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第144話『雛でも良いから』

「テンコ先輩! どうされたんですか?」

「いや、それがさ。芹様がお前から何の連絡も無いんだが、本当に居るかどうか見てきてくれって」


 苦笑いを浮かべて言うテンコに私は思わず微笑んで頷く。

「芹様のいつもの奴ですか?」

「そう。ったく、居るっつの! 芹様はきっと結婚直前になって花嫁が逃げ出したり他の誰かに攫われるって思い込んでんだ。映画の見すぎだよ」

「最近結婚の映画ばっかり見てましたもんね」

「そうなんだよ。それにしても……馬子にも衣装って良く言ったもんだよな! 良いじゃん。綺麗だよ、彩葉」

「当然です! ウチの監修なのですから!」

「そうかよ。で、あとどんぐらいかかる? てか、ケーキと優と健児がまだ来て無いんだけど?」

「多分、もうちょっとかと……」


 その時、境内の方から歓声が上がった。それを聞いて狐達はハッとした様子で私を見上げてくる。


「見てきてください。きっとケーキですよ」

「おう!」

「行ってきます!」


 それだけ言って部屋を飛び出して行く狐達を見送って、部屋の中でポツンと座っていると何だか急に寂しくなってくる。


「芹様……」


 もはや寂しくなるとつい芹の名を呼んでしまうようになってしまったのは、大学生活での唯一のデメリットと言える。


 私はやっぱりまだ雛を卒業出来ていないのだ。


 だって、大学を卒業してから毎日芹と顔を合わせているのにも関わらず、一時も離れたくないと思ってしまうのだから。


 その時、部屋の中に風が吹いた。ふと顔を上げるとそこには黒五つ紋付き羽織袴に身を包んだ芹が現れる。


「せ、芹様!? だ、駄目じゃないですか! あ、私が呼んじゃったから!?」


 芹は慌てる私をじっと見下ろし、ただ無言でその場に立ち尽くしていた。


「芹様? まだ人型じゃないんですか? 芹様?」


 呼びかけても芹の返事はない。何だか心配になって立ち上がると、芹の方から一歩近づいてくる。


「どうかされたんですか?」


 小首を傾げて尋ねると、芹は何か言いたげに口を開いてすぐに閉じたかと思うと、おもむろに私をギュっと抱きしめてきたではないか。


 本来なら式が始まるまで会ってはいけないというのに、うっかり私の声を聞いて駆けつけてきてくれたのだろう。


 私は芹の着物に化粧がつかないようにその胸に頬を寄せると、それまで黙っていた芹がようやく口を開いた。


「一瞬、誰だか分からなかった。やはりお前の周りの男達の身元を固めておいて正解だったようだ」

「え?」

「お前が美しすぎると言ったんだ。私はとんだ果報者だ。こんなにも美しい花嫁が嫁いできたのだから」


 そう言って私を抱きしめる芹の身体がじわじわと光りだした。そして首元にうっすらと鱗が現れたのを見て大蛇に変身しそうになっている事に気づき、私は慌てて芹から距離を取る。


「芹様! 戻っちゃってます! 光っちゃってます!」

「! これはマズイな。なるほど、だから式の前には花嫁に会ってはいけないのか。感動で危うく蛇に戻る所だ」

「いや、それは違うかと……」


 蛇に戻りそうになるのも光り輝いてしまうのも芹だけだ。多分。


「ところでどうして呼んだんだ? まさか逃げ出したいとかか?」

「逃げるつもりなら名前なんか呼びませんよ! 少しだけ何だか寂しくなっちゃって。私はまだ雛のままのようです」


 苦笑いを浮かべて素直に芹に告げると、芹は珍しく甘く微笑んで私の頬に触れた。


「いつまでも雛で居ていい。寂しくなればいつでも呼べ。その度に私は私の存在を肯定する事が出来るのだから。ただ、雛で居るのは私の前でだけにしろ。他の者の前では雛っぽさを出すな。決して。良いな?」


 後半はあまりにも真顔で言う芹に思わず笑いながら頷くと、芹はようやく安心したように微笑んでふと窓の外に目を向け、眉根を寄せる。


「どうかしたんですか?」

「私が札を剥がして出てきた事に気付かれてしまった。彩葉、またすぐに会える。後でな」

「は、はい。また後で」


 それだけ言って芹は消えた。その直後、物凄い勢いでシンと狐達が部屋に飛び込んでくる。


「彩葉! ここに芹——戻った?」

「えっとー……はい」


 目を泳がせた私を見てシンは呆れたようにため息を落とし、狐達は青ざめて何かを握りしめている。


「それは?」

「これか? これは土地神が作った渾身の封印の札……なんだけど」

「あー……あいつ、どんどん力つけてんなぁ」

「とうとう土地神の力も凌ぎそうです」

「芹様がおかしな事をしださないよう、私は真っ当に暮らします!」


 震える狐達と青ざめるシンを見て私は拳を握りしめた。

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