「これだけでも大問題なんですが、件の部長の処分について社内を2分する争いがおきまして……」
「うん? どういう争いですか?」
ジェニーが引き込まれて、身を乗り出した。
「その部長さんが社内主流派シニアパートナーの子飼いでして、最初の処分案では厳しすぎると」
事情を知りながら見逃していたということで、減俸プラス出勤停止1ヵ月という処分が出たそうだ。
「人事部門にねじ込んで、結局けん責止まりに変えさせてしまったんです」
「そいつァ、良くねェな」
人事の公平性、客観性まで揺るがせてしまった。
「この件で内部通報窓口に訴えがありまして、監査委員会で審議されました」
「聞いてるだけで胃が痛くなるぜ」
「外部機関による調査委員会を立ち上げて、内部統制の健全性について機能チェックを受けることになりました」
「大変ですねぇ~」
思わず同情するジェニーであった。
「身から出た錆です。顧客企業に指導する立場の我々が身内の体たらくを晒してしまった。会社全体にゆるみがあったのでしょう」
昨日の1件を詫びているつもりか、尾瀬は表に出せない話まで打ち明けてくれた。
「大体様子はわかった。言いにくい話まで聞かせてくれてすまねぇ」
「もちろん私たちは聞いていないことにしますので。元々関係がない話ですから」
つらそうな尾瀬の顔を見て、ジェニーまで気を使って言葉をかけた。
「それが……。無関係とも言えなくなりました」
尾瀬は言いにくそうに説明した。
「件のシニアパートナーは南川というんですが、グレート製薬の調査を妨害している節があります」
「はあ? なぜそんなことを?」
一転してジェニーが甲高い声を上げた。誰に似たのか、ジェニーは筋の通らない話が嫌いである。
監査会社の重役が監査を妨害するなど、彼女の正義感は許容できなかった。
「どうもグレート製薬側の誰かと通じているらしく、その人間をかばうためではないかと」
「馬っ鹿じゃないの! 何でそんな奴が大日本のトップにいるのよ?」
「まったくお恥ずかしい話です」
尾瀬の肩身がますます狭くなった。
「それでウチとの契約に横やりを入れて来たってわけかい? ご熱心なことだぜ、まったく」
清十郎は呆れて言った。
「私としては社内の人間よりも『片桐さん』の方が信用できると思ったんですが……、あんな露骨な嫌がらせをして来るとは思いませんでした。予想が甘くてご迷惑をおかけしました」
ようやく事の経緯がつながった。米子に行っても、南川一派の妨害工作があるかもしれない。その覚悟はしておこうと、清十郎は心にとどめた。
「お話した通り別のシニアパートナーを口説いて、『片桐さん』との契約を社内に通しました。ところが、南川から条件をつけられまして……」
「条件とはどんな?」
清十郎は嫌な予感がした。
「3日後に中間報告会が設定されました。そこで調査の結果を報告せよと。きちんとした結果が出せないようなら契約を打ち切るべきだと重役会で力説しまして、それが通ってしまいました」
「ええーっ! 3日後って、調査の翌日じゃないですか? 報告書なんかまとめる暇ないじゃない!」
ジェニーが血相を変えた。
無理もない。米子まで行くのに半日かかる。調査に使えるのはせいぜい1日半。報告書を描いている暇がない。
「もともと別部門の中間報告会だったんですが、そこに基礎研究所の分も合流させられまして」
「随分と無茶な話だな」
「監査の迅速化という大義名分を掲げて南川が大演説をぶちました。社外役員がそれに乗っかりまして……」
監査の迅速化自体は正当な目標である。これを表に立てられては社外役員は賛成せざるを得ない。
「社内の人間は下手に反対すると、監査合理化の流れに反する抵抗分子と見られるんじゃないかと」
「皆ビビっちまって反対できなかったってか?」
「ごく少人数が反対するにとどまりました」
「そういうことかい」
清十郎は息をついて、片手で顔をひと撫ぜした。
「今からでも断りたくなってきたぜ」
「吉竹さん! どうか助けてください!」
尾瀬はテーブルに手をついて頭を下げた。
「情けない話ですが、私の力では手に余る相手です。社内の人間は保身に走ってどっちつかずの様子見がほとんどです。このままでは大日本がダメになる。この仕事、受けてください!」
「頭を上げてください」
冷たい声で言ったのは、ジェニーだった。
「オタクの内紛なんてうちには関係ない話です。大日本が腐ろうと潰れようと、どうでも良い」
「片桐さん……」
ジェニーの声には冷たい怒りが籠っていた。
「でも、父がいたら……片桐丈なら見捨てなかっただろうと思う。父は大日本で働いたことを誇りにしていましたから。その大日本が腐ってしまうことなど許せるはずはないでしょう」
「お嬢、やるんだな?」
ジェニーは食いつきそうな目で尾瀬を見た。
「
「もちろんです。社内のごたごたとは私が体を張って戦います。片桐さんにはグレート製薬の件に専念していただけるように」
「わかりました。国家公認会計師片桐ジェニー、
ジェニーは両手を肩の高さで水平に開き、「T」の字を作った。