「空き巣って言えば、あれだ。お嬢が夢ン中で開けた金庫だがよ?」
「うん? 清ちゃんに先を越された奴?」
「人聞きの悪いことを言うなよ。その金庫が空っぽだったってところが気になってな」
清十郎は自身が引っかかった点をジェニーに説明しようとした。
「夢の話なんだから、本気にしないでよ」
「そういうことじゃねェ。空っぽだったことに意味があるんじゃねェかと思ってさ」
夢は無意識が見せるメッセージだ。すべてがそうではないだろうが、そうに違いないと思い当たる夢は多い。
「夢枕に立つ」とはそういう現象の1つではないか。
「夢に見たのは『G』の金庫だろう? そいつが空っぽだったってのは、お嬢の無意識がそう感じているってことじゃねェのか」
「決算報告上は黒字が続いてるよね」
「そいつがいかさまってことじゃねェかな」
4大監査法人が監査した上場企業の決算書よりも、ジェニーの夢見を重要視する。清十郎は自分の判断をおかしいとは思わない。
「
「どっちもって、『G』と『大』のこと? やあねえ。うちみたいな弱小が沈没に巻き込まれたら、イチコロじゃない」
「そりゃあ納入業者だったら連鎖倒産てのもあるな」
グレート製薬が倒産すれば、原材料を収めている納入業者は売掛金を回収できなくなる。既に品物は収めてしまっているので、かかったコストがまるまる損失になるわけだ。
借金に頼って経営しているような業者は、いわゆる「貸し倒れ倒産」を起こしかねない。
日本を代表するような大企業の取引圏は極めて広い。数千社から仕入れを行っている場合もある。
もしそれらがバタバタと連鎖倒産したら、日本全体を巻き込む「恐慌」が起きてもおかしくないのだ。
「ウチなんぞは貸し倒れが起きても、取りっぱぐれるのは俺たちの人件費と交通費くらいのもんだ。死にゃァしねェさ」
「それでもタダ働きじゃない!」
「だから、受けてもいいかって聞いただろう?」
実際にはグレート製薬や大日本監査法人のような一流大企業がすぐに倒産するようなことはあり得ない。取引銀行や金融当局がつぶさせない。
つぶれた時の影響が大きすぎるからだ。
「いつもの条件なら『支度金』で15%はもらえるだろうさ」
一昨日清十郎やジェニーがしていたような予備調査や準備作業は、この手の監査業務にはつきものである。その分のコストに対して、契約時に「前払金」が支払われることがある。
監査法人自身も「年間監査」の契約を顧客と結ぶ際、同じように一部の前払いを受けることが通例である。
「相手は『有限責任監査法人』様だからな。会社更生法が適用されることはねェ。滅多なことでは債権放棄させられたりはしねェさ」
倒産の危機にある会社を立て直すためには私的な手続きと公的な手続きとがある。会社更生法は強制力を伴う公的手続きの代表格であるが、株式会社が対象であるため、大手監査法人には適用されない。
現実に大日本が経営危機に陥るとすれば、メインバンクを中心に金融機関が話し合い、再建支援策を調整することになる。銀行が資金融資を止めない限り会社はつぶれないのだ。
「あ~あ。中小企業は嫌~ね。いつも大手に振り回されて」
「大手も
少なくとも昼間から気晴らしに「とらや」に行って、早仕舞いすることなどできないだろう。
「そうかもしれないけど。大手の世界なんてわかんないもん」
大学卒業後すぐに
「しかしよ。話を戻すようだが、金庫が空っぽとは穏やかじゃねェ。それだけ不正の額がでけェってことじゃねェか?」
「そう言われると……。粉飾決算は間違いないとして、着服横領も大掛かりってことかしら?」
「そうかもな。週刊誌にすっぱ抜かれるなんざ、内部からリークした奴がいなけりゃあるわけがねェ。私的な不正が目に余ったってことじゃねェのか?」
そうであれば「犯人」側は、リークした人間を探し回っていることだろう。
「こいつァおいらの想像だが、まだ確たる証拠までは流出してねェはずだ」
「その根拠は?」
「証拠が出てりゃァ官憲が動くさ。まだ動いてねェってことは、まだ出てねェってこと」
ざっくりとした根拠であったが、案外そんなもののような気がした。
「だから『黒』の連中からしたら『白』のメンバーを社外に追い出してぇはずだ。きっとじたばたしてやがるぜ」
危険分子を社外追放してしまえば『黒』の一味は安泰だ。会社の外に出されてしまえば不正の証拠には手が届かなくなる。
『黒』の側にしたら、「疑わしきは遠ざける」という対応になろう。臭い動きをする人間は飛ばすなり、辞めさせるなり人事上の手を打てばよい。
頭痛の種が特別監査である。会社の制度上これを拒否できない。
非協力を貫こうとしても分が悪い。
監査人には伝家の宝刀がある。
会計監査報告書への署名拒否である。これをやられると、最悪グレート製薬は上場廃止に追い込まれる。
株価は暴落し、市場からの資金調達が困難になる。
株主は現経営陣の退陣を求めるであろうし、株主代表訴訟が連発する恐れもある。
『黒』の側が己の保身に走った結果、会社自体が壊滅するという可能性もあるのだ。
協力する振りをして肝心な情報を隠す。そういう対応をされるだろうと、清十郎は予想していた。