頬にキスをした事で少し力が回復した芹の目が細められる。
「良し」
「……行ってきます」
何だか幼稚園に行く娘に行ってきますのキスを強請るパパみたいだな……そんな事を考えつつサクサクと雪を踏みしめて滑らないように手すりを握って慎重に坂を下る。
けれど雪にまだ慣れない私は学校に到着した頃には既にヨレヨレで、席につくなり突っ伏してため息をおとした。
「おっはよ~! 朝から疲れきってるじゃん」
「うん、ちょっとね。遅刻するかと思っちゃった」
「そういや最近ギリギリだね。さては夜ふかししてんな~?」
「ははは」
夏休みに私の身に起こった事や神社に住んでる事は学校の友人には告げていない。そんな事を聞かされても皆も困るだろうから。
大きなため息を落とした私の頭を、椋浦が何かでコツンと叩いてきた。
「でさ、そんな彩葉にこれ渡してくれって二条に頼まれたんだけど」
そう言って椋浦が取り出したのは一冊の本だ。
「ありがとう」
その本を受け取って中をペラペラめくると、本の間に栞が挟まれている。その栞をどけて中を読むと、そこには当時の物だと思われる芹山神社の写真が載っていた。
「!」
「ねぇねぇ、何の本? もしかして二人にしか分からないメッセージ的な事?」
「ううん、神社の本。先生に神社の事聞きに行ったからこれ貸してくれたんだと思う」
椋浦の方を見もせずに言うと、思っていた答えではなくてつまらなかったのか、椋浦はそのまま離れていってしまったが、私は既にその本に夢中だった。
写真には今と全く同じ本殿が写されていて、手水舎、鳥居なんかも今のままだ。
けれど本殿の隣には長屋のような建物が建っていて、そこの前で巫女と宮司が並んでカメラの方を見ている。写真の下には昭和10年と書かれていた。
「戦前の写真……」
本をさらに読んでいると、本文の中に宮司と巫女の名前が書いてあり、そこにははっきりと『時宮祥子』『時宮圭介』とある。
「時宮!」
思わず私が声を上げると、前の席に居た岩崎が驚いたようにこちらを凝視する。
「びっくりした! 誰? 時宮? 寝ぼけてた?」
「あ、ううん、ごめんなさい」
あれほどトキメイていた筈なのに岩崎よりも今は時宮だ。私はもう一度視線を本に落として熟読する。
本に書いてあった内容は大体二条が話していた通りだったが、本には戦争で社務所が焼け落ちた事が記されていた。
「社務所だけ、焼け落ちた?」
「変だろ?」
「はい……へっ!? わぁ!」
突然後ろから声をかけられて振り向くと、そこには何故か二条が腕組をして立っている。
そんな二条を見てクラスの女子たちは黄色い声を上げるが、私はやっぱりそれどころではない。
「先生、これ」
「俺もお前に聞かれてからこの本の事思い出して読み返してたんだが、ここではあれだな。昼休みに保健室に来い」
「あ、はい。これ、お借りしてても良いですか」
「ああ」
それだけ言って二条は颯爽と教室を出て行ってしまった。
その直後、私の周りには人だかりが出来ていて根掘り葉掘り聞かれたのは言うまでもない。
「――なんだ、本気で神社の話しかしてないんじゃん」
「だからずっとそう言ってるよね!?」
つまらなさそうな椋浦の後ろから一軍女子の細田がふと口を開いた。
「その何とか神社は分かんないんだけどさ、うち婆ちゃん家が岐阜なんよ。そこにそこそこ有名な神社があってさ、そこの宮司が時宮なんだよね。これって偶然?」
岐阜……そう言えば狐たちが言っていたのも岐阜だ。私は立ち上がって細田の手を握りしめた。
突然手を握られた細田は驚いたように仰け反るが、私は決して放しはしない。
「それ、どんな神社!? 祟神とか祀ってる!?」
「いやそんな怖いの祀ってないって! えー、何かめっちゃ面白そうな話じゃん。何でまたそんな神社の事調べるようになったん?」
細田とこんなに会話をした事も無かったが、何故か彼女は前のめりで問いかけてくるので私は仕方無く自分の現状を全て話した。
それを聞いて集まってきていたクラスメイト達が揃って悲惨な顔をする。
「え、ヤバいじゃん」
「ちょ、彩葉! 何でそんな事今まで黙ってたのよ!? もしかしてだから最近ダッシュで帰ってたの!?」
「うん」
「ちょちょ、両親とガチで連絡取れないの?」
「う、うん」
「そんなん育児放棄じゃん! ネグレストだよ!」
クラスメイト達は口々に怒ってくれて少しだけ胸の奥がジンとする。彼女たちの心の声は何も聞こえない。今は本当に私の心配してくれているようだった。