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第4話 ちったァ面白い仕事になりそうだぜ。

「わかった。勉強する」


 唇を尖らせながらも、覚悟を決めたジェニーが返事をした。


 こう見えてジェニーは天才であった。

 少なくとも、清十郎はそう考えている。


(お嬢には数字の声が届いてる。おいらでも気がつかねェ深いところからの声を聴いている)


 不正のある会計帳簿を眼にすると、ジェニーは機嫌が悪くなる。


「だって、気持ち悪いもん」


 そう言って勘定科目を指摘するのだ。


 未だかつて、外したことがない。


 成功している企業の帳簿を見ると、目立って機嫌がよくなる。

 気持ちが良いのだという。


「良い音楽を聴いてる時みたいな?」


 そんな気持ちになるのだという。


(お嬢には「数字の調和」が聞こえている。そういうことだろうな)


 破綻のない、無駄のない数字は美しい音色を発するのであろう。反対に無駄や不正が多ければ、音は濁り不協和音となって心に響く。


(おいらが「千里眼」なら、お嬢は「天耳通てんにつう」だ)


 たった2人きりの弱小会計事務所が大手監査法人とタメを張って、業界随一の製薬会社に殴り込む。


(面倒はごめんだが、ちったァ面白い仕事になりそうだぜ)


 その、ジェニーが頭から湯気を立てて資料を読み込む傍らで、清十郎はコネのある情報源に電話をかけまくった。マスコミ、興信所、銀行、証券会社、財務省、厚労省、検察、そして国税まで。


「噂で良いんだ。何か聞いた話はねェか?」


「もちろんオフレコさァ。こんな電話はかかっちゃいねェよ」


「わかった。おいらは何も聞いてねぇぜ」


 話を聞くたびに清十郎の心証は「クロ」に傾いた。


(こいつァ根が深そうだぜ。1人や2人のいたずらじゃねェや)


「さてと、嬢ちゃん。飯でも食っとこうか。でいいだろう?」

「うん」


 ジェニーは幼児のような素直さで立ち上がった。


 昔からジェニーは脳を酷使すると、振る舞いが幼児退行するところがあった。

 すべての思考能力が仕事に持って行かれているのだと主張するかのように。


 逆に言えば、こういう時のジェニーは「ゾーンに入っている」。情報が無意識下に染み込んでいるようだ。


 清十郎はジェニーと手をつないで・・・・・・事務所を出る。こうしないとどこに行ってしまうかわからないのだ。

 手をつないでいれば余計な言葉を掛けなくてすむ。会話をするたびにジェニーの集中が浅くなってしまうことを清十郎は恐れた。


 こうしている間にも、読み込んだ情報がジェニーの頭の中で猛烈に回転しているはずだ。比較し、組み合わせ、縦横斜めに検討する。


 清十郎はジェニーの脳内で起きているその現象のことを、「熟成」と呼んでいた。


 ◆◆◆


 雑居ビル「片桐ビルヂング」の1階は中華料理屋になっていた。「海珍楼はいちんろう」という店名は立派だが、こてこての町中華だ。


 2つしかないテーブルの奥側に陣取り、決まったメニューを注文する。

 ジェニーには天津飯。自分には餃子に半チャーハン、そして生ビールの大。


 清十郎の仕事はもう終わっている。なので、心置きなく酒が飲める。

 ジェニーはアルコールを飲まない。「まずいから」という理由だった。


 安い、速い、ほどほどに旨いが売り物のこの店では、料理は3分以内に出てくる。

 ビールは30秒以内だ。


 ぼーっと壁のテレビを眺めているジェニーをしり目に、清十郎は労働後の1杯を頂く。


(お嬢がいける口・・・・なら、一緒にオダを上げるんだがヨ)


 清十郎自身はいくらでも飲める。同じペースでいつまででも飲める。酔うが、滅多なことでは潰れない。

 潰れるのは、無理強いされた時とバカ騒ぎをした時だ。


 今日はそこまで飲みはしない。生大1杯でお開きだ。


(お嬢の仕事が終わってねェからな。見届けてやらねェと)


 放っておくと、ジェニーは朝まで机に向かってぼーっと座っていたりする。


(まあ、深夜までには終わるだろうさ)


 料理が出て来たところでジェニーにスプーンを渡してやる。


「こぼすなよ」


 こくりと頷いてジェニーが天津飯を食べ始めた。

 そう言ってやらないとテレビを見たまま手元が疎かになる。今は1つのことしかできないのだ。


 自分は餃子でビールをやっつけ・・・・、半チャーハンに取り掛かる。

 安っぽい味が好みの清十郎は、かまぼこの入ったこの店のチャーハンがお気に入りであった。


 冷めないうちに料理を食べきるのが、清十郎の習慣であった。熱いものを冷まして食うなど、馬鹿のすることだと思っている。


(冷めた中華なんぞ、中華とは言えねェからな)


 今日も冷め切る前にチャーハンを食い終わった。

 目の前では丁度ジェニーが最後の一口を口に入れたところだった。


「旨かったな。水飲め」


 テーブルの水差しからコップに水を注いでやる。

 スプーンを置いたジェニーが、頷いてコップの水を飲む。


 爪楊枝を使いながら、紙ナプキンを差し出してやると、ジェニーは丁寧に自分の口元をぬぐった。


「じゃあ、けェるぞ。ごっつぉさまぁ」


 この店ではいちいち支払いはしない。月末にまとめて支払うのだ。


「毎度ぉ!」


 亭主の声に送られて店を出る。

 再びジェニーの手を取ってエレベーターに乗り込んだ。


「さて、後3、4時間踏ん張ってくれよ? 何、すぐ終わるさ」


 素直にうなずいて、ジェニーは階数表示のLEDを見詰めていた。

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