決勝戦開始前に
激闘により汚され、壊され、傷ついた試合場の床や壁の補修するためです。
「決勝か……」
黄龍祭の決勝戦へと勝ち上がったの2社。
紫雲電機とアスマエレクトニック。
両社共に対策と戦術の見直し、またはマシンの最終調整をしていることでしょう。
「緊張する……」
心臓が高鳴ります。
一体、龍博士と交渉する権利はどちらに――。
休憩室でそう考えていると、
「失礼」
後ろから声がしました。
「だ、大吾さん!」
振り返ると黒澤選手――大吾さんがいました。
「調子は?」
「ま、まあまあです」
「声が資本の仕事だ。無理はするなよ」
大吾さんは優しい顔をしていました。
試合中とは全く違います。
「いさみ、大役を任され大変だろう」
「は、はい」
私がそう述べると、大吾さんは心配そうな顔をしました。
「どうした」
「え?」
「不安そうな顔をしている」
大吾さんは気付いていました。
私の心のうちを、恐怖心を――。
「怖いんです」
「怖い?」
「学生時代に始めた趣味がまさかこんな……」
「人気があるらしいな。お前の声は人を盛り立てる」
私は首を振ります。
「ここまで人気になるとは思わなかったんです。おじいちゃんの影響で見始めた格闘技観戦、好きなスポーツ実況のマネをして配信したら予想外の人気が出て――スカウトされたときは本当にびっくりした」
「よいことではないか」
「でも、いつか本当の私を知られたら嫌われるんじゃないかと思うと怖いんです。私は匿名をいいことにやってるだけで――」
皆さん、ここまでの会話に違和感が感じていることでしょう。
私、岡本いさみがこの空破闘機場にいるのか。
何故、紫雲電機の皆さんと行動を共にしていないのか。
「夢比奈ミリアを辞め、普通になりたいか」
私が『夢比奈ミリア』だからです。
「私、だから会社員に……」
「何の因果か、それが紫雲電機だったがな」
大吾さんはゆっくりと近付きます。
「偽りの名を使おうと、姿になろうと、お前は岡本いさみ。岡本毘沙門の孫なのだ」
岡本毘沙門、私のおじいちゃんです。
昭和の時代、おじいちゃんは有名な空手家でした。
お母さんの話では、世界中の格闘家と戦い連戦連勝。
時には虎や熊といった猛獣も相手にしたそうです。
ですが、もうこの世にはいません――何年も前に亡くなりました。
大吾さんは、そのおじいちゃんの愛弟子なのです。
「自信を持て」
私の小さな頭に、大吾さんの手が置かれました。
その手は大きく、暖かく、優しく、安心感を与えてくれます。
「いさみの
私は大吾さんの瞳を見つめます。
「それよりどうして?」
「お前の顔を見たかったからだ」
☆★☆
特別室。
ここで王者、黒澤大吾の儀式が行われる。
「始めるぞ」
「押忍!」
黒澤の周りには数名の男達が取り囲む。
どの男も白い空手着姿、彼らは雷神流の門下生達。
所謂、多人数掛けである。
「オオオォォッ!」
王者の咆哮が空気を、床を、壁を揺らす。
かかる敵を打ち、蹴り、投げ、極め、鮮やかに
容赦のない攻撃により、床や壁は血に汚れた。
「気合十分だ」
「全員、三段以上の強者なんですがね……」
飛鳥馬実、山村豊の両名は絶対王者の強さに感嘆し、
「……」
ルミは息を飲んだ。
黒澤の組手風景、その迫力と威圧感、強さに身震いしたのだ。
傍に立つ母、暦は言う。
「ルミ、あなたはあの男に倒された」
ルミは眉を寄せる。
「そして、オヤジを倒し引退を決意させた」
暦は頷く。
「藤宮流に二度も土をつけた男です」
「呆れた。あたしとあの男と結婚させれば、藤宮流の面目が潰れないと思ったのかい」
「それが家のため、藤宮流のためです」
「いつの時代だよ」
ルミは暦に侮蔑した視線を送る。
暦は娘の視線など風に柳と受け流し、
「何故、戻ってきたのですか。逃げたままでいれば、捕まることもなかったでしょうに」
と尋ねる。
母の問いにルミは答えた。
「黒澤大吾の負ける姿が見たいからさ」
ルミの言葉に気付いたか。
黒澤はルミの
「試合が終われば
黒澤の言葉にルミは返した。
「あんたは絶対に負けるよ、颯に」
黒澤は両拳を付き合わせた。
「神谷颯か……」