テンコは最後まで聞き終えるなり、腕を組んで何かに納得したように頷く。
「なるほどな。それでそんなに目腫らしてたのか。お前は死を間近で見るのは初めてだったのか?」
「はい。赤ちゃんの時に祖父も祖母も亡くなってるので、実際にはこれが初めてでした……」
グス、と鼻をすする私を見て芹がさっきからずっと首を傾げている。
「どうして今日初めて出会った犬にそこまで感情移入出来るのだ」
「理屈じゃないんですよ。もう何ていうか、色んな事想像しちゃって……」
そう、悲しいに理屈は無い。頭では分かっていても、たとえ初見でもそこに至るまでの過程を色々と勝手に想像して涙が出てしまうのだ。
「人間とは難儀だな」
心底分からないとでも言いたげな芹の言葉に私は頷き、テンコから自転車を受け取って跨るとテンコは待ってましたとばかりに前カゴに狐の姿で乗り込む。
「芹様はどうしますか? お花に戻りますか?」
「いや。私も自転車に乗ってみよう」
そう言うなり芹は何を思ったか私の後ろの荷台に跨ったではないか。
「え、ちょ、冗談ですよね!? 私、二人乗りなんて出来な――あれ? 重くない」
「実体ではないからな。お前以外にこの姿は見えては居ないよ」
「そ、そうですか。えっと、それじゃあこぎますね」
私は芹とテンコを乗せて悲しみを振り切るように自転車をこぎ出した。
今日の風はこの間と違って何だか柔らかくて私の心を慰めてくれる。それが切なくて思わず鼻をすすると、私の腰の辺りに捕まりながら芹が声をかけてきた。
「まだ泣いているのか、巫女は」
「仕方ないじゃないですか! 悲しいものは悲しいんです!」
「そういうものか」
「そういうものですよ。はぁ……心の声が聞こえてきたばっかりに……」
「後悔しているか? お前も」
ふと後ろから聞こえてきた声に私は首を横に振った。
「後悔はしていませんよ。だってそのおかげで米さんとか咲ちゃんの事は上手くいったし……ただ、今回は結局芹様に助けてもらったなって。不甲斐なかったなって思って。芹様、モモの声を聞いてくれてありがとうございました。芹様のおかげで健太君は覚悟が出来たし、ママさんも自分の心を取り戻す事が出来ました」
「てっきりその力を返したいと言うかと思ったが、巫女は泣き虫だが心は強いな」
「泣き虫は余計です! それにこの力だって私からお願いしたのに返したいだなんて言いませんよ。まぁ、もしかしたら学校が始まったら返したいと思うかもしれませんけど」
何せたった一日でクラスメイトの心の声に怯んだ私だ。
「そうだな。人の多い所ではその力は辛いだろう。帰ったら少し調整をするか。澄んだ声だけが聞こえるように」
「え、そんな事出来るんですか?」
「出来るとも。神であればそれがたとえどんな理不尽な声でも耳を傾ける必要があるが、お前は巫女だ。神ではなく人なのだから、全ての声を受け止めなくても良い」
「それは凄く助かります! ありがとうございます、芹様」
あぜ道を走りながら思わず喜びの声を上げると、後ろから芹のくつくつと笑う声が聞こえてくる。
「そう思うのなら、そろそろ口から力を分けてくれないか、巫女」
「そ、それは嫌です! なんですか! 乙女のファーストキスを何だと思ってるんですか!」
「キスというのはそれほどに重要なのか?」
「重要に決まってます! 多分」
何せした事が無いので何とも言えないのだが、きっと重要に決まっている。
フンと鼻を鳴らした私は参道めがけて勢いよく自転車を走らせたのだった。
夏休みもそろそろ終わりに近づいてきた頃、境内の草引きをしていると一通の手紙が届いた。それを受け取った私は首にかけたタオルで汗を拭いながら封筒を裏返すと、差出人の名前も無ければ住所もないけれど宛先は私だ。
「なんだろ」
あまりにも不審な手紙を訝しく思いながらも私はそれをその場で開かず、ポケットに突っ込んだ。
草引きが終わって夕食の準備を始める。それが後半に差し掛かると、ダイニングには狐たちと芹がどこからともなく現れて着席しだす。もうすっかり見慣れた光景だ。
「お茶を入れましたよ。今日はほうじ茶です」
「おう、机も拭いたぞ」
「お二人とも、ありがとうございます!」
「私も何か手伝うか?」
満面の笑みで狐の二人に礼を言っていると、芹が私の手元を覗き込みながら言う。
「いえ、芹様は流石に座っていてください」
神様に家事の手伝いをさせる訳にはいかないだろう。一見何もしていないように見える芹も、実は年がら年中ずっとこの村全体を守ってくれているのだから。
出来上がった料理を器に盛り付けてダイニングに運ぶと、待ってましたとばかりに狐の二人が全員分のご飯をよそってくれた。
「さ、食べようぜ!」
「今日は油淋鶏だと聞きました。この甘酸っぱい香りがたまりません」
「聞いた事の無い料理だな」
いつものように談笑しながら食事を終えて、狐達が片付けをしてくれているその間に私はふと思い出してポケットに突っ込んでいたままの手紙を取り出した。