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第16話 私たちの担当は米子にある基礎研究所なんですね?

「初めに謝らせてください。今回は大変失礼なことをして、申し訳ありませんでした」


 事務所に来た尾瀬は開口一番、ジェニーと清十郎に深々と頭を下げた。


「電話で事情は伺いました。もう過ぎたことですから、お互い水に流しましょう」


 事務所を代表してジェニーが謝罪を受け入れた。

 元から、尾瀬個人に対して含むところはない。父親の同僚だったという点で親近感こそ覚えるが、悪く思う気持ちはなかった。


 昨夜、酒の肴に清十郎がしてくれた、父親と尾瀬の失敗談は尾瀬に対してネガティブな先入観を持たぬようにとの気遣いであったかもしれない。

 そういうところでジェニーは清十郎に頭が上がらない。「大人」の気配りとは、そういうことなのだろう。


 前払いの確認も含め、契約条件は問題なかった。工数と日程のバランスが配慮され、時間外労働が増えることに対する特急料金も配慮されていた。


「今度は問題ねェようだな」


 ペーパーワークを取り交わし、2人は「大日本監査法人」の名刺を受け取った。

 2人は「社員」でも「従業員」でもないが、契約中は大日本の肩書で働くことになる。


 肩書は「国家公認会計師」だ。


 スマホとメールアドレスの支給を受けて、準備は整った。


「片桐さんのところは仮想端末で作業をされているので、PCは持って来ませんでした」

「ああ、例によって共有ドライブを立ててもらえれば、データはすべてそっちに入れる」

「わかりました。URLアドレスとID、パスワードは別途暗号化ファイルをメールに添付して送ります」


「お嬢、何か聞いておきてェことはあるか?」

「うん。私たちの担当は米子にある基礎研究所なんですね?」

「遠い所まで申し訳ないが、重要研究を預かっている拠点なのでぜひこちらにお願いしたい」


 グレート製薬の創業者大町英吾の生まれ故郷が鳥取県米子であった。その縁でグレート製薬の技術的な基盤とも言える基礎研究所が米子市内に置かれていた。


「一緒に同行される岩見さんというのはどういうかたでしょう?」


 大日本監査法人としての監査出張に片桐会計事務所の2人だけで行くわけにはいかない。会社の代表として同行する人間が、岩見という男であった。


「岩見はパートナーですが、私の直属として働いている部下の1人です」


 尾瀬は清十郎の目を見て言った。


「私が信頼している男です」

「昨日みてェなことはねェんだな?」


 清十郎も目をそらさず念を押した。


「大丈夫です。私の身代わりだと思ってお使いください」

「わかった。後で顔写真を送っておいてくれ」

「了解しました。経歴書と一緒に送ります」


 尾瀬は用意しておいた航空券を、テーブルの上において差し出した。


「米子までのフライトです。岩見とは明日11:30に羽田の国内線ロビーで落ち合ってください」

「承知しました。岩見さんによろしくお伝えください。こちらの写真は会社のホームページに掲載してあります」


 航空券を受け取りながらジェニーが答えた。


 万事そつがない清十郎の唯一と言って良い弱点が地理であった。方向音痴と言っても良い。

「3回曲がるとどこを歩いているかわからなくなる」と言うから大分重症である。


 そのせいで交通機関に興味がなく、移動の段取りはジェニーに任せている。


「しかし遠いな。米子ってェと……愛媛だったか?」

「鳥取よ! 遠いと言っても飛行機ならすぐ。米子空港に一気に飛べるわ」

「そうか。日本も狭くなったもんだな」


 事務的なやり取りが終わったところで、清十郎は昨日の騒ぎ・・・・・についてジェニーに説明させた。


「闇の興信所……ですか?」

「そうとしか思えねェ。それも情報が狙いのな。仕事がねェウチに入る理由はおめェさんとこの絡みしかねェと思ってな」

「それは……」


 いいわけを始めようとする尾瀬を、清十郎は手を挙げて止めた。


「いや、責めてるんじゃねェんだ。大日本の中がそれだけ割れているんじゃねェかと思ってな?」


 少しは事情を聴いておかないと、仕事に差し支えると清十郎は言外に匂わせた。


「そう言われると、返す言葉がありません。お恥ずかしい話ですが、未だにもめごとが続いているのは事実です」

「一体何でもめてるんだ?」


 聞いておいて、清十郎は声のトーンを落とした。


「もちろん、これはオフレコだぜ」


 清十郎はそう念を押した。


「はい。……事の始まりは架空出張の疑惑です」

「行ってもいない出張を申請して、交通費や手当を着服したってことか」

「その通りです。ある部署の課長さんなんですが、ギャンブル資金にしていたようです」


 どこの企業にもある話だ。目が届かない死角を作ってしまうと、人は悪さをしたくなる。裏山に産廃が不法投棄されるようなものだ。


「それだけなら単発の不正ということで、きちんと処分および再発防止をしてくれればいいんですが……」

「何かあったのか?」

「出張伺を決裁する立場にあった部長さんが、カラ出張に気づいていながら認可していたようで……」


 尾瀬はとても言いにくそうに体をよじった。


「そりゃァ難儀だな。そうなると『他の人の分・・・・・』は大丈夫なのかって疑問が出るわな」

「まさにその通りでして。今、過去にさかのぼって当該部長が決裁した出張伺をすべて見直し調査させています」


 監査法人としては何とも情けない話である。


「そうなると、『その部長以外は大丈夫か』という疑念を払しょくする必要がありますので、結局全社の出張旅費を見直すキャンペーンに発展しました」

「うわぁー」


 聞いていたジェニーが苦い顔をして、舌を出した。


「日本を代表する監査法人ともあろう会社で、何やってるんですか?」

「まったく面目ない話です」


 ため息をつく尾瀬は、ひと回り小さく見えた。

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