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第2話 疲れた時にゃ甘ェもんて、相場が決まってらァ。

「疲れた……」


 ぼさぼさの髪を直そうともせず、ジェニーはデスクに突っ伏した。


「ううぅ。受付でさんざん待たされた挙句、会ってもくれないってどういうことよ?」


 営業は足で稼げとばかりに、この町の会社、商店を軒並み回って売り込みを掛けたらしい。


 結果は惨敗。あえなく門前払いだった。


 足が棒になり、踵には靴擦れができた。

 喉が渇くわ、腹が減るわと、良いことなしだった。


「お疲れさん。ほれ、チョコモナカジャンボ」


 清十郎が冷凍庫からアイスクリームを取り出して、ジェニーの顔の横に差し出した。


「うう……、要らない」


 ジェニーは突っ伏したままで反対側に顔をそむけた。


「そうかい。じゃあ、おいらが食っちまっていいかい?」

「食べる!」


 がばっと身を起すと、ジェニーはひったくるようにチョコモナカを受け取った。


「疲れた時にゃ甘ェもんて、相場が決まってらァ。どれ、お茶・・でも入れてやるか」

「うめ昆布茶!」


 チョコモナカを開封しながらジェニーが注文をつけた。


「はいはい。わかってるよ。若い娘はカプチーノとか、ハーブティーとか、そういう小洒落た物を飲むんじゃないのかねェ」

「うめ昆布茶!」


 ジェニーの元気が大分回復したのを横目で見ながら、清十郎はポットのお湯でうめ昆布茶を溶かした。


「死んだお袋はこいつが好きだったなぁ。丁度良い濃さに入れるのが難しいんだって威張ってたっけ。ほれ、熱いから気をつけな」

「ふふ。冷たいアイスに熱いうめ昆布茶、サイコー……」


 まだ冷たくて固いアイスモナカを湯呑の側面に当てて、ジェニーはお茶を冷ましながらアイスを溶かしていた。


「おめェ、それじゃあアイスが溶けちまうだろう?」

「それが良いのよ。側の最中なんか、へニャッて・・・・・ナンボでしょ?」


 中のアイスが柔らかくなった頃合いが、一番美味しいのだという。


「美味い~」

「おい、口から垂らすんじゃねェよ。ほれ、ティッシュ!」


 ジェニーのゆるんだ口元から溶けたアイスが垂れていた。


「じゅる。ありがとう。へへへ、生き返ったわ」


 口元をティッシュで拭いながら、ジェニーが照れ臭そうに笑った。


 過保護だとはわかっているが、この娘が落ち込んでいるところは見たくない。清十郎はつい手を出してしまう自分を馬鹿な年寄りだと思う。


 馬鹿で結構だ。


 相棒の忘れ形見ぐらい守ってやれないで、何が男か? 古い昭和の価値観と言われても、清十郎には自分を変えるつもりはなかった。


「生き返ったところで聞いてくれや。仕事が1つへぇった」

「へっ? 仕事? 何の」


 仕事を探して1日歩きまわった挙句空振りに終わり、ジェニーの脳は「仕事」という言葉を理解することを拒否したようだ。


「会計師の仕事に決まってんだろうが? 監査のヘルプだ」

「えぇー、またヘルプ? 大手の下働きは嫌ぁー!」


 ヘルプというのは大手の監査法人に頼まれて手伝いをする、いわば下請けの仕事だ。とかく大手のエリート社員は下請けに対して差別意識を持っていることが多い。

 馬鹿にされるくらいは日常茶飯事で、セクハラまがいのこともたびたびあった。


「贅沢言ってんじゃねぇ。今度の相手は大日本・・・だ。そうそう変な奴もいねえさ」

「それでもきらーい」


 ジェニーはふくれっ面で横を向いた。


 大日本とは「大日本監査法人」のことである。4大監査法人の一角である大日本は、日本を代表する大企業の監査を請け負っていた。


 グレート製薬もその顧客の1つだ。


 監査法人の立場は難しい。顧客企業から独立した立場でその財務内容や経営状況を監査し、不正があればこれを摘出することが仕事である。

 その監査法人が指摘できなかった不正が発覚した場合、監査法人は契約上の責務を果たせていなかったことになる。


 そんなことになれば監査法人の信用は失墜する。大手顧客から契約を打ち切られることも考えられる。

 監査法人は他にもあるのだ。


 当然、監査法人は対象会社の不正を未然に防止し、万一発生した場合はいち早くこれを指摘すべく、必死に努力している。

「やったのはあいつらで、ウチのせいではありません」では、すまされないのだ。


 今、大日本監査法人では大騒ぎになっている。自分たちが見過ごしていた不正が発覚したのだ。

 これが事実であれば、監査法人としての立場がない。


 この期に及んでは、徹底的に調査を行って不正の内容や範囲を特定し、グレート製薬側に再発防止策をしっかり取らせる必要がある。そこまでしてようやく事後対策の完遂と言えるのだ。


 人員が足りないとか、金がかかるとか、できない理由を挙げても通用しない。

 何があってもやり通さねばならない。そういう立場に立たされていた。


 そこで片桐会計事務所の登場である。不足している人員を下請けという形で補おうというのだ。


「こいつは『通常監査』じゃ収まらねェ。『特別監査』か『臨時監査』だ。時間との戦いだぜ」

「えぇー、嫌だぁ。残業きらーい」

「パートナーに残業なんかねェよ」


 パートナーとは共同経営者のことである。使用人ではないので労基法の対象にはならない。

 ちなみに片桐会計事務所のパートナーは、ジェニーと清十郎の2人である。使用人はいない。


 ここにいる2人ですべての業務を回さなければならないのだ。

 彼らは会社と「請負契約」を結んでいる。請負とは仕事の成果を提供し、対価を得る契約形態なので「何時間働くか」は関係ない。


 残業をしないのではない。そもそも「残業という概念・・・・・・・」がないのだ。


「嫌ぁ! ブラックは嫌ぁ!」


 ジェニーは再びデスクに突っ伏した。

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