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第124話『囚われた彩葉』

「っ」


 声にならない声を上げて手を引っ込めた私の目の前に、伽椰子が何かを押し付けてきた。


「ほら飲みなさい。全部よ」

「嫌! やめて——げほっ、ぅぐっ」


 髪を引っ張られて口に水筒を押し付けられ、溢れる事も気にせず伽椰子は私の口に何かドロリとした物を流し込んでくる。


 一体何を飲まされているのかも分からず、恐怖と苦しさで噎せたのが私が覚えているバスの中での最後の記憶だった。


 目を覚ますと私はどこか知らない場所に居た。


 いや、居たというよりはどこかから吊るされていた。


 手首や足首、体中にベタベタとした糸のような白いものが巻き付けられ、目の前には真っ赤に燃え盛る山と血のような赤い川が流れている。その周りには彼岸花が咲き乱れ、風に揺れていた。


「ここ……どこ……」


 喉が焼けるように熱い。きっと伽椰子に無理やり飲まされたあの変な液体のせいだ。喉だけじゃない。身体の中もじゅくじゅくと疼くみたいな痛みがある。


「はぁっ……っう……」


 その痛みから逃れたくて身を捩るけれど、体中に巻き付いた糸がそれを許してはくれない。


 苦しくて呻きながらもどうにか辺りを見渡すが、誰も居ない。


「芹、さま……せん……ぱい……」


 芹を守るために私はあの神社を出たのに、結局芹に助けを求めるのか。そう思うと情けなくて涙が溢れてきた。


 その時だ。足元の方から獣のようなうめき声が聞こえてきた。その声に思わず下を見ると、そこにはさっきまで居なかったはずの黒い何かが蠢いてこちらにジリジリと這い上がってくる。


「や、やだ! 来ないで! 来るな! 止めてってば!」


 なんだか凄く嫌な予感がして喉の痛みも忘れて叫ぶと、どこからともなく伽椰子の凛とした声が聞こえてきた。


 祝詞だ。


 けれど聞いた事も無い祝詞だ。困惑する私の耳元で、誰かが囁く。


「初めて聞くでしょう? 表には決して伝わらない、裏の祝詞。この祝詞があの子たちを縛り付けているのよ。可哀想な子たち。ねぇ、そう思わない?」

「ゆ、百合子さん? どこ!? どこに居るの!?」


 ゾッとするような声は耳元から聞こえてくるような気がするのに、姿はどこにも見えない。


「もう少し待っていてね。もうじきお父様とお母様がいらっしゃるわ。あなたにはまず儀式に参加してもらわなければならないの。一応遠縁なのにこんな事をするのは気が引けるけれど仕方ないわね。分家の人間はいつだって生贄だもの」

「……」


 一体何を言ってるのだ? 儀式? 


 私はどうにか糸を切ろうとしたけれど、糸は暴れれば暴れるほど肌に食い込む。ピリリとした痛みに手首を見ると、そこから血が滲んでいた。


 しばらくして耳障りな伽椰子の祝詞が止んだ。それと同時に足元から這い上がってくる黒い者が暴れ出す。目を剥き口を開けて四つん這いでこちらに向かって駆け上ってくる。


「せ、芹様っ!」


 思わず叫んだが、返事は無い。


 このまま私はどうなるのだろうか。死ぬのだろうか。鬼籍に入ったら芹はちゃんと私を見つけてくれるだろうか。それとも時宮の者達に私の魂も封印されてしまうのだろうか——。


 そこまで考えた時、ふと芹の事が心配になった。


 芹は私が突然居なくなってしまったらどう思うのだろう。私は芹と約束したはずだ。何があっても必ず戻ると。     


 あの時の芹の顔はどんなだった? 私に頬を擦り寄せて、泣き出してしまいそうな顔をしていなかったか?


 何度も誰かを、何かを失い続けた芹の感情はとうとう凍りついてしまった。


 そんな芹がようやく感情に目覚め始めたのに、私はそれを最後まで見ることも叶わないままこの世を去るのか?


 あんなにも愛した人を、私はこうも簡単に諦めてしまうのか?


 そうだ。私は芹を愛している。


 好きだなんて言葉ではもう足りない。私は芹の為に生まれてきた、芹の巫女なのだから。芹の事を愛さないはずがなかったのだ。


「……どうして今気付くの……? ほんと、鈍いんだ、私」


 死ぬ間際になってようやく自分の思いに気付くだなんて、シンの言う通り鈍すぎる。


 涙が頬を伝ったその時、おでこがじんわりと暖かくなった。芹と今も繋がる唯一の加護だ。その暖かさは身体の痛みを優しく包み込み溶かしていく。


「芹様だなぁ……」


 天然だけれど、どこまでも優しい芹。たまに大蛇になって襲いかかって来ようとするけど、いつも私を見守ってくれていた。


 芹の顔を思い出そうと目を閉じかけたその時、今度は正面から声が聞こえてきた。ハッとして顔を上げるとそこには1人の男性が宙に浮かんでいる。


 その隣には感情の無い表情の女性が冷たい顔をしてこちらを見ていた。

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