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第139話『婚約者』

 名前を呼ばれて立ち上がろうとすると、芹はいつものように先に立ち上がって私に手を差し出してくる。これは社ではいつもの事だけれどここは社ではない。


 それを思い出したのはいつものように芹の手を取って立ち上がった瞬間、その場に居た人たちがどよめいた時だ。


 内心はしまった! と思ってる訳だが、ちらりと芹を見ると芹は相変わらずの無表情だったが、どこか誇らしげだった。


 教室に入ると、担任は私の成績表とにらめっこをしていて私が教室に入って来た事にしばらく気付かないでいた。


「先生、先生!」

「おお、すまんすま——た、小鳥遊、お前……誰連れてきたんだ」


 担任は私の呼びかけにようやく顔を上げて、私の隣を見上げてポロリと成績表を落とす。


「お兄さんです。遠縁なんですけど、今は彼のお世話になってます」

「彩葉がいつも世話になっているな。名は芹という。以後、よろしく頼む」

「は、はあ……は!?」

「それで先生、どうですか? 私、いけそうですか?」


 いつまでも固まったままの担任に業を煮やして私から問いかけると、担任はまるで思い出したかのように早口で話し出す。


「へ? あ、ああ、このままなら大丈夫だろう。小鳥遊は授業態度も良いし率先してボランティアにも参加していたみたいだしな」

「そうなのか?」

「はい。1年の時ですけどね。いっぱいボランティアに参加しました」


 本当はあまり家に帰りたくなかったからなのだが、それはあえて伏せておいた。


 そんな私を見て芹は腕を組んで頷く。


「彩葉は本当に人助けが好きだな。神社の事もそうだが、あまり無茶はしないでくれ。また倒れるのではないかと心配になる」

「はい。気をつけます」


 しょんぼりと項垂れた私の頭を芹が普段するように撫でた。それを見て固まったのは担任だ。


「た、た、小鳥遊? 彼はその、本当に親戚なのか?」


 疑わしいと言わんばかりの担任に私は頷こうとしたが、それよりも先に芹が口を開いた。


「親戚というのは少し語弊があるな。しいて言えば婚約者だ」

「……芹さん?」


 突然何を言い出すのかと思って芹を見ると、芹は少しだけ不機嫌そうだ。


「彩葉が大学を卒業したら結婚する。だからこうやって私が三者面談に来た。なにか問題があるか?」

「な、無い……です」

「なら良い。口を挟んですまなかったな。続けてくれ」

「は、はい。えっと——」


 それからいつも私がビクビクする側だった三者面談は、担任がビクビクしたまま終わった。


 教室を出ると椋浦と細田が駆け寄ってくる。どうやら終わるまで待ってくれていたようだ。


「昇降口で待っている」

「あ、はい! すぐ行きます」

「ゆっくりで良い」


 それだけ言って芹は私の頭をくしゃりと撫でて廊下を颯爽と歩いていく。


「いやいや! どこの王子様だよ!」

「ほんとだよ! で、どうだった? 三者面談」

「それがね、先生がずっとしどろもどろだった! あんな先生初めて見たかも!」

「マジかよ!? あの毒製造機が!?」

「うん!」

「男すら顔面で捻じ伏せるなんて……そりゃ中世絵画は何百年も愛される訳だ」


 私達の担任はそれはもう毒を吐くので有名で、二者面談の時は毎回ボロカス言われていた私だ。


 けれど今回は最後の最後にとてもスッキリした三者面談になった。担任には悪いが、芹のおかげだ。


 私達は廊下の隅っこで一頻り笑い合い、その場で別れた。


 小走りで昇降口に向かうと、芹はちゃんと昇降口の所で待ってくれている。 


 てっきり色んな人に囲まれているのではないかと心配をしていたが、そんな事は全くなかった。


 むしろ、芹の周りにまるで結界でも張ってあるかのように皆が芹を避けて通る。


 私は急いで靴を履き替えて芹の元へ向かうと、芹がこちらに気付いてゆっくりと近寄ってきた。


「お待たせしました、芹様」

「待ってなど居ない。友人達はもういいのか?」

「はい。またすぐ会えますから」

「そうか。では帰るか」

「はい!」


 そう言ってやっぱり手を差し出してくる芹の手を、今度はためらうこと無く掴む。


 芹が私の事を婚約者だとはっきり言ってくれた。それが何だか凄く自信になったのかもしれない。


 そして学校では翌日から私にはそれは麗しい婚約者が居るという噂があっという間に広まったのは言うまでもない。

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