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第126話『ファーストキス』

「芹! しっかりしろ! 芹!」

「い……ろ……は……い……ロ……」

「芹様!」

「しっかりしてください、芹様!」


 徐々に芹が言葉を失い、宝石のように赤い瞳からは急速に光が失われていく。


 真っ黒な大蛇はシンを簡単に弾き飛ばし、あんなにも大切にしていた狐達すらなぎ倒した。


 それでも狐達とシンは大きな狐になって果敢にも芹に噛みつこうとするが、大蛇は攻撃の手は緩めない。


「やめ……て。芹、様……止め……て」


 小鳥遊もこの光景を見たのだろうか。どうやってこの状態の芹を止めたのだろうか。


 そんな事を考えていると、シンがこちらにやってきて人型に戻り私を抱えて悔しさを滲ませる。


「芹はもう……完全に堕ちた。君だけでも外へ運ぶ」


 シンの震える声が全てを物語っていた。


「……」


 嘘だ。あの芹がそんな簡単に堕ちる訳がない。首を振った私を見てシンが顔を歪めてそんな私に首を振る。


「ごめん……僕でも、もう救えない」


 ぽつりと呟いたシンの心は私には分からない。何せ簡単に芹に大蛇の姿を与えたような人だ。もしかしたら芹が居なくなっても次の芹を創る事など容易いのかもしれない。


 けれど、私にとって芹はただ1人、あの天然でワガママで傍若無人な神しか居ないのだ。


 私は目を閉じて心の中で芹に呼びかけた。力を失った私の心は、もう芹にも聞こえるはずだ。


『芹様、芹様』


 心の中で呼びかけると、その声に反応したのはシンと狐達だ。


 息を呑み、じっとこちらを見つめてくる。そんな三人を無視して私は芹に話しかける。


 心の中なら息が途切れる事なく、喉が焼ける事もなく話す事が出来るのだから。


『芹様、お願いです。どうかここへ来てください。私、見ての通り動けないんです』


 すると、それまで暴れていた芹がふとこちらを見た。そんな芹を見て時宮の人たちが歓喜の声を上げる。


「いいぞ! 大蛇、芹! その女を喰らってしまえ! そうしてお前は完成するのだ!」

「伽椰子! 百合子! 芹の行動を操りなさい!」

「はい!」


 またあの気味の悪い祝詞が聞こえてきて、シンが顔を歪めた。どうやらあの祝詞は神には毒のようだが、芹はまだじっとこちらを見ている。


『芹様、私、あなたに伝えなきゃいけない事があるんです。だからどうか、ここへ来て……私を抱いて』


 私の言葉が届いたのか、芹がゆっくりとこちらへ下りてきた。そして人型に戻ると冷たい顔で私を見下ろし、私を抱いているシンを片手で薙ぎ払う。


 シンが跳ね飛ばされたせいで私の身体はその場に仰向けに転がされた。


 それでも力を振り絞って芹に手を差し出すと、ようやく芹が近寄ってくる。


 言葉が無くても私の声は、心はきっと通じている。そう信じて伸ばした手を、とうとう芹が掴んだ。


 私はそんな芹の手にそっと自分の指を絡めると、一瞬、芹が目を見開いた。


『あの日、芹様がこうやって繋いでくれたんですか?』

『……ああ……そうだ……』


 芹の声に私は思わず微笑んだ。


 芹の手をそのまま引っ張ると、芹がバランスを崩して顔を寄せてくる。


 私はそんな芹の頬に口づけた。突然の私の行動に驚いて見開かれた芹の目に、うっすらと私が映る。


『私、きっとこうしないと後悔すると思って』


 そう言ってまだ唖然としている芹の唇に、私はそっと自分の唇を押し当てた。そして互いの唇が触れた途端、芹の唇が微かに震える。


 初めてのキスは思っていたよりもロマンチックではなかった。だって私の唇はカサカサだったから。


 それでも芹は息を飲み、続く私の言葉を待っている。


『彩……葉?』

『これはキスです。力を渡すための儀式じゃない。私の大事な大事な……ファーストキス』


 心の中で呟くと、芹の顔が泣き出しそうに歪んだ。


 そして次の瞬間、芹は私の身体をまるで掻き抱くように強く抱きしめ、首筋に顔を埋めて何度も何度も小さな声で私の名を呼ぶ。


 私はそんな芹の耳元で焼け付く喉を堪えて言った。ちゃんと声に出して言いたかった。


「芹、様。好き、です。『愛しています、芹様。だからどうか堕ちないで。あなたが居ないと私、また大事な人を、家を失ってしまう』」

「っ……ああ」

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