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第64話『好き嫌い』

 伽椰子が完全に見えなくなった所で、芹がまた人の形に戻る。


「ふむ。あれは確かに時宮の娘だな」

「そうなんですか?」

「ああ。当時の宮司も巫女も良く言えば信念があった。ただそれは時として傲慢でもあった。正に今の伽椰子のようにな。伽椰子は時宮家に生まれ神職を学んでいる事を誇りに思っているのだろう」


 感慨深そうに言う芹に私は頷いた。そうかもしれない。伽椰子の昔話や態度には腹が立つが、生まれと自分に自信を持っているのは悪いことではない。


「神職を学んだからこそ、伽椰子さんからしたら私のしている事なんておままごとのように思えるのかもしれません。神饌にしても芹様が変わってるだけで、本当は伽椰子さんの方が正しいんだろうし……」


 そう言ってちらりと芹を見上げると、芹は何とも言えない顔をしてこちらを見下ろしてくる。


「まぁそれはその通りだな。本来なら神は神饌を好むらしいからな」

「そうなんですか? でも芹様は頑なに何も食べようとしませんでしたよね」


 最初の頃は料理を見るだけで部屋へ戻ってしまっていた芹だが、今は誰よりも率先して食事をしている。


 最近はいっちょ前に好き嫌いまで言うようになってきた。


「味は分かるが、美味しいとか不味いという感情が分からなかったんだ。だが好みかそうでないかだと言われるとようやく理解する事が出来た。私は高野豆腐が好きではない。あれはまるでスポンジだ」

「……美味しいですよ、高野豆腐。どちらにしてもお正月は伽椰子さん居ないんですね」

「そうだな。まぁ別に伽椰子が居ても居なくてもやる事は変わらない。何よりも皆が手伝ってくれるだろう」


 珍しく声を弾ませて言う芹に頷きつつ本殿に戻ると、私は夕食の準備をしに炊事場へ行って唖然とする。


「……また?」


 炊事場は荒れに荒れていた。きっと伽椰子が芹の為の神饌を作ったのだろうが、もう少し後片付け出来ないものだろうか?


「巫女、今日の夕飯――またかよ!?」

「これは酷い……あの娘は片付けが出来ないのでしょうか?」

「う~ん……苦手なのかもですね」


 芹への神饌を見る限り人参の飾り切りなどは出来ていたので不器用な訳ではないと思うのだが、どうにも伽椰子は後片付けをしない。


 仕方がないので私は狐たちと共に炊事場を片付けて夕食の準備に取り掛かった。 


 もうすぐ夕食が出来上がるという頃、芹がふらりとやってきてダイニングの椅子に腰掛けてため息をつく。


 何だかお疲れの芹の前にお茶を置くと、芹は小さくお礼を言ってお茶を飲みだした。そんな芹を心配したのか、狐たちが芹の顔を心配そうに覗き込んでいる。


「芹様、どうかされましたか?」

「芹様、何か顔色が悪いです」

「ああ、お前たちか……すまない、狐の姿に戻ってくれないか?」


 突然の芹の言葉に二人はキョトンとして狐の姿に戻ると、芹はおもむろに二人を抱えあげてその背中に頬を寄せている。


「ど、ど、どうされたんですか!?」

「びょ、病気ですか!?」

「いや、本当は巫女にもしたいぐらいだが、キスと一緒できっと許してはくれないだろうからな。お前たちだけで我慢をしよう」


 そんな事を言いながら狐たちを抱きしめる芹は本当に疲れ果てている。


「本当にどうしたんですか? 芹様」


 何やらただ事ではなさそうなので私が芹に近寄ろうとすると、そこへ伽椰子がやってきた。


「芹様、こちらにいらっしゃったのですね。私はあなたに助けられたあの日からずっと、ここで巫女としてあなたの為に尽くすことを夢見て来たのです」

「さっきも言ったが、私は助けた者の事などいちいち覚えていない。山に迷い込む子どもなど、覚えていたらきりがない」

「そんなに居るんですか?」


 驚いて私が思わず声を上げると伽椰子がちらりとこちらを一瞥したけれど、そんな私の質問に芹は深く頷く。


「いるとも。こんな田舎でも子どもはいつだって山で迷子になる。この山には獣も多いからな。その度に私はいつも人の姿をして迷った者達を麓まで送っているんだ」

「だとしても! 私は本当に感動したのです。姉はあなたの事を邪神だと言いますが、あなたはとても優しい神です」


 それはそう。思わず頷いた私を伽椰子が睨みつけてくる。理不尽である。


 けれど、それを芹の膝の上で聞いていたテンコが突然机の上に飛び乗って伽椰子を睨みつけた。


「芹様が優しいのはこの村の人間なら皆知ってる。知らないのはこの土地を出た人間だけだ。お前、口を慎めよ」

「そうです。芹様を見捨て、土地神に追い出された者の末裔よ。あなた達の名が今もこの村に使われているのは、戒めだという事を自覚なさい」


 普段の二人からは絶対に感じられない鋭い声に伽椰子が眉根を寄せて声を荒らげた。


「なっ、何て失礼な神使なんでしょう! 芹様、やはり時宮から位の高い神使を召し上げられた方が――」


 伽椰子が最後まで言う前に、今度は芹の頭に角が現れる。これはマズイ。


「伽椰子、それははっきりと断ったはずだ。私はこの二人しか私の神使と認めない」


 芹のあまりにも冷たい声にダイニングがシンとした。


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