M&Mのチョコレートは表面をキャンディでコーティングされており、指先がべたつきにくいので作業中でも食べられる。
ジェニーはノールックで、閲覧用PC、記録用PC、チョコレートを同時に操って黙々と作業を進めた。その間、口は常時動いている。
ジェニーの
担当した範囲は「負債の部」である。
簿記や会計学にはいろいろな説明の仕方があるが、ざっくり言えば貸方とは「資金の調達経路」を表わしている。大きく分けると、「負債の部」と「資本の部」とに分かれている。
これまた乱暴に言えば、「資本の部」とは「返さなくて良い借金」であり、「負債の部」は「返す必要のある借金」であった。
負債の部にはまごうこと無き借金である「借入金」が含まれる。それ以外の代表的な負債科目は「買掛金」や「預かり金」がある。
素人には理解しにくい項目として「引当金」という科目も負債の部に含まれる。将来の出費に備えて
こういうところが簿記や会計が毛嫌いされる部分なのだが、対策は1つしかない。
そういうものだと思って、飲み込むことである。
無理に理屈を求めて納得しようとするから難しいのだ。「太陽は東から上るものだ」と割り切ってしまった方が幸せになれる。
会計監査の手法はいくつもあるが、清十郎のアプローチは単純だ。「両端」から攻める。
「古い物」対「新しい物」。「動きの大きい物」対「動きの少ない物」。「金額の大きい物」対「金額の小さい物」。「明細が多岐に渡る物」対「単一項目の物」。
世の中の物事は「極端な事象に歪みが発生する」ことが多い。たとえば短期間にたくさんの取引が集中した案件には、何かの異常が伴いがちである。その逆に長期間何も起こっていない案件も普通とは言えない。
「過剰残高」や「停滞残高」と言われる案件が異常値の代表例である。
清十郎はそのような目で異常値と疑われる案件をピックアップし、その詳細調査を松永に依頼した。
調査結果が返って来るまでの待機時間は、自分自身で案件の内訳を追い掛ける。ジェニーほどのスピードで画面スクロールはできないが、清十郎のデータ閲覧もかなり早い部類に入る。
67歳になっても老眼がさほど進んでいないことを、清十郎は感謝していた。