商店街に行く前に私は昨日作ったピクルスを米子と咲子の所へ持って行った。 咲子は生憎留守だったが、咲子の母親がそれはもう喜んで受け取ってくれたので良しとする。
あれから咲子はよく母親と一緒にお参りに来てくれる。そして麦茶を飲んで談笑して帰って行くのだ。あれほど憂いていた姉との仲も良好で、咲子は今は週に一度は姉の所へお泊りに行っているらしい。
上機嫌で自転車をこいでいると、ふと耳元で芹が囁く。
『巫女が繋いだ縁は美しいな。心地よい心の声だ』
「ちょ、ビックリするので突然耳元で話さないでください!」
『こんな事で驚くのか? 自転車がグラついているぞ。やはり補助輪をつけるか?』
「つけません!」
甘いような芹の低音ボイスに思わず私は顔を赤らめると、今度こそ商店街に向う。
商店街の入口で自転車を止めた私は、テンコとビャッコが人の姿になったのを確認して歩き出した。
『ほう、少し見ない間に随分と発展したものだ。しかしあいつらは人気者だな』
「そうなんですよ。お二人とも子どもの姿にすっかり味しめちゃって」
二人はいつものように私の手からエコバッグを奪って、皆に愛想を振りまいている。そしてその代価としてお菓子を巻き上げて回っているのだ。
『何と言う事だ。曲がりなりにも神使だと言うのに』
「その割に楽しそうな声ですよ」
珍しく笑いを含んだ芹の声に思わず言うと、芹の声が一瞬途切れた。
『そうか?』
「はい」
『そうか……私は楽しいのか。そうかもしれないな。あいつらがあんなにも笑うことなど、今まで無かった。これも巫女のおかげだな』
「そ、そんな事は……」
予想もしていない褒め言葉にしどろもどろになっていると、前方からビャッコがこちらに向かって手を振っている。
「何をしているのですか、巫女! 今日はマルイチで特売だそうですよ!」
「え! 今行きます!」
特売と聞いてはのんびりしていられない。あちこちから聞こえてくる村の人たちの心の声を聞いて卵がお得だと知った私は、マルイチに駆け込んで真っ直ぐに卵のコーナーに向かった。お一人様一個までとあったので、ここぞとばかりに狐たちにも渡して、ホクホクしながら他の買い物も済ませていく。
『賑やかだな。こんなにも沢山の声を聞くのは久しぶりだ』
何かを懐かしむように呟く芹に頷こうとしたその時。
『……モモ、これなら食べてくれるかな……』
誰よりも透き通った大きな心の声が精肉コーナーから聞こえてきたのだ。その声にハッとした私が思わずそちらに近寄ると、そこには小学生ぐらいの男の子が決して安くはないお肉のパックを握りしめて涙を浮かべている。
『……ああ、別れが近づいているな』
「別れ?」
『あの家の老犬だ。犬はどうやら死に支度をしているようだ』
「え……」
私は動物を飼った事など無いが、世の中にはペットロスという言葉があるぐらいだ。もしかしたらあの少年もそうなってしまうのではないか。
思わず心配になった私は少年に近づこうとしたのだが。
『止めておけ、巫女』
「どうして」
『どうしようもないからだ。こればかりは、どうしようもない』
「……」
芹の言う通りだ。死は誰にも等しく訪れる。それは分かっているけれど、あんな少年がそれを乗り越えられるのだろうか。そんな事を考えていると、ふと少年がこちらを向き私を見てハッとしたような顔をした。
「お姉ちゃん、もしかして芹山の巫女さん!?」
「え!? う、うん、そうだけど」
突然話しかけられて思わず後ずさった私に、少年はどんどん近づいてくる。
「巫女さんなら犬の気持ち分かる!?」
「い、犬の気持ち?」
「うん! 咲姉ちゃんが教えてくれたんだ! 芹山神社に来た巫女さんには不思議な力があるんだよって! ね! 犬の気持ち分かるよね!? モモが元気になる方法、知ってるでしょ!?」
食いつかんばかりの勢いで私の腕を握って訪ねてくる少年に戸惑っていると、店の奥から少年の母親だと思われる人が現れた。
「こんな所に居た! 健太! あんたまたモモのご飯探しにきたの!?『もうこれで一週間よ!?』」
「そうだよ。僕何も悪いことしてないもん!『まだこのお肉は試してない。もしかしたら食べるかも』」
今にも泣き出しそうな健太に母親は困ったように顔を歪める。
「気持ちは分かるけど、モモはもう何も食べられないんだよ。お医者さんも言ってたでしょ? モモはもう歳で色んな所が弱っちゃってあんまり食べたがらないかもしれませんって『健太……寂しいよね。怖いよね。でも仕方ないの。仕方ないのよ……』」
「あんまりじゃないじゃん! 全然食べてないんだよ!? それに先生言ってたもん! もし何か食べるなら何でも良いから食べたら良いよって!『どうして皆そんな事言うの? もしかしたらまた元気になるかもしれないじゃん!』」
「そうだけど……『はぁ……どう言ったら良いんだろう……』」
母親はやっぱり困ったように小さくため息を落としてふとこちらを見た。