「何だよ、それ? 何で火が……」
「国家公認会計師は
ジェニーは指先に握った伝票を3人目の若者に突き付けた。
その威力は目の前で見たばかりである。若者は及び腰で引き下がった。
「真理子、
暴力沙汰に固まっていた友人2人を引き連れて、ジェニーは素早くその場を立ち去った。
◆◆◆
「凄かったね、ジェニー。国家公認会計師ってあんなことができるんだぁ」
新宿駅から乗り込んだ電車の中で、興奮冷めやらぬ真理子が話しかけてきた。
「あんたとは縁切る。もう連絡してこないで」
氷のような声でジェニーは言った。
「えっ? どういうこと?」
「あんたが誰と付き合おうと勝手よ。けど、唯を危ない目に巻き込んだことは許せない。付き合いはこれまでよ」
「ジェニー?」
やり取りを聞いていた唯が心配そうに声をかけた。
「国家公認会計師には公衆を守る義務がある。気に入らないけど、あいつらも公衆の一部なのよ。それを傷つけたのは職業倫理にもとる。やむを得なかったとはいえ、二度とあんなことはお断りよ」
苦いものを吐き出すように、ジェニーは言った。
「何よ! 偉そうに言わないで。あんた試験に合格しただけでしょ。まだ本物の会計師じゃない癖に!」
真理子はジェニーに言い返した。
「その通りよ。それでも会計師の精神をないがしろにしたくないの。さよなら」
ジェニーはそう告げ、駅に停まった電車からホームに降りた。
締まったドア越しに泣きそうな顔の唯が見えた。ジェニーは笑って手を振った。
最寄り駅はもう1つ先だったが、電車を待つのも何だか面倒だ。
ジェニーは一駅分歩いて家に帰った。
結局、真理子はもちろん、唯からもそれっきり連絡が来ることはなかった。
◆◆◆
平成が令和に変わり、世の中が新時代に向けて動き出そうとした時、「新型コロナ」という病気が現れた。
世界中で大量の感染を引き起こしたこの病気は、社会の在り方を根本的に変えてしまった。
ソーシャル・ディスタンス、リモート勤務。
その結果、目の届かぬ場面での不正が激増した。
「誰も見ていないから」
無人販売での窃盗、独居世帯での集団強盗、特殊詐欺。
企業の内部でも、人目に付かぬ場所で不正が積み重ねられていった。
このままでは不正の泥沼に国全体が沈んでしまう。その危機を目前にして、立ち上がった存在があった。
神は歯止めなき不正を「
穢れは
だが、
神官が足りないのだ。
日本の神官は総勢2万人余り。新型コロナウイルス新規感染者はピーク時に1日25万人を越えた。
とても追いつかない。
そこで神々は選んだ。神の使いとして人々を助け、穢れを祓い、悪を退ける存在を。
その名を「国家公認会計
全国に約4万人存在した「公認会計
力とはすなわち異能である。ある者は風を呼び、ある者は氷を結ぶ。
彼らにとって数字こそ
中でも炎を操る会計師は不動明王のごとく不正を暴き、これを燃やし尽くす存在であった。
会計師試験に合格した者には神が降りる。
これにより数字の中に宿る真名を呼び出し、使役することが可能となるのであった。
しかし、いかに神威といい真名といってもその器は生身の人間である。真名を行使すればその反動があった。
力の行使は生体エネルギーの減少をもたらすのだ。
「
それは会計学の基本原則である。世間一般ではそれに当てはまる別の言葉が存在する。
すなわち、「等価交換」。
すなわち、「エネルギー保存の法則」。
すなわち、「因果応報」。
会計師は力の行使対象を「借方」とし、我が身を「貸方」として真名の移動を行うのであった。大量の真名を消費すれば会計師の生体エネルギーは枯渇する。
力の過剰行使は死を招くこともあるのだ。
リスクを背負って世の不正と彼らは戦う。唯一無二の真実である「正しき数字」を守るために。
人々の暮らしから「穢れ」を祓うために。
「ああ、お腹空いた。う、深夜営業のラーメン屋? か、神か?
ジェニーの生体エネルギーは、世間一般では「カロリー」と呼ばれていた。
「手っ取り早く貸借バランス取らなくちゃ!」
ジェニーは店ののれんをくぐった。だが、彼女は翌日後悔することになる。
夜中のラーメンはしばしば貸方過大計上となるのだ。
そして、借方と貸方は常にバランスせねばならない。それは宇宙の真理なのだ。
貸方が過大に計上されれば、借方も増える。
その借方勘定の名を「体重」と言う。この勘定の残高が長期停滞しがちであるということを、全国の女性たちが知っている。
ダイエットのために生体エネルギーを消費すればよいではないか?
誰もが抱いたその思いは「神の正義」の前で打ち消される。神は正義なき真名の行使を認めない。
穢れを祓う以外の使途に真名を用いることはできないのだった。
「野菜マシマシで!」
ジェニーよ、野菜を増やしたからと言って総カロリーという
野菜をたくさん食べれば健康的だと信じている内は、借方資産(体重)の払い出しは進まんぞ。
神が見ていたならそう言ったであろう。