二人は本当に芹に適当に誤魔化してくれたようで、芹も伽椰子も部屋に尋ねてきたりはしなかった。
いつもはまだ忙しなく本殿を掃除している時間だが、今日は何もする事がない。仕方が無いので私は布団から這い出て勉強していると、スマホが震えた。ふと見ると細田からの着信だ。
「もしもし?」
『あ! 彩葉? 突然ごっめん! あのさ、ちょっと面白い話婆ちゃんに聞いたから忘れないうちに知らせとこうと思って!』
「面白い話?」
婆ちゃんに聞いたという事は間違いなく岐阜の時宮の神社の話だろう。細田に『今時間大丈夫?』と聞かれて二言返事で返した私に、細田は話し出す。
『なんか、婆ちゃんの母親が昔言ってたらしいんだけど、その大蛇ってのがある村を半壊させたんだって。彩葉知ってる?』
「うん、二条先生が教えてくれたよ」
『それじゃあこれは? どうしてそんな事になったのかって言ったら、もう一人の巫女が大蛇に悪しき願い事をしたらしいんだ。それが、村の壊滅だったって』
「え!?」
もう一人の巫女と言うのは間違いなく小鳥遊の事だろう。思わず声を上げると、細田が詳細を聞かせてくれた。
『これは時宮神社に伝わる昔話らしいんだけど、その巫女は生贄としてやって来た娘で、命を助けられたのに大蛇を裏切って悪い願い事を叶えさせてたらしいんだ。時宮は大蛇の魂を慰めようとしようとしてたのに、その巫女が次から次へとそんな願いを叶えさせてしまった事で大蛇は力を取り戻して、とうとう暴れちゃったんだって。その巫女が何を大蛇に叶えさせたのかまでは分かんないけど、大蛇はその後ある村を半壊させてしまった。それを嘆いた時宮が大蛇を封印しようとして失敗したらしいよ』
「それでいつか大蛇を祀る為に岐阜に神社を建てたって事?」
『そういう事。それにしてもとんでもない事する巫女もいるもんだよね~』
ケラケラと笑いながら教えてくれた細田の情報は、芹から聞いた話や二条と想像した話とは随分違う。
「わざわざありがとう!」
『良いって事よ! じゃ、また明日ね! 雪ですっ転ばないように』
「あはは! うん、もう転んだ後だけどね! それじゃあまた明日!」
電話を切った後、私はここへ来た時にずっと書いていたノートを引っ張り出した。そこにはこの神社から出る計画が綴られている。
「……こんな事考えてたのにな。今はもうここから出たくないって思ってるなんてね。でも……これからも伽椰子さんと芹様がああいう事するなら、私は出て行かないとな」
芹に感情が無くて力を供給する為にそういう行為をしていると言われたら私は黙るしかない。
けれどそれを間近で見ていられるかと言われるとそれは無理だ。もう伽椰子が掃除が出来なかろうが片付けが出来なかろうが、私は出ていく。
私はノートの上の文字を自分でもよく分からないゴチャゴチャした感情をぶつけるように塗りつぶし、その上に突っ伏した。
「――はっくしゅん! はっ!? ね、寝過ごした!? 夕飯の買い物!」
ガバリと顔を上げると、私の肩からふわりと何かが落ちる。一体何が落ちたのだろうと振り返ると、そこには何故か芹の羽織が落ちている。
「芹様の羽織? なんでこんなとこに……」
時計を見ると既に時刻は21時を回っている。どうやら私はあの体勢のまま本格的に寝入ってしまっていたようだ。
とりあえず起き上がって芹の羽織を畳むと、静かに部屋を出て炊事場へと向かう。この時間はもう皆は完全に寝静まっている時間である。神様達は朝も夜も早い。
出来るだけ音を立てないように買い置きのカップラーメンを取ってお湯を入れようとすると、ポットが置いてあるダイニングの机の上に丸いおにぎりが2つ置かれていた。皿の下には芹が書いたと思われる、達筆で『巫女へ』と書かれている。
「……わざわざ作ってくださったんですね」
嬉しくて涙が零れそうになる。カップラーメンを戻して椅子に座ると、手を合わせて心の中で三人にお礼を言った。巫女の心の声は皆には聞こえないらしいが、きっと何かの力になるだろう。
大分遅くなってしまったが夕飯を食べ終えた私は、静かにシャワーだけを浴びて部屋に戻り明日の準備をし始めた。おにぎりが相当嬉しかったのか、何だか気持ちも身体もフワフワしている。
芹と伽椰子の事はもう考えないようにしよう。だって伽椰子と私では出来る事が違うのだから。それに芹は羽織まで貸してくれた。ちゃんと気にかけてもらえているではないか。両親のように見捨てられたりしていないではないか。
そう考えるとようやく少しだけ胸の疼きは収まった。
「それよりも明日の朝は何にしようかな。芹様の好きなだし巻き卵と、テンコ先輩が好きなオムライスとビャッコ先輩が好きなつみれのお味噌汁にしようかな」
微妙な取り合わせだが、暖かい気持ちのままもう一度眠りにつくと翌朝いつもよりもずっと早くに目を覚ましてしまい、朝食を作って皆を待っていた。