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第12話 これじゃァ警察も本気になれねェだろうよ。

「まずよ、『被害』がねェ」

「えっ? 侵入されてるじゃん」

「家宅侵入はその通りだ。だがそれ以上の被害は何もねェ」


 盗まれたものが皆無である上、壊されたものも、汚されたものもない。


「これじゃァ警察も本気になれねェだろうよ」

「そんなあ」


 やる気のあるなしを言っているのではない。いくつもの事件を抱える中で、怪我人も盗品もない事件の優先度は自ら下がるということだ。


 それでいて被害届を出せば、長々と事情聴取を受けなければならない。

 何かを取り戻すためであれば、それも仕方ないと割り切れる。しかし、何も盗まれてはいないのだ。


「何より、犯人を捕まえるのは難しいだろうぜ」

「ビデオ撮ったよ?」

「|目出し帽を被ってたんだろう? それじゃァ体格くらいしかわからねェぜ」


 実際に動画を見た清十郎は、早々に犯人像特定を諦めた。


「こりゃァ手掛かりが少なすぎるんじゃねェか?」

「そう言われるとそうだね。被害届を出してもらちが明かないかも」

「手術用の手袋にポリ袋、露出のない服装。これじゃァ遺留品も、指紋も見込めねェぜ」


 唯一の遺留品であるロープは市販の量産品であった。どこのホームセンターでも買えるものだ。


「闇の興信所かな、こいつァ……」

「何それ? 怖そう」

「反社の資金源さ。あの世界は情報が命だからな。携帯電話だって普及したのはやくざ社会が始まりだ」


 犯罪絡みの調査を普通の・・・興信所に頼めるわけがない。裏には裏のプロがいる。


「うちみたいな小さい所に、何でそんな奴が……?」

「情報が洩れてるな」

「えっ?」


 清十郎の言葉にジェニーは辺りを見回した。


「いや、ウチからじゃねぇ。……もっとも、盗聴器の心配はしておいた方が良いかもな。入り込まれちまったから」

「うちでなければ……って、大日本?」

「それしか考えられねェ」


 グレート製薬では、まだジェニーたちが調査を依頼されたと知る由もない。片桐会計事務所との接点は大日本監査法人しか存在しなかった。


「こっから先の話は盗聴器の対策をしてからだ」


 そう言うと、清十郎はベランダに出て電話をかけ始めた。相手は錠前屋、興信所、そして警備会社だ。


「やれやれ。赤字続きだってェのに物入ものいりなこったぜ」


 清十郎が手配したのは錠前の交換、盗聴対策、そして防犯システムの設置であった。


「うわぁ、嫌だぁ」


 捜索の結果、2カ所から盗聴器が発見された。電話機とPCの中であった。録音内容をメモリーに保存するタイプだ。音声ファイルを取り出して再生してみると、今日仕掛けられたものだとわかった。


また来るつもり・・・・・・・ってことだわな」


 盗聴器を回収しなければ、仕掛けた人間は録音された内容が聞けない。再び侵入者が来ると知りながら生活するのは、気持ちの良いものではなかろう。


「引っ越しするわけには……いかないよね?」

「うーん。人がいる時には来ねェから危ないことはねェはずだ。気持ち悪いからって引っ越しするのはなァ」


 完全に引き籠らない限りは、どこに移動しようと見つかる可能性はある。


「そもそもウチは契約しなかったからな。これ以上監視する意味がねェだろう」

「そうだといいな」


 ジェニーはまだ居心地が悪そうだった。


 セキュリティ・システムの設置がすべて完了したのは夕方5時のことであった。


 ◆◆◆


 当面1人歩きは避けた方が無難だという清十郎の心配もあって、2人は事務所近くの居酒屋で夕食を食べることにした。

 空き巣騒ぎがあったばかりで事務所に長居はしたくなかったのだ。


 ごたごた続きで自炊する気にもなれない。


 清十郎としてはげん直しの酒を昼から我慢してきた。手軽に、かつ気軽に酒を飲める場所が欲しかったのだ。


 小洒落た店では落ち着かないという清十郎のために、ジェニーは居酒屋について来た。

 もっともジェニーは居酒屋の雰囲気が嫌いではない。酒は飲まないが、酒のつまみは好きだ。


 やはり酒好きであった父親の影響かもしれない。


「枝豆1つと、奴2丁、板わさ1つと鳥から1人前。でもって、生大1とコーラ1だ」

「とりあえず」


 席に腰を付ける前に、メニューも見ずに清十郎が注文する。どうせ飲み食いするものは決まっている。

 欲しいものがあれば注文が届く間に考えておけば良いという発想である。


 ジェニーは清十郎のペースを知り尽くしている。1回目のオーダーに口を挟もうなどとは思わない。

 あくびをしたワニの口に頭を突っ込む奴はいないのだ。


「とりあえず」はせめてもの自己主張だ。何か頼むかもしれないよという。


 ビールが来るまでの間は、2人とも喋らない。無駄だからだ。

 清十郎はどうせ上の空だし、ジェニーは聞く気がない人間に話しかけたくない。


 この時間は「メニューを勉強する時間」だ。次に何を頼みたいか、この2~3分で決めておく。

 それも2パターンの準備が必要だ。


 相手が揚げ物を頼んだら刺身。煮物に行かれたら、こっちはサラダ。

「ああ、そっちもいいよな」と納得するバランスで注文を追加する。


 それが居酒屋での作法というもんだ。ジェニーはそう仕込まれてきた。

 父と清十郎がそうだった。


 注文が「決まる」とお互いににやりとする。


 それも酒飲みの儀式なのだと言う。


「お飲み物とお通しでーす」


「よし。それじゃ乾杯。お疲れでした」

「お疲れー」


 最初の一口を味わう。このために生きていると清十郎は言う。


「今日は散々だったナ、お嬢。ここで験直しだ」

「いいよ。とらや奢ってもらったし。それより空き巣の方がショックだよ」

「しがねぇ会計屋を狙うかねぇ。世も末だぜ」

「ほんとよ。うちなんか狙ったところで何もないのに」


 枝豆を指先でつまんで口に放り込みながら、ジェニーは愚痴を言った。

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