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第39話『芹の小鳥』

 やはり芹を残してここを離れる訳にはいかない。小鳥遊という名を貰っておきながら、そんな不義理は出来ない。


 私はようやく目を覚まして起き上がると、おもむろに正面に座ってミカンを剥いている芹の手を握りしめた。


「なんだ、起きたのか」

「おはようございます。芹様、それから先輩方!」

「お、おう」

「な、なんです?」

「私、悔い改めました。今までずっとここを復興してお金を貯めて新しい巫女を雇ってもらおうだなんて考えていましたが、芹様がもうお前はいらないって言うまでここに居ます!」


 今まで私は自分の為にこの神社を復興させようとしていて、芹の気持ちなど考えた事も無かった。いくら復興して良い巫女が来ても、芹が気に入らなければそれは居ないも同じことなのだ。もしも芹が今も小鳥遊のような巫女を探しているのならなおさら。


 突然の私の宣言に芹が剥いていたミカンをポロリと落とした。ていうか、ミカンなんてどこから調達してきたのだ。


「そうか」


 たった一言。珍しく驚いたような芹がポツリと言ったその一言にはきっと色んな感情が詰まっているのだろう。


 けれど芹にはその感情が分からない。どうして今自分がミカンを落としたのかも、どうしてそんな言葉しか出てこなかったのかも。


「芹様、先輩方、これからもどうぞよろしくお願いします」


 頭を下げた私を見て、狐たちは少しだけ頬を染めてそっぽを向く。


「まぁ仕方ないな。お前はまだまだ僕達が指導してやらないと」

「そうです。巫女は巫女の事について何にも知りませんから、ウチ達がしっかり教えてやらないといけません」

「芹様?」

「あ、ああ、いや。小鳥遊と同じ事を言うのだな、お前は」

「巫女さんと?」

「ああ。小鳥遊もそう言ってずっと私の側に居た。だが私の側に居ては不幸になると悟ったから名を与えて放したのだが……そうか、また戻ってきたのか。私の小鳥は」


 俯いて少しだけ微笑んだ芹の顔が何故か妙に脳裏に焼き付いた。


 この日から私は心を入れ替えて――まではいかないが、今までよりはずっと神社の為に奔走した。


 ここに残ってもいつか追い出されても、どのみちこの神社の復興は今や私の願いでもあるのだから。


 何かを決心すると人は途端に忙しくなる。


 私は毎日授業が終わるなり教室を飛び出して、クラスメイトも呆気に取られる程の早さで学校を出ると、駅までダッシュしてバスに乗る前に芹にメッセージを打つ。


 芹がお迎えに来てくれると決まった翌日からこれが私の毎日だ。


 一体何の筋トレだと自分でも思うが、帰る時間が遅くなると芹にネチネチと嫌味を言われるのだから仕方ない。


 田舎の駅は無人駅が多いと言うが、この村もそう。駅は無人だし街灯も一つしか無い。もちろん私の他に乗客もほぼ居ない。バスなど本当に誰も居ない。


「芹様!」


 バス停に到着して私が声をかけると、街灯の下に立っていた芹がふと顔を上げた。その顔を見ると私はいつもホッとする。それが嬉しくて私が笑顔で駆け寄ると、芹はゆっくりとこちらへ歩いてきた。


 今日はもしかしたら夜には雪になるのではないだろうかと思う程度にはいつも以上に冷え込んでいる。


「おかえり、巫女」

「ただいまです。寒く無かったですか?」

「寒かったがお前がカイロをくれただろう? これのおかげで大分助かっている」

「そうですか。それは良かったです」


 ついこの間、私は芹に貼るカイロを買った。私の帰りを待つと言い張って譲らない芹は異常なほど寒がりだ。うっかりそこらへんで冬眠されたら困ると思い、苦肉の策で買ったカイロだったが、どうやら芹には丁度良いらしい。


「ほら、温いだろう?」


 芹が私に手を差し伸べてきたので私がその手を掴むと、思いの外強く握り返される。


「温かいですね」

「お前の方が冷たいな。これをやろう」


 そう言って芹が胸元からもう一つカイロを取り出して私に握らせてきたが、繋いだ手は放してくれない。


「芹様? 何度も言いますが、私こう見えてもう17なんですよ。手繋がなくても歩けますよ」


 何だか恥ずかしくて思わず言うと、芹はフンと鼻で笑う。


「こんなに冷たい手で何を言う。大人しく繋いでいろ」

「……はい」


 手を繋ぐ事に関して芹に何の感情も無い事は分かっているのだが、何だか無性に胸がギュっとなる。


「今日は何か面白いことはあったか?」

「そうですね、今日は――」


 いつものように今日あった出来事を話し出そうとしたその時、どこからともなく声が聞こえてきた。


『はぁ……やっぱり新メニュー開発しないとキツイな……』


 この声の主は古民家カフェのオーナーの健児だ。どうやら新メニューで悩んでいるらしい。


 思わずハッとして芹を見上げると、芹は無言で頷いて花に姿を変えて私の手の平に落ちてきた。それを前みたいに髪に挿すと、すぐさま芹の声が聞こえてくる。


『狐たちに何か土産を買ってやってくれ』

「分かりました」


 頷いてカフェに入ると、健児が奥からあからさまに作った笑顔で顔を出した。


「こんばんは~。パンケーキテイクアウトで4つお願いします! あれ? 奥さんは?」

「巫女ちゃんか! 好きなとこ座って待っててくれ。嫁か? それがなぁ……ちょっと実家に帰ってんだよ」


 苦笑いを浮かべて頭をかいた健児に、心の声が聞こえなくても色々と察してしまう。

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