事情があって今絶賛転校生な私、宮崎紗枝。そんな私が今いる場所、それが。
大島。
黒潮の真ん中に浮いている、小さな大島。
一番近い陸に行くのに10時間かかる大島。
そこの大島分校が、私の通う学校。
両親が離婚して、母さんにはすでに新しいお相手がいて、意地はって父さんの故郷に二人で来てしまった。
「絶対東京にいたほうがいいんだからね」
何とか娘をつなぎとめようと力説した母さんの顔が浮かぶ。
正直、母よあなたは正しかった。
「なぁ、新しい診療所の先生が、お前の父ちゃんだろ」
無駄にキラキラした瞳で、健太がなれなれしく話しかける。
所健太。
同い年。
絶対、間違ってる。
「そうよ」
「すげー、かっけー」
何がどうかっけーんだか……。
妻に捨てられたショックで、大学病院をやめて、こんな文明の砂漠に逃げ帰ってきた男の、どこが?
「あんたのお父さんは、何やってるのよ」
聞きたくなかったけど、聞き返すのが礼儀な気がする。
「とうちゃんな、イカ釣ってる」
……父は、イカ漁師です……っていえないのか、最高学年。
「アキのおとぉさんはねぇ」
きいてない。
「ねぇ」
きいてない。
「ねぇぇぇ」
わかったよぉ。
君島明子。小学三年生。
複式学級でクラスメイト。
性格、しつこい。
「アキちゃんのお父さんは何やってるの?」
「アキのおとぉさんはねぇ」
はやく言え。
「なまぐそぼーずぅ」
ぐそっ!
下品にもほどがある。
「ばぁか、それ言うなら、なまぐさぼーずだろ」
そうよ健太、今日のあんたは一味違う。
……って、いいの、それで?
「そうそう、そのなまぐさぁ」
いやまぁ、娘本人が良いなら、良いんですけどね。
「じゃあ、うちの父ちゃんは、イカくさぼーずだな」
イカ臭!!
それは……いや、それ以前にあんたの父さん坊主じゃないでしょ。
……ああ……帰りたい……。
学校帰りにスタバで道草できる東京にかえりたい。
ガラガラガラ。
あ、変な人。
いや、竹内塁先生。
父さんが言うには30歳らしいけど、もっと若く見える。
いつもの白ブラウスにタイトスカート、後ろで束ねただけの髪でそう見えるんだから、ちゃんとしたらもっと若く見えるはずね。
「みんなで何をはなしてるのかなぁ?」
「えっとねぇ、アキのおとぉさんがなまぐさぼーずなの」
「そうね、アキちゃんのお父さんはお葬式がおしごとよねぇ」
ちがいますよぉ。
「うちのとうちゃんがイカ釣ってて、紗枝の父ちゃんが診療所」
紗枝だぁ、誰が呼び捨てしていいって言ったのよ。
「何呼び捨てしてんのよ!健太」
「だって、お前がもーんはいやだって」
その……その二択っすか。
なら、呼び捨てで。
「いいわよじゃぁそれで」
「そう、みんなでおうちの話してたんだぁ」
話の流れ!
ま、良いけどね。
「ねぇ、先生旦那いるよね」
いるの!
へぇ、ちょっと意外だ。
「いるわよ」
「旦那は何やってるんだ」
お前は実家の父親か!
「ええとねぇ」
注意しろよ、ぜったい社会出て困るんだからね。
「先生の旦那さんはねぇ」
でもこの話、ちょっと興味あるなぁ。
離島の、校長も副校長もいない分校で、たった一人で先生やってる人の旦那さん。
きっと、相当理解のある人に違いない。
「……自由人」
……はい?
「先生の旦那さんはね、自由人してるの」
いやいやいやいや、それは職業とはちが……。
「すげぇ、かっけー」
カッコよくなぁい!
お前はなんでもかっけーんだろ?
あこがれて痛い目見るのはお前だぞ。
「健太君、やめたほうが良いわよ、自由人、大変だから」
そりゃそうだ。
主に周りが大変だ。
「ええ、だって自由なんだろ」
健太はあくまで、あこがれるらしい。
そんな健太を見て、先生はちょっと遠い眼をして言った。
「ううん、自由人はね、ほんとは一番なにかに縛られて生きているのよ」
……深すぎます。
先生、まだ十代前半の二次性徴真っ只中の私たちには、てか、アキちゃんに至っては、まだ……って、そんなことはどうでもよくて、いくらなんでも年齢一桁の少女にその意味は深すぎますって……。
「そっかぁ、じゃぁやめた」
はやっ!
「せんせぇ、ねぇ、せんせぇのおしごとはなんなんなん?」
アキちゃん、矛盾してるよ、答え自分で言ってるよ。
「そうねぇ、なんて言えばいいかしら」
悩むなよ。教師だよ。
「先生は……」
だから教師だよ!
「自由人の……オンナ?」
てぇい!あんたは教師!!
てか、何で疑問系?
いやそうじゃなく、て、いや、もう、ボケの量が多すぎてひとりじゃ突っ込みきれない。
「いいなぁ、かっけー、おれもなりてー」
なれねぇよ!!
てか、なるな。
「アキもなるぅ」
いや、アキちゃんは、マジであこがれちゃだめ。
だめ、絶対。
「よしておきなさい、微笑を……絶やしたくない……ならね」
深すぎますってば!
「さ、そんなことより授業、授業」
切り替え早い。
先生はそう言うと、そそくさと黒板に向かう。
もう、私、このテンポについていけない。
「あ、ちなみに、紗枝ちゃんはお母さんが離婚していないから、みんなも覚えておいてね」
「ちょ、先生!」
さすがに声が出た。
なんてことさらっと言うんだよ、何で、みんなが覚えとく必要があるのよ?
私の家族の恥を。
私が、当然の抗議を続けようとしたとき、健太が、また大声を上げた。
「すげーかっけー」
か……かっこよくなんか……ないわよ。
かっこいいわけないじゃな……。
「だから紗枝って、大人っぽいんだな、すげーな」
あ。
「かっけー」
ばか。
かっこよくなんかないわよ。
ばか。
ちょっと、救われた気がしたじゃない。
ばか。