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第146話『あの時のこと』

『ああ。だが帰ってくるなとは言わなかっただろう? 私には確信があった。一時飛び立ってもいずれ小鳥は戻る。何故なら私が色んな所に根回しをするから』

『そうだよ、彩葉。芹の執着を舐めちゃいけない』


 何を思い出したのか、シンの声がくぐもる。


『芹様は彩葉が攫われた時、岐阜の地を沈めようとしたのです!』

『そうそう。そうしたらどこかに亀裂が見つかるはずだとか何とか言って。それ聞いてあっちの土地神と喧嘩になりそうになってさ!』

『結局最終的には彩葉につけた加護を探したんだ。そうしたらようやく時宮が建てた祠の中に僅かな亀裂がある事に気付いてな』

『僅かって……数ミリだよ。ほんと数ミリ! 僕はもう倒れるかと思ったよ! 執着どころじゃない。あれはもはや執念だ』

『す、数ミリ……』


 あの時、思っていたよりも外では私を探すのに難航していたようだと知り、芹と繋いだ手に力を込めた。


 シンや狐達は芹の執念に怯えているが、私はそれを聞いて、それほどまでに私を探してくれたのだと知って泣きそうになる。


『芹様、見つけてくれてありがとうございます。あなたがあの時その数ミリに気付いてくれなかったら、もしかしたら私はここに居なかったかもしれません』

『当然だ。伴侶にすると決めた女をどうして諦める事が出来るんだ。数ミリだろうがもっと小さかろうが、必ず見つけてみせる』


 微笑みながらそんな事を言う芹が愛しくて仕方ない。


『芹様……やっぱり、あなたとこうなれて良かった』

『それはお互い様だ。ほら、見えてきたぞ』


 芹に言われて前を向くと、何度も何度も登ったり下りたりした参道が見えてきた。


 最初にここへ来た時あの参道はまだ獣道で、スーツケースの駒に土が詰まって苦労したのを覚えている。


 苦労して辿り着いた先にあったのは廃神社で、私はそれを見て途方にくれていた。


 初めて芹を見た時、なんて綺麗な人なのだろうと思った。その後すぐに透けている事に気付いて気を失ったが、芹が私に対して角を見せたのは一度だけだ。


 巫女を止めると言って出ていこうとした、あの時だけ。


 芹が角を出すのは怒った時だと知ってから、私はずっと考えていた。どうしてあの時、芹は私に角を見せたのだろうか、と。


『もう少しだ、彩葉』

『はい!』


 参道を登り境内に入ると、ここまでの疲れが嘘のように消え去った。心の底からホッとして、家に帰って来たのだと実感する。


 それからテンコとビャッコの指揮で神前式はつつがなく進んでいく。


 神は隣に居るのに神前式というのもおかしな話だが、この話を持ち出したのは何を隠そう芹だ。


「何らかの儀式はした方が良いだろう? 皆に周知する為にも」


 その一言で決まった今回の結婚式だが、私はやって良かったと心の底から思っている。


 指輪交換はどうしようと言う話になった時、芹はどちらでもと答えた。私も指輪をする習慣がそもそも無いので別に良いと答えると、シンが氷川神社から仕入れてきた結い紐の儀をしてみたらどうかと提案してくれた。


 私は芹と向き合って目の前に差し出された赤い水引で作られた輪っかをしげしげと見つめ言う。


「可愛い」

「ああ。しかし赤い糸か。元々は縄だし繋がっていたのは足なんだがな」

「そうなんですか?」

「そうだ。中国から入ってきたもので謂れは少々怖い話だ。彩葉は聞かない方が良い」

「止めときます」


 素直に頷いた私を見て芹は肩を揺らすと、赤い糸の輪っかを手に取った。


「小指を出せ、彩葉」

「はい」


 左手の小指を差し出すと、芹が私の小指に輪っかを嵌めてキュっと結んだ。その途端、何だか胸の奥から色んな物が込み上げてくる。


「なぜ泣く」

「何か……色々思い出しちゃいました。芹様も指、出してください」

「ああ」


 差し出された芹の小指はスラリとしていて長くて綺麗だ。芹とはよく手を繋ぐが、こんな風に改めて指に触れた事が無くて何だか緊張してしまう。


 輪っかを芹の小指にも嵌めて慎重に糸を結ぶと、不思議と本当に私と芹の縁がしっかりと繋がったような気がする。


 そしてその瞬間、私はどうしてあの時、芹が私に角を見せたのかを理解できた気がした。

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